氷像にて瞑目
瑛
01
「残念だけれどあなた死ぬわよ」
目の前の占い師はなんてことでも無いようにそう告げると、つるりと曇りひとつ無い水晶玉を覗き込んで「このままだと、ね」と付け足した。
この春、高校二年生にあがった
商店街から少し逸れた奥まった路地を突き進み、雑貨屋とシャッターの閉まった店との間にある、狭いスペースに置かれた黒布の掛けられた机。
そこに占い師と言われて想像する通りの、目元も口元も隠された、怪しげな格好をした女性が俯いて座っていた。
一回二千円という値段付けは、高いのか安いのか相場は分からない。
立てかけられた看板には『脅威の的中率99.9%!』という怪しすぎる文言が書かれている。
菜奈は机の手前に置かれた丸椅子に座り、財布から千円札を二枚手渡すと、食い気味に「私の片想いって実りますか」と聞いた。
二千円も払って聞きたいのはそれか、と緒麦は呆れ返るも、占い師を見つめる菜奈の眼差しは真剣そのものだ。
占い師は菜奈から名前と生年月日を聞き取ると、水晶玉に手をかざし、しばらく黙り込んだ。
菜奈は水晶玉と占い師とを交互に見つめ、緊張した面持ちでじっと言葉を待つ。
やがて占い師は顔を上げた。
「一週間後、彼の方からあなたに告白してくれるはずよ」
「ほんとですか!?」
「ええ。それまでいつも通りしてなさい」
菜奈は嬉々として頷くと、お礼をのべて立ち上がる。
すると、占い師はすっと人差し指の先を伸ばして、静止の声をかけた。
「ああ、ちょっと待って、あなた」
菜奈ではなく、その後ろに立っていた緒麦に向けられた指先に、菜奈と緒麦は首を傾げる。
占い師は緒麦を指さしたまま、なんてことのないような声色で告げた。
「残念だけれど、あなた死ぬわよ」
「は?」
突然の死亡宣告に緒麦も菜奈も固まって、占い師を凝視する。
菜奈とは違い、名前も、生年月日も、占って欲しいとも伝えていないのに、この占い師は何を言っているのだと、緒麦は隠すことなく不快を露にした。
「何、言ってるんですか」
「死ぬって言ってるの。このままだとね」
占い師は緒麦から水晶玉に視線を移す。なんてことない、普通の水晶玉だ。緒麦が覗き込んでみても、反対側に占い師の黒い服が映り込むばかりである。
菜奈が心配そうに、震えた声で「緒麦が死ぬってどういう事ですか」と占い師に問いかけた。
「そのままの意味よ。何もしなければあなたは死ぬ。でも助かる方法があるわ」
「そう言って何百万もするブレスレットとか買わせるつもりですか?」
「私がそんな馬鹿に見える? 詐欺にかけるならもっと金持ちそうな大人を狙うわよ」
それもそうかと納得しかけたが、ではどうして死ぬだなんて不吉なことを言い出したのか。
占い師の狙いが分からず困惑するばかりである。
「緒麦が助かる方法って、なんですか」
菜奈が緒麦の右腕に強く絡みつきながら聞いた。
「それはね――」
待ってましたといわんばかりに占い師の声色が弾む。
わざとらしく間をたっぷりと溜めてから、
「
と言った。
……ミヤジヒトシトキス?
