第11話 鉢巻の男

 伊藤さんが流れる様に客を捌いて行く。


 「ありがとう御座いま~す。またお越しくださいませ~」


そこに・・・。

客にまぎれて一人の「男」が店に入って来る。

垢で汚れたTシャツに作業ズボン、ゴムの草履を履き頭には「鉢巻」を巻いている。

男は弁当コーナーに急いで行き、チルドケースの前で立ち止まった。

ジ~と商品の一点を見詰めている『鉢巻の男』。


石田はその男を見て静子にそっと耳打ちをする。


 「店長! あの男、ヤリますよ」

 「え? 何」


突然、その鉢巻の男は弁当を一つワシ掴みにして店を飛び出して行く。

石田はすかさず、


 「あ、ヤッタ! お客サ~ン」


石田はその言葉を発するや否や、もの凄い速さで男を追いかけて行く。

店内は一瞬、時間が止ってしまう。

伊藤も呆気に取られ、


 「どうしたんですか?」


静子は気が動転して、


 「マ、マンビキ? え~」


伊藤はこの「洗礼」に驚いて、


 「万引き~?・・・ですか」


静子は龍太郎を見て、


 「ちょっと、オーナー! 石田サンの所に行ってあげて。早くッ!」


龍太郎はまだ空気が読めてない。


 「ありがとう御座いま~す。またお越し下さいませ〜」


静子を見てニッコリと、


 「どうした?」

 「どうしたジャないわよ。早く石田サンの所へ!」

 「イシダ? あれ? 何処に行った?」


静子は呆れた顔で、


 「ッたく、アンタって本当に頼りにならないわね。とにかく外に出て見て来なさいよ」

 「え?」


龍太郎は伊藤を見て、


 「伊藤さん、悪いけどチョット」


龍太郎はズボンのベルトを片手で上げながら店を出て行く。

静子が伊藤の顔を見て、


 「恥かしいわあ。もうちょっとシッカリしている人かと思ったのに」

 「いや、中々ユニークなオーナーさんじゃないですか。僕は好きだなあ」

 「ええ?」


駐車場の隅で石田が鉢巻の男(マンビキ男)を捕まえている。

男は弁当を一気に頬張ったらしく、石田の問いかけに答えられない。


 「お客サン、金払いなヨ。皆、金払ってンだからさ。払ってから喰えよナ」


そこに龍太郎が、頭を掻きながらやって来る。


 「どうした?」

 「万引きっスよ。ッたく」

 「ええ!」


龍太郎は両頬にメシを詰め込んで喋れない男を見て、目を疑う。

一年前の自分の仕事は『日弁連会長の秘書』。

今、オレの目の前に繰り広がるドラマの様なこの現実。

声を掛けようにも、あまりにもかけ離れたこの浮浪者。

龍太郎はそんな男を目の当たりにして、ニーチェ(哲学者)の、『この人を見よ』の中の一節を思い出す。


 『すべての弱者、病人、出来損ないの者ども、自分自身に苦しむ者、すなわち没落すべき全ての者。これこそ真の善人と呼べる者なのである』


まさにこの男こそ、食べる為に生きている、あまりにも人間的な『真の善人』なのかも知れない。

龍太郎は生まれて初めてのこの経験にどう対処すべきか戸惑っている。

と、石田が、


 「オーナー。オーナー、何ヤッテんスか?」


その言葉に我に返る龍太郎。


 「何をやってる? あ! はい」


龍太郎は石田の見ている手前、形だけでも毅然とした態度を取らざるをえない。


 「お客サン! お金は持って無いんですか?」

 「持ってッこないっスよ、こんな男」


龍太郎は石田のその一言に『北風に吹かれた落ち葉が吹き溜まりに集まって行くような侘しさ』を感じる。


 「それじゃ、仕方が無いな・・・」


男は弁当の空容器を握り締めている。

龍太郎は男の握る空(カラ)の弁当容器を見つめて、


 「食べちゃったのかあ・・・」


と、独り言。

石田が、


 「警察呼びましょう!」

 「警察? そうだな~」


石田はジーンズの尻ポケットから携帯電話を取り出す。

と、龍太郎が、


 「あ、チョット待て!」

 「え?」

 「警察に渡したって金が無いんだから」

 「だから?」

 「だから、金は戻って来ない」

 「ダカラ?」


と石田が迫る。


