第23話 夏の舞踏会 やっと始まる

 閉まった扉の前で、ナナとイオリティは仲良くへたり込んだ。

「さ、急いで準備して。せっかく成功したのよ」

 ヘレナが小声で二人を促す。

 声を出す気力もない彼女たちを立たせ、さっさと公爵家の控室へ追いやるヘレナはちらり、と王太子を見た。

「あの方のところへ、侍女を呼んでくださいませ」

 冷たい不遜な言い方になったことは否めない。ただ、呆然とした王太子がそれに気付く様子はないようだったし、役立たずと罵倒したり蔑んだりしないだけ感謝してほしいものだ。

「ああ、わかった……。この度は助かったよストラディア嬢、ありがとう」

「ええ、感謝は受け取りますわ。全てはイオリティのおかげであることを、お忘れなく」

 光魔法を掛けてヘレナの姿を透過させ、恐怖の超常現象ポルターガイストを演出して奇抜なドレスを駄目に出来たし、魔法使いだったかフェアリーゴッドマザーだったかに成りきったイオリティがサンドレットにまともなドレスを授け、さらに姿を透過したナナが強引に着替えさせた。

 ヘレナがノリっノリで壁にリボンはナナが回収したので、後は王宮侍女を呼んで掃除とサンドレットの化粧直しを頼んでおけば良いはずだ。

 王太子は、目頭を揉みながら侍女を呼びに行った。その手にはイオリティからの贈り物の箱がしっかり収まっている。

(ちゃっかり受け取ってたのね。遠慮しろって言いたいけど、イオは嬉しかったんでしょうから、文句は言えないわ。ーーけれど、本っっ当、役に立たないわね!優秀な王太子って評判、少し……いえ、結構誇張されてるのかしら。まあ、サンドレットが人智を超える非常識な生き物ってこともあるのかもしれないけど。それにしても、もう少しイオを気遣うとかすれば良いものを……!)

 思わず舌打ちしそうになったヘレナは、ふらふらな二人を部屋を警備する騎士に扉を開けさせて、中へ押し込んだ。

(本来、イオがここまでする理由はないと思うんだけれど……)

 仄かな恋心と己の義務を抉らせた親友イオリティを見つめる。

 ドレスの件も馬車の件も控え室の件も……サンドレットは常識を覆し過ぎてしまった。

 騒ぎになっていないのは、偏にイオリティ達の努力の賜物だ。

 下級貴族には密かな醜聞として広まるが、今更だ。自業自得なのだし、この程度で済ませられたことに感謝して欲しい。下手をすると、国の恥として王家から処罰が下されるところだったのだ。

「イオ様……。これ、成功して、本当に良かった、です、よね?」

 ナナの下がった肩が疲労感を漂わせている。

「……そうね、成功した、のよね?」

 お疲れ様、とここで解散出来ればとてもすっきりするだろうがそうもいかないので、取りあえず立ち上がったイオリティはふらふらと控え室の奥へ向かう。

 待ち構えていた侍女達に捕まっても抵抗する気力もなく、為すがままだ。

「舞踏会、まだ始まってもいませんよね」

 何でこんなに疲れなきゃいけないのか。

 ナナは自分が参加する側でなくて良かったと思った。

「そうね。始まっても、気を抜けないでしょうね」

 ヘレナはそっとため息をつく。

 ドレスは取り替えさせた。だが、会場には問題の権化である王妃もいるし、サンドレットの人格が矯正されたわけでもない。

「問題は無くなった訳じゃないわ。減って良かったけれど」

 ヘレナ個人は、サンドレットを不参加にしてしまった方が解決になるのでは、と思っている。何なら王妃も急病に倒れて一服盛ってしまえば……。

(けれども、イオは国のことを考えているのよね)

 国の威信を損なうことはさけたい、と。

(武力だけなら、我等辺境四家がある限り他国に負けることはないわ。……政治的に、外交的に国そのものを揺るがされたら、その限りではないでしょうけれど)

 公爵家の侍女がヘレナにお茶を出す。ナナは奥の侍女の待機部屋へ下がるように言われて移動した。

 




 舞踏会の会場では、ひそかにサンドレットのドレスが話題になっていた。

 王家はあのまま人前に出すのか、取り換えるのか。王妃の支援であのドレスなのか。サンドレットの趣向であるのか――。

 様々に取りざたされる中、王太子と妃候補の入場が告げられた。

 王太子の両サイドにいるのは紫のドレスを着た二人。

 銀糸の折り込まれたチュールや刺繍レースで上品かつ華やかな装いのイオリティと、プリーツの隙間から金糸の豪華な刺繍がちらりちらりと見え隠れし、可愛らしく目立つ首飾りを着けたサンドレット。

 会場の空気がざわり、とゆれた。

「やはりドレスを……」

「……さすがにアレはなかったからな」

「良かったわ。素敵な……え、カスリットーレ公爵令嬢のご配慮?まぁ、さすがですわ」

「まあ、……わざわざお手配を……」

 下位の貴族から少しずつサンドレットのドレスを用意したのはイオリティであると話が広がっていく。

(私ができるのは、このくらいだけど……サンドレット脳みそお花畑が単に称賛されるだけなんてありえないでしょう?)

