第3話 はしごが外された屋根上からの大演説
良識ある日本国民及び全世界の皆さん。
先日、不幸にも大ブーイングを浴び倒された滋賀県東近江市長閣下でありますが、本日10月28日時点におきましては、何とか、着地点を得られたようです。
25日水曜朝の記者会見、おおよそ1時間のものでありますが、まあぼちぼち進んだ感じでありました。
もっとも、それまでには国の関係省庁、しまいには首相まで本件に言及される始末でありまして、トドメは、滋賀県知事や教育長あたりにまではしごを外され、御自身で御登りになった屋根の上からの大演説ともいうべき格好になってしまったと言えましょう。
さて、何より問題なのは、この25日・水曜日の記者会見。
動画を見ておりますと、まあ確かに、一概に悪いとばかりは申しませんけど、いささかへらへらとしながら答えているように見られる、それもどうでもいいところではなく肝心なところでね、そういう印象を受けてしまいましたね。
何より、風(ふう)が悪い、岡山あたりの言葉でして、みっともないという程度の意味でありますが、そう申し上げざるを得ないような状況が出ましたね。
その象徴的なのは、記者各位から「不適切ではないのか」と言われて、「不適切でした」と、観念したのやら開き直ったやらの回答をされたところです。
どうやら、御自身の言葉を「不適切」とは思っていないとお思いなのであろうか、それ以上に、信念をお持ちのようでありますから、不適切と認めただけでもその信念に反するという思いなのか、結果的に、発言の「撤回」は今に至るまでされておりません。
まあしかし、いいでしょう。
閣下は、このように仰せです。
今さら撤回して何になる。
ええ、それはもう、市長閣下のおっしゃる通りでございまして、いまさら撤回したからと言って、配達場であれどこであれ、そこで吐いた唾は呑み込めない。まさにその言葉通りのお話でございます。
撤回しないで、しかし、傷ついた人、不用意にも愚弄嘲笑された形になった方々に対しては謝罪をするという落としどころは、なるほど、であります。
これを、撤回もできないとは何だと、この期に及んで非難を浴びせている声もネットのコメント欄には散見されますが、残念ながら、市長の意見に同調する意見以上に、あくまでも数の上では、あるように思われます。
その価値判断はさておき、それについての愚見は、こうであります。
確かに、ここで問題となったような発言は公の場で「撤回」すれば、一応は、言わなかったこととみなしてもらえます。
まあ、言った以上、そのあと何を言っても、と言われればそうですけどね。
ある気に入らないやつをピストルで殺そうとした。そいつがいたので、早速。
地獄へ落ちろ、バキューン! あ、当たらなかったから今のナシね!
これと同じパターンじゃないですか。
十分、殺人未遂は成り立ちますがな。そうでしょ?
ですから、批判する側にとっても、ここで「撤回」せよ云々の論点に持込むのは、得策とは言えませんでしょうな。
そこでしろ、しない、のやり合いをしても、不毛でしかない。
戦略的に考えたら、ここで戦闘をしても仕方ない場所ですね。
あくまでも、自らの言った言葉を撤回しないうえで、言った言葉についてはきちんと責任を持った状態を保ったうえで、傷つけた相手に対してそのような経緯に至った不徳について、十分反省し、お詫び申し上げるという趣旨で、東近江市長閣下はこの会見中、そのような表現をベースに関係者への謝罪を果されました。
これはしかし、なかなか出来るようで出来ないことではありますよね。
素晴らしいではないですか。
そして市長閣下は、自らの発言で傷ついた人たち、不登校の子を持つ親御さんやその子らのために日々奮闘されているフリースクールを運営している方々に対し、あくまでも結果責任を取るのであるとの趣旨を明言され、その点につき、謝罪の意思を示されるに至ったというわけであります。
すばらしい!
昭和の盆暗保守どもには、こんな芸当、まあそうそうできはしませんでしたね。
一党優位体制のぬるま湯の中、与党筋が与党筋なら、野党筋も野党筋。
同じようなことを誰かが行っていればそれに乗っかっていればいいという、まさにまさに、日本的と言われるそんな雰囲気の中でやれていた時代のようには、とっくの昔にいかなくなった世知辛いこの令和の時代、問題点をきちんと切り分けて自らのお言葉で謝罪会見をされる市長閣下には、本当に、頭の下がる思いです。
まあまあなあなあの通用しないキョウビ、実に勇気ある、勇敢さあふれるお姿に御座いました。私のような三文文士には、ちょちょぎれる涙もさらりと乾くほどのすがすがしさに御座いました。
イッショーケンメイやっていますのヘチマの、そんな能無し雑魚どもより、結果責任をきちんと取り、ま、不適切云々は、もう少し往生際がよくてもよかったのではないかと思わんではない人もたくさんおられましょうけど、その辺の問題点が見られたとはいえ、ワレラの東近江市長閣下は、うまく、落としどころをつけられたという評価をするにやぶさかではありません。
しかも、その席上、東近江市には不登校関連のフリースクールはあるのかという論点に対し、自分のところにはないと答えつつも、教育委員会の事務方より2団体あると言われ、それを率直にも、認識不足でしたと認められました。
いや、自白と言った方がいいのではとおっしゃる方もおられます。ええ。自白というのは自己に不利益な事実の供述ですから、この場合、確かに、自白というのは当たっていると言えましょう。
さて、何だ、このおじさん、案外素直ないい人じゃないかと、そんな印象を抱かれた方もいるのではと思われます。
そりゃあ、そんな、テメエの市にどんな団体があるかも知らないでよくそんなことがホザけたなとお怒りの方もいらっしゃいましょう。
愛情があると言えば、 ためを思って言っていると言えばそれで免罪符になるとばかりに好きなことを述べ倒した挙句、それでも駄目となったなら、知らなかったとへらへらしゃあしゃあと逃げおおせるようなことを述べる、そんな年長者にも何人か出会ってきましたが、そんな年長者らに比べても、この市長閣下、メディアを通して公衆の面前の、一歩間違うまでもなく見るからにつるし上げも同然のこの過酷な環境の中、きちんと火を放って逃げるでもなく、自らの非を即座に認められたではありませんか。
そして、その2日後の金曜日。
遂に、市長閣下の年貢の納め時がやって参りましたね。
フリースクール関連団体の代表者の女性2名と市役所で面会し、きちんと謝罪をされたというではありませんか。
かの代表者各位も、市長の謝罪を受容され、今後とも支援に向け協議を続けていくとの回答を得られたとの仰せです。
謝るなら団体のいる先に出向けとおっしゃる方のご主張も、わかります。
よくよく考えてみれば、本来自分が出向くべきところ、相手にとって冷静になるための時間を稼ぐ趣旨を意識して、自分のほうに出向いてもらったことのある私も、そりゃあ、人のことは言えないですな。
でもまあ、そりゃあ、言いたくもなるわ。
まして、あんな公の場で怒らせるようなことを言い倒されたのでは、ねぇ。
ですが、この際、それは、よろしやろ。
何とか、前向きな着地点が得られたということですからね。
さてワタクシ、そろそろ用事がありますので、また後程、分析を行って参ろうと存じます。
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