  『だから、ダカラ、だから・・・』


龍太郎の頭の中でその言葉がくるくると回り始める。


 「だから・・・良いよ」

 「イイよって? え〜えッ! だめっスよ。万引きは犯罪っスよ?」


石田の言っている事は正しい。

龍太郎も石田も「見てしまった」。

龍太郎は昔、会長から車の中で法律の説教をされた事を思い出す。


 「ここに居るのは君と私。法律は誰が作るの?」

 「あッ! 先生です」


しかし、それを石田に説いても解(ワカル)はずもない。

龍太郎は、


 「そうだけど・・・。警察に渡したって、こう云う人は直ぐ出て来ちゃうんだ。同じ事なんだ」

 「同じ事って?」


石田の顔を見詰める龍太郎。


 「分らないだろうなあ、君には」

 「放してやるんスか?」

 「うん?・・・うん」

 「そんなあ~、だめっスよお。癖になります! どうせ他の店でもヤッテんだから」

 「クセ? ・・・いいよ。放してやれ」

 「え〜? でも、レジの金(カネ)が合わなくなりますよ」


男はようやく口の中の物を飲み込んで、垢まみれの腕で鼻汁を拭いている。

それを見て、


 「俺が出すよ」

 「ええ!・・・良いんスか?」

 「だって、こう云う人は食べなかったら死んじゃうだろう。ヒト、一人助けたと思ば何て事ないじゃないか」


石田は残念そうに舌打ちし、


 「チッ、オマエ本当に運が良いな。他の店だったらこうはいかないぞ。このオーナーに感謝するンだな」


石田は捕まえていた男の薄汚い作業ズボンのベルトから手を放す。

逃げる時に脱げてしまったのか、片方だけのゴム草履を履いてトボトボと去って行く。


 「アイツ、また来ますよ」

 「来ないよ」

 「来ます! この店で甘い汁をすったから」

 「甘い汁か。来たら廃棄の弁当でもくれてやろう」


石田は驚いて、


 「え〜! そんなあ〜。だめっスよ、そんな事したら。ウチの店、プーだらけに成っちゃいますよ?」

 「プーだらけ? でも、あの廃棄の弁当を毎日捨てるよりは、バチが当たらないだろう」


龍太郎と石田が店に戻って行く。


 「やっぱ、オーナーって変ってますね」

 「変ってる? そうかな。変った店に変った客、も一つオマケに変ったオーナーか? ハハハハ」


石田は龍太郎を見て、


 「笑い事じゃないっスよ」

 「あ、石田サン、この事、店長には絶対内緒にしてね。これが知れたらオレ、店をクビにされちゃうから」

 「ええッ!・・・言っちゃおうかな」

 「言ったら時給下げるぞ!」

 「嘘ですよ。口が裂けても言いません」


 ダストボックスの上で『雉トラ』が二人を見ている


店内は一日の内で一番忙しい時間が過ぎている。


 静かに成った店に龍太郎と石田が戻って来る。

静子が二人を見て、


 「ご苦労さま。どうだった?」

 「おお、石田サンが見事に捕まえてくれた」


静子は石田を見て、


 「さすがイッちゃんね。で、お金は払ってくれたの?」

 「そりゃあ。あ、あの弁当って何だっけ?」


龍太郎は石田の顔を見る。


 「ええ?」

 「あ、いや。あの人、何食べてたモノ?」


石田は腹立たしく、


 「デラックス幕の内! 五百円と消費税」

 「おお、そう。そうだったね」


龍太郎はポケットから小銭を出し、


 「ハイ、五百五十円ナリと。店長、これ打っといて」


何か納得ゆかない表情の静子。


 「あれ? 伊藤さんは」

 「帰ったわよ」

 「なんだ、ゆっくり話しでもしたかったのに。しかし、コンビニって忙しい仕事だね。シーさん、よくナナなんかで三年もやって来られたね」


 「シーさん? って誰っスか」

 「うん? ああ、店長の名前」

 「ええ! 店長、シーさんて云うんスか」

 「そう。静子だからシーさん。でも石田サンは店長って呼んでね」

 「も、もちろんっスよ」

                          つづく

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