第15話 講評会

 講評会は、始まる十五分前に当該の部屋への入室が許され、候補生たちはその時に初めて自分の作品の順位を知ることができる。


 今回は課題の提出締め切りの三日後、午後一時に開催された。エルダによれば、これまで大抵は二日後の午前中に開かれており、この遅延は珍しいそうだ。


 私たち三人は他の多くの候補生と同様、開場時刻に合わせて入るために、昼食後は所定の部屋の近くで静かに待っていた。


 大きな扉にはいかにも厳重な錠前がつけられている。時間となり、お面をつけた職員二人が規則正しく靴音を鳴らして到来し、一人が手際よく解錠した。


 張り詰めた空気。

 足を踏み込んだ瞬間、ぴりっときた。

 広々とした部屋で天井も高く、閉塞感はない。礼拝や宗教的な集会が何百年にもわたってされてきたかのような空間だった。

 ここには信者たちが腰を下ろす長椅子はないが、代わりに木彫りが配置された台座が数多く並んでいる。当然、今回の課題を提出した候補生の数だ。


 事前にエルダから様子を聞いていたけれど、私は一つの部屋にこんなにも多くの木彫りが集まっているのは初めて目にしたので、心がざわめくのをなかなか落ち着かせられずにいた。


 どれもが私と同年代の少女たちによって造られた技術の結晶だ。

 それらが私たちよりも十年も二十年も木彫り師という一つの道を歩んでいる人たちによって評価され、順位をつけられている。


 全部で二十九体の木彫りが四列に分けて配置されている。奥から数えて一列目から三列目までは八つの作品が等間隔に置かれ、部屋を横切っていた。四列目に残りの五体。

 入って一番奥の列、その一番左側に置かれるのが最高位らしい。


 この二年間、最奥の列に自分の作品を並べられたことはないと、エルダは悔しそうに話していた。最も不出来な時には三列目の半ばに置かれたのだという。


「もっと近くで見ちゃダメなの?」


 ユウが部屋の奥側へと進んで行かない候補生たちを見て、首を傾げる。するとエルダが「壁際を見て」と指示した。


「左、そして右。さっきの職員二人がいるわよね。あの人たちよりも奥に、つまり作品の列に近づくのは許されていないの。講評会前は、ね」


 講評会中には、接近して鑑賞するタイミングがあるのだろうか。それを訊こうとした矢先、手前にいた候補生たちからどよめきが上がった。一人が無遠慮に指差している方向は、一番奥の列だと思われる。


「あ……わたしの、左から二番目みたい」


 食事中に机の下に食べ物を誤って落としてしまった時と変わらない調子だった。ユウのその言葉に、エルダが「何目の?」と緊張した声色で訊く。

 ユウが「いち」と左の人差し指をぴんっと立てると「一列目?」と今度は舌が上手く回った。でも、表情に動揺が見て取れる。


 そんな二人の短いやりとりをしっかりと見終わった後、私は息を深く吸って、ユウの作品、一番奥の左から二番目すなわち今回の第二位と評価された木彫りへと視線を向けた。

 

 しかし距離があるせいでよく見えない。どよめいた候補生たちの関心もユウの作品なのだろうか……。


「遠目から判断するに、ユウさんは手の指を絡めた二本の腕を彫ったのね」

「腕だけ?」


 どこか間の抜けた声で私が訊き返すと、エルダは「そうよね?」とユウを見て、私もそうした。


「全身を彫るのはすっごく時間がかかりそうだったし、満足する出来にならなさそうだったんだ。それに恥ずかしいだろうから」

「恥ずかしい」


 どこまでも間抜けに私は復唱していた。

 ユウが予期した羞恥。それをまったく理解できなかった。そんな私におかまいなしに彼女は「うん」と肯き、はにかむ。何度か見覚えのある笑み、なのに初めて見るようでもある笑みだ。


「ところでリラさんのは? 私は残念ながら、また二列目だったわ」

「……三列目の一番左」


 想定内の結果だった。ユウともエルダとも違う列。下位だ。


 安らぎを与えるもの。

 結局、私は自分の納得がいく形でそれを仕上げることができなかった。苦し紛れに彫り始めたのは果実だった。そう、例の入学試験のときに提出した木彫りの一部に似たもの。

 小鳥たちが啄ばんでいるわけではないが、動物たち、そして人間が思わず手にとって食べたくなるような、かじりつく前に鼻へと押し付けてその香りを楽しむような、そんな甘くて芳しい果実。

 