 ヘレナはにんまりと微笑んだ。

 自家に仕える下級貴族にしれっと噂を流す様に指示し、そこからじわじわ高位の貴族に広がっていくのを眺めていくと、コンタスト伯爵夫人にまで話が届いたようだ。

「ええ、本当にカスリットーレ公爵令嬢のご厚意には、感謝しかございませんわ」

 優雅におっとりと夫人は微笑んだ。あくまでそれが予定通りであり当然のことである様に。

(流石だわ)

 壇上では国王陛下夫妻が入場して玉座の前で止まったところだった。

 会場にいた全員が陛下に向き直り、礼を執る。

「楽にせよ。今宵はよくぞ集まってくれた。只今より、夏の舞踏会を開催する。まずは、国外からお越しいただいた方々を紹介しよう――」

 紹介される来賓に微笑み続ける壇上のイオリティ達。

「さあ、皆、今宵も楽しんでくれ」

 王の声で曲が流れ始める。ダンスの時間だ。

「では、よろしく頼むイオリティ嬢」

 王太子がそっと差し出した手をイオリティが取った途端。

「――あら、せっかくなんだからサンドレットと踊ったら?」

 王妃の浮かれた声が響いた。

「は?」

 王太子が何を言っているのか、という顔で王妃を見やる。

 会場は凍り付いたようになり、来賓は面白そうな目つきを隠せずにいた。

 期待に満ちた眼差しのサンドレットが視界の端に映っているが、王太子は首を振った。

「王妃殿下。まずはイオリティ嬢と踊ることを決めております」

「まあ、ユアン。決まりなどにとらわれてばかりではだめなのよ」

 ぶわり、と王妃からくすんだ紫の光が放たれた。庭園で見た時よりは幾分か薄くて弱弱しいが、間違いなくアレだ。

(気持ち悪っ!)

 どうにか笑顔を保ったまま、イオリティは心で叫びそれを打ち払おうと左手を動かした。

「しかし、王妃殿下……」

 王太子が反論しようとした途端、その光が突然サンドレットに吸い込まれていく。

(……っ!?)

 驚きで引き攣りそうになる表情をどうにか固定しつつ、そっと横を見るとサンドレットは何もなかったかのように期待を込めた眼差しのまま王太子を見つめていた。

 不自然にならない様に手を降ろし、イオリティはサンドレットを見る。

(吸い込んでいる?)

 周囲のくすんだ薄い紫の光が少しずつ彼女に吸い込まれているのは間違いなかった。吸い込まれなかったいくつかはどうやら来賓に降りかかったようで、数人が王妃をうっとりとした表情で見始めた。

(どういうこと?光の魔石があるのに、あの紫を全く防げなかったなんて)

 だが、自分と王太子には紫の光は寄ってこなかった。

 じっと見てみると、サンドレットのアクセサリーに着けられた光の魔石がくすんだようになっている。そして、まったく様子の変わらないサンドレット。

 心臓がばくばくと忙しなく打ち、背中に汗が伝うのが解った。

(うそっ……!魔石が、力を失っている?)

 かなり力を込めて作ったものだ。王妃と1週間ほどべったりいてもくすみさえしない程のものだと思っていた。

「まあ、遠慮しなくていいのよ」

「遠慮などしておりません」

 きっぱりと断る王太子に、王妃はむっとしたようだ。

「わがままを……」

「そこまでにしなさい。非常識なことを言うのはやめなさい、王妃」

 王が諫めると、王太子はイオの手を引いた。

「行こうか、イオ」

「ええ」

 動揺を隠して微笑んだイオリティは王太子に導かれて会場の真中へ進む。

「やめろ、王妃」

 口を開きかけた王妃を、再び王が止める。

 ぎろり、と夫を睨んだ王妃は何かを呟いたが、誰も答えなかったためにきょろきょろと周りを見回し、不可解そうに眉をひそめた。

「ユアン様……」

 悲しそうにつぶやいたサンドレットの足もとから、じわりとピンクがかった紫色の光がにじみ始めた。

「母が済まない」

 ダンスの体勢を執る人々の真ん中で向き合った王太子が、小声で謝罪の言葉を囁く。

「いえ」

 誘導のメロディーが終わり、二拍の休止の後に舞踊曲が始まった。

「この間から、迷惑をかける情けない姿を見られてばかりだな……。どうか、見限らないでほしい」

 笑顔を保ちながらも小声で乞うように囁かれ、イオリティは顔を赤くしない様に必死に気を引き締めた。

「庭園でのことも、本当は利用するつもりなどなかった。相談しようと思っていたのだが、あそこまでひどくなっていると思わず、迷惑をかけてしまうことになった」

「そうですか」

 笑顔を保ったまま、イオリティは王太子を見つめた。

(どこまでが本当かは分からないけれど、ただ利用するつもりではなかった、ということなのかもね)

 王太子の言葉を信じ込もうとする心を押し込める様に、客観的に考えようと微笑みに力を入れなおす。

 くるり、とターンをして再び見つめ合ったその視界に、ピンクっぽい紫の光が映った。 


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