占い師の言葉をゆっくり聞き返す。
ミヤジヒトシ。その名前で思い浮かぶのは、緒麦と菜奈と同じクラスの、男の子の顔であった。
緒麦は占いをあまり信じていない。
せいぜい星座占いで一位になればラッキー、くらいのものだ。
だからこそ突拍子もないあの占い師の言葉は信じていなかったし、一週間後に告白されるという菜奈への占い結果も、正直なところ半信半疑だった。
そもそも、大きな病気も、死に繋がるような怪我も、今のところしていない。
あの占い師は、医者でもないのだ。医者だとしてもほんの数分外見から見ただけで死ぬような病気が隠されていると分かるはずもない。
だから、あの占いは悪戯かなにか、虚言だ。そう思っていた。
「告白、されちゃった……」
――たった今、この瞬間までは。
「……まじで?」
首やら耳やらまで真っ赤な顔で頷く菜奈に、驚きつつも「おめでとう」と祝福をする。
嬉しそうにはにかむ菜奈だったが、すぐにその顔は浮かないものになる。
「やっぱりあの占い、本当に当たるんだよ」
ちょうど一週間。
信じ難い話だが占い師の言ったことは的中し、菜奈は告白された。
そうなると気になってくるのは『宮地仁とキスしなければ死ぬ』という、緒麦に向けられた意味不明な予言だ。
あの日、到底信じられないと最後まで話を聞かずにさっさと帰ってきてしまったのである。
もしかすると緒麦への予言も本当なのでは、と菜奈は不安なのだ。
だがしかし、菜奈の恋愛と、緒麦が死ぬという占いとでは、色々と部類が違うように緒麦は思う。
「まあ、さすがに偶然でしょ」
それでもなお不安そうな菜奈に、緒麦は安心させるように笑いかけた。
「菜奈が好きな人と付き合えたのは、ちゃんと好きになって貰えるように努力したからだよ。話しかけたり、バレンタインにチョコあげたり、誕生日にプレゼント渡したり、一年の時から振り向いて貰えるように頑張ってたの、ずっと見てたよ」
一年前、入学式の日。
席が前後だったことがきっかけで、二人はすぐ親友のように仲良くなった。
菜奈は高校生にしては少し小柄の女の子で、身長が伸びることを願って買ったのだという大きめのブレザーが、萌え袖みたいになって可愛らしい印象だった。
好きな男の子がいるの。隣のクラスで、委員会が同じで、廊下ですれ違った時に笑顔で話しかけてくれて、それがドキドキするの。と打ち明けた時の菜奈ときたら、それはもう抱きしめたくなるほどに可愛かった。
チョコ渡せたけど友チョコって言っちゃった、だとか、頭ポンポンされた、だとか。時に励まし、相談に乗りながら、一緒にはしゃいで楽しんでいた。
結果、菜奈の好きな人はこうして菜奈のことを好きになり、はれて恋人同士になれた訳だ。
占い師のおかげで付き合えた訳なんて無い。
菜奈の努力が報われたのだ。占い師は、ただ予想をしただけ。それが、たまたま偶然、当たっただけだ。
緒麦は自分にそう言い聞かせ、もう一度「おめでとう」と祝福の言葉を送る。
今度は泣きそうな顔で、菜奈が頷いた。
緒麦が最初に異変を感じたのは、湯船に浸かってひと息ついた時だった。
右足の、つま先の感覚が無い。温いとも、冷たいとも、何も感じない。何とも奇妙な感覚にお湯の中に沈む自分の足先を見つめた。
「……なに、これ」
ぎょっとして右足だけを湯船からだし、浴槽の縁に乗せる。
両手で触れると、足の甲までは感覚があるのに、そこから先はただただ冷たく硬い氷のようになっていた。
文字通り、氷だ。少し角張って形づくられたそれは、向こう側が透け、氷の彫刻のようだった。
半ばパニックになりながら風呂からあがり、身体も拭かずにリビングの扉を開ける。
緒麦の母親がソファに寛ぎながらテレビを観ており、緒麦の慌てぶりに「ちょっと、どうしたの」と驚きの声をあげた。
「お母さんこれ見て!」
緒麦が右足をあげて、氷になったつま先を指さす。
「何? 足痛いの?」
捻挫でもしたのかと首を傾げる母親にはまるで見えていないようだ。こんなにはっきりと、氷になっているのに。