 だが、それは安らぎの果実としては顕現できなかった。


「俗物的だったかな」


 誰かに何か指摘される前に自分から出てきた、自己防衛的な呟き。私のそれをエルダが「そうかしら」とごく自然に拾う。


「近くで見ずに言うのもあれだけど、ユウさんの造ったあの腕も、リラさんの造った林檎も、宗教的な題材としてよく扱われるわ」

「――宗教的な題材? 今、そう言った? ユウのも、私のも?」

「ええ。腕、というより手のひらは人々を苦境から救うもの、文字通り救いを差し伸べるもの。絡みついた指は救済している最中とも解釈できそうね。それに林檎は……」


 私はエルダの話を聞き流す。

 彼女は私の造った果実について宗教的観点から評したが、そんなつもりでは彫っていないのだ。ユウだってそのはずだ。


 でも……もっとよく考えれば、たしかに安らぎと信仰や教義を結びつける人がいても何らおかしくない。特に国教は普遍性が極めて高く、安息を民に唱えているではないか。

 ゆえにそこから題材を選ぶのが今回の課題において模範的であったのかもしれない……。女神像もまた信仰の上に成り立っているのだからなおさらだ。


 エルダの解釈を聞いたほうがいいのでは、と考え直す頃には彼女の話は一段落していた。


「それはそうと、貴女たちは一位の作品を彫った人を気にしないのかしら」

「ええと、その人はもしかしていつも一位をとっている?」

「いつも、ではないわ。神樹の彫り人の現時点で最有力候補の一人といったところよ」


 最奥列の顔触れはこの二年間変わっていないという。

 いなかった、と言うべきか。いきなり来て十日程度のユウの作品が二位となったのだ。 

 この順位付けを決定するのに時間がいつもよりかかった、そう推測するのは的外れだろうか。


「ユウ、教えて。あなたは一位の作品から安らぎを感じる?」


 後になれば聞くのを躊躇いそうだったので、私は今、確かめることにする。

 ユウの作品よりも優っているとされた一位の作品は複雑な構造物だった。隣の腕があまりに単純な木彫りに見えるほどに。


「うーん……よく見えないから、わかんない。そうだ、肩車したらどうかな! リラ、肩を貸して!」

「貸さないよ。意味ないし、危ないから」

「ユウさん? そ、そんな顔しないで。私だって貸さないわよ」


 ……確かめるのは後にしよう。




 話しているうちに十五分があっという間に過ぎて、候補生が集まったところに、別の職員が数名入ってきた。

 その中で、お面をつけておらずローブの色も黒ではなく薄い灰色である二人が講師だ。 

 すなわち講評をする側の人間。直接は会話したことがないが、見かけたことはある。


 講師それぞれが、下位の作品から順番に評価を要点だけ述べていく。


「ディテールの造りは優秀だが、それだけ。全体を捉えたときに、ただの美味しそうな果実でしかない。それが鑑賞者にとって抗えない飢えに繋がれば、そこにあるのは安らぎとは言えない欲望だ」


 私の作品への講評がまずそれで、もう一人から受けた指摘も大差なかった。結論、二人ともそこに安らぎを感じていなかった。

 悔しいが、反駁する気にならない。


 講評が上位に進むと、私たちは作品に近寄ることを許され、順に上位作品の鑑賞をする時間も与えられた。


「百も千も言葉を連ねるより見れば明らかだ。この作品は安穏をまさに育み、結実せんとしている」


 それがユウの作品になされた講評の一つだった。もう一人の講師がどう言ったか私の記憶にない。ユウの造った腕に見惚れていたからだ。


 指が絡み合ったその二本の腕は台座から上方へと生えているというよりも、宙に浮いている印象を受けた。それは一人ではなく異なる二人の腕であり、手であり、指で、そして安らぎだった。

 それと比べたら私のは、木でできた食べられない果実としか言いようがなかったのだ。


「一時間後、次の課題内容の詳細を掲示板にて発表する」


 講評会の終わりに講師の一人がそう告げた。そして解散となった。私がどこにも進めず、ぼんやりしているとユウが耳元へとその顔を近づけて囁いてくる。


「さっきの話だけどね、わたし、あの木彫りから安らぎって感じなかったよ」

「うん、私も。高尚過ぎるのかな、たぶん」

「コウショウって?」

「ごめん、うまく説明できない」


 理解しているのは、私はこのままではいけないということ。


 次の課題ではこの子の隣に、それも右側ではなく左側に……それを無謀だと諦めるにはまだ早い。

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