預言者
怒り
「俺はあの夜、魔術師とたしかに会話した」
城壁が次第に近づいくる。無言が続く中、俺は王の従者にぽつりとそう漏らした。
王の従者は立ち止まった。俺を見る目は相変わらず無表情だった。
「俺は魔術師とたしかに話したんだ。――お前たちにとってがどうでもいいことかもしれないが」
「そんなことはない。プルコ、聞かせろ」
男はぶっきらぼうにそう言った。
俺は促されるまま、あの夜の出来事を話した。
*
「なぜ、立ち止まったのですか?」
すぐ近くで声がした。辺りは暗闇で覆われているので姿は見えない。しかし声には物理的な質感があった。
「すまない。つい魅入ってしまった」
俺は声が聞こえてきた方に向かって謝った。
「――あなたは人を殺しましたね」
魔術師は静かにそう言った。
「……その通りだ」
絞り出すような声で俺はそう答えた。俺の頭に頭から血を流し虚空を見つめる男の目が思い浮かぶ。
「魔術師殿、あなたは俺を裁くのか?」
俺は魔術師に訊ねた。心のどこかで俺はそれを望んでいた。罪を背負い、生きるのは辛い。その重荷は
「私にその権利はありません。私もたった今、人を殺めました」
魔術師は憂いを帯びた声で俺にそう答えた。
「サマイノは天使になった。死んだ訳ではない」
魔術師は俺のその言葉になにも答えなかった。沈黙が続いた。暗闇が魔術師の気配を奪う。陰府にひとり取り残されたような心地がした。
「――棺持ちよ。あなたは立ち止まり、そのことによって一人の人間を救いました」
魔術師が唐突にそう言った。俺は戸惑いつつ、「魔術師殿、なんのことだろう?俺にそんな心当たりはない」と答えた。
「私の方に棺を向けて貰えますか?」
私は言われるがままに棺を魔術師の方に移動させた。魔術師が身体を動かした。俺の前で跪くのが気配で分かった。何か呟いた。おそらく呪文だろう。
「――さあ、行きなさい」
術が終わると、魔術師はそう言って立ち上がった。私から離れていく。
「魔術殿、どこに行くのですか?」
「私にはまだやるべきことがあります。師から与えられた課題を私をまだ果たしていません。私は今目が開かれ、それを実現する方法を知りました。私が自分の足で橋をわたることはないでしょう。しかし必ずあなたがたのもとに戻ります」
俺にそう言い残し、魔術師は闇に向かって進んだ。
*
「――本来は許されないだろうが、俺は
「お前は勘違いをしている」
王の従者は低い声でそう言った。
「厳密にはサマイノは戻って来ていない」
「だが、ヴォレト王女が戻ったと言ったではないか?」
「ヴォレト王女はたしかにサマイノだ。――先代のサマイノだ」
男の答えに俺は眉をしかめる。
「どういうことだ。意味が分からない」
「それは俺も同じだ。――お前が戻ってきたあと、幾日も待ったが、何も起こらなかった。そんなことは普通ありえない。王は俺たちに調査を命じた。もちろん
俺の両腕に円の中心に置かれていた棺を持ち上げたときの感覚が蘇る。俺はあの時、たしかに重いと感じた……。
「なぜ、棺の中にヴォレト王女の死体が?」
「分からない。――それに言っただろう、ヴォレト王女は眠っていると。王女はまだ生きてらっしゃる」
俺は絶句して、男を見つめた。男は肩をすくめ、小さく首を振ると、「いくぞ」と言って城に向かって歩き出した。
*
城郭都市に入った。街の様子は、以前にも増して荒涼としていた。
道の真ん中で、王の肖像画を焼く煙が上がり、壁の至る所には王族を誹る言葉が落書きされていた。女や子どもの姿は無く、男たちが乱暴な言葉を叫びながら、手当り次第に物を壊し、暴れていた。
「こっちだ」
王の従者は俺に耳打ちすると、路地裏に入った。ほどなくして俺たちは古びた家屋に侵入した。その床に敷かれたラグをずらすと、地下へと続く階段が姿を表した。
「ついてこい」
男はそれだけ行って、階段を降りた。俺は慌ててそのあとを追った。
地下道は城の中へと続いていた。城に近づくと、頭上にたくさんの人々が足を踏みしめる振動を感じた。わずかに怒声も聞こえてくる。
「人々は不満を抱えている。魔術師不在の時代があまりに長すぎるからだ」
王の従者は誰ともなしにぽつりと呟いた。
「――もちろん、実際にはつい最近まで魔術師はいた。だが彼は無力だった。神官はいないも同然だった。そして今回はこのような前例のない事態になった。魔術師はとうとうその寿命を迎えたのだろうか? 皆が王国の行く末を悲観するのも無理はない」
「だが、俺は魔術師が蘇生するのを見た」
「しかし、今、ここにいない」
「……」
「王国民は、ヴォレト王女を引き渡すよう、王に要求している。彼らは全ての元凶は彼女と彼女の母にあると考えている。彼らはヴォレト王女を辱めるつもりだ。――ヴォレト王女の母は、
王の従者の口調は相変わらず、淡々としていたが、しかしどこか悲しみの響きがあった。俺たちの乾いた足音が地下道の壁に反響した。
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