「……ごめん、なんでもない」
青ざめて脱衣場に戻る緒麦の背中に、母親が「本当に大丈夫?」と声をかけたが、緒麦は力なく頷くだけだった。
パジャマに着替えてから床を拭き、後片付けを済ませてから、自室のベッドに寝転がる。
スマホで写真を撮ってみたが、そこには何の変哲もない自分の足が写っていた。
次の日には、氷が足首まで侵食していた。やはり触ると冷たく、それどころかなんとなく動かし難い。
家族には、足の氷が見えていないようだった。
学校について友達や教師とすれ違うも、誰も彼もが緒麦の足の異変に気付かない。
教室に入ると既に菜奈が来ており、いつも通りの笑顔で緒麦に手を振る。
「緒麦おはよ!」
「…………菜奈」
とたんにぼろりと涙がこぼれ、菜奈が焦って緒麦に近付く。
「どうしたの、大丈夫!?」
「うぅ――」
一度出た涙は止められず、緒麦はぼろぼろと顔を伏せて泣き続けた。
ただならぬ雰囲気に他の生徒が集まりだしたので、兎に角静かに話せる場所に移動しようと、菜奈は緒麦の手を引っ張って教室から出る。
屋上が閉鎖されているので、その手前の踊り場に二人で腰を下ろした。
菜奈がゆっくりとした口調でどうしたのかと問えば、緒麦は上靴と靴下を脱ぎ始める。
そうしてあらわになった緒麦の右足に、菜奈は言葉を失った。震える手で緒麦の足首に触れる。
「冷たい……氷?」
「…………見える?」
「緒麦の足、氷になってる……なんで?」
「わかんない。昨日の夜に気が付いて、その時はつま先だけだったのに、今日の朝にはここまで広がってた」
誰も見えてないみたいで、でも菜奈には見えていて良かった。しゃくりあげながら答える緒麦の話を最後まで聞き、それからしばらく考え込んだあと、菜奈が口を開いた。
「宮地君とキスしよう」
「は? ――もしかして、あの占いの?」
「うん。じゃないと、このまま氷になって死んじゃうよ、緒麦」
いいながら、途中で菜奈の瞳にも涙が溢れ出す。
宮地とキスをしなければ緒麦が死ぬ。到底信じられないが、こうして氷となる現象は現実となって襲ってきていた。
「私、緒麦に死んで欲しくない!」
「……私も、死にたくない」
二人で抱き合いながらひとしきり泣いていると、予鈴のチャイムが鳴り響く。
「とにかく、放課後ゆっくり相談しよう」
「うん。分かった」
立ち上がり、手を繋いで階段を降りる。酷く冷えた緒麦の指に菜奈は驚いた。
もしかしたら、あまり時間が無いのかもしれないと思った。
放課後、二人はあの占い師の元へと来ていた。
だがしかしそこはすっかりと空っぽで、立ち竦む二人にを見かねた雑貨屋の店員が、閉店したことを教えてくれた。
緒麦に残された時間や、どうして氷になって死ぬのか、何故宮地とキスをすれば死なないのかなど、色々聞きたいことは山ほどあったのだが、それももう聞けなくなってしまった。
商店街にあるファストフード店に寄り、ジュースだけを頼んで席に着く。
「緒麦は、宮地とどれくらい関わりがあるの?」
「……あんま無い」
思い返すも、宮地とはクラスが同じと言うだけで、挨拶すらまともにしたことが無いように思う。
宮地仁。どちらかと言えば賑やかな友達に囲まれていて、何かの運動部に入っていた気がする。緒麦が知っているのはこの程度の事しかない。
「確か、陸上部だった気がする」
緒麦の持つ情報に、菜奈が付け足しをする。
「あとは、恋人とか居るのかな?」
菜奈の疑問は最もである。もしも宮地に恋人が居たら、キスしてくれと頼み込むのは気が引けた。
そもそも頼み込んでもキスをしてくれるかどうか。
仲良くもないクラスメイトから突然「キスしてくれないと死ぬ」なんて、とんだメンヘラ痴女と思われるだけだ。
身体が氷になる話も信じてもらえないに決まっている。結局、なにをどうしても詰んでいる気がして、緒麦と菜奈は頭を抱えた。
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