121、捕まった先の協力者と、侵入者




 ※※※




「そら、飯だ。いつも通り、食べ終わった皿はその穴においておけ」

「……これ以外ないんですか?」

「言うに事欠いて言うことがそれか。融通を利かせたいなら要求を呑むのが筋だろうに」


 銀のプレートの上に、黄色くて四角い固形物二本と仕切りの中をみっちりと埋める薄ピンクのねっちょりした何か。そして端に添えられた蛍光紫でゼリー状のもの。

 もう見飽きてしまった面子である。が、カゲロウはそんな俺のうんざりした顔に「食えるだけありがたいと思え」とでも言いたげであった。

 諦めてスプーンを取り、ねちょねちょの塊に突き刺す。幸か不幸か、味だけはまともなのだ。その分、触感の違和感がすさまじいことになっているが。


 ミラクロと思わしき国が未来都市を抱えるSF世界と知ってからひと月。俺は軟禁生活を余儀なくされていた。動き回れるのは無機質な部屋の中だけで、身体の拘束こそされていないものの、自由は無いに等しい。

 どうやらフレイラは俺がエイドリックを返すまで、この部屋に閉じ込めるつもりらしい。


「それとも、ようやく頷く気になったか」

「だからできないって言ってるじゃないですか」

「なら、この話は終いだ」


 俺に許されているのは部屋の中で好きな姿勢でいることと、三食の食事、部屋に備え付けられている洗浄用の機械で身体を清めることくらいだ。生前であれば寝ているだけで三食出てくるなんて天国だろうと思っただろうが、今は状況が状況である。ライゼたちにあれ以上の手出しはしていないと聞いているが、エイドリックを取り戻すために襲撃してくる連中だ。本当かどうかわかったもんじゃない。

 要求を呑まないと知るや否やとっとと会話を切り上げて去っていくカゲロウにため息をつく。食事を渡すときですら扉を開けない徹底ぶりだ。今日こそは会話をと思っていたのだが、取り付く島もない。


「ちょっとは聞いてくれたっていいだろ……ったく」


 耳に痛い静寂が嫌なあまり習慣化してきているひとり言をこぼしながら、マニュアルのページをめくる。女神にしか見えないとはいえ、フレイラに取り上げられる可能性は十分にあっただろうに、これが没収されなかったのは運が良かった。娯楽のあるなしでは気持ちの楽さが大分ちがう。

 誰も見ていないことをいいことに、もう読みすぎてそらんじられるレベルになってきたページを読み返す。


「幸福が約束された国……」


 幸福の女神フレイラに幸福を約束されたこの国は、住めば必ず幸せになる、らしい。技術や福祉関連は他の国に比べて頭ひとつ抜けていて、その評判からここを目指す者は多いとのこと。

 ささくれ立った気持ちになる。

 あんな、目的のために容赦なく襲撃してくるような奴らが運営する国が良いものか。

 すごいやばい完璧とミラクロを褒めたたえるページをざっと飛ばし、ミラクロに連れてこられてからまたページを増やした転移者プロフィールで手を止める。さすがにもう驚かない。近づいたときに増えるとか、そんな仕組みなのだろうか。


「せめてカゲロウの弱点とか、書いてありゃ良かったんだけどなあ」


 ページにカゲロウの名前を見つけたときは、燃垣江利瀬のときのように弱点を見つけられるんじゃないかと思ったが、そんな期待も早々に散ってしまった。どんなに目を通しても元凄腕の忍者ということくらいしかわからなかったのだ。


「若くして頭領に。任務は必ず成功させる。仕事には厳格で……」

 

 駄目だ。本当に忍者なんていたんだ以外の感想がわいてこない。

 マニュアルを閉じ、眉間を揉む。気が滅入る空間だ。床との境目がわからないくらい真っ白でピカピカの壁は妙に圧があって、迫ってきて押しつぶされるんじゃないかと空想してしまう。居心地が悪くて、息が詰まる。

 このままここにいたら、本当にどうにかなってしまうんじゃなかろうか。

 この部屋に入れられてからのお約束の思考回路。嫌でも弱気に傾き始めてしまう頭。

 が、そんな思考を読んだかのようなタイミング聞こえてきたノックの音に、俺はハッとなって背筋を伸ばした。

 昼だと思っていたのに、ずいぶん時間がたっていたらしい。


「お休み中だったかしら?」

「いえ。大丈夫です、マリエラさん」


 部屋の前に感じる人の気配。扉は開けられないため顔は見えないが、今日も護衛ふたりと一緒に立っているのだろうと予測する。

 部屋の真ん中に座ったまま扉越しのくぐもった声に返答すると、壁に埋め込まれているらしいスピーカーからぶつ、と音が鳴り、明瞭になった彼女の声が聞こえてくる。


「ごめんなさいね。今日は遅くなってしまって……。体調はいかがかしら」

「いつも通りです。けど、食事には少し飽きたかもしれません」

「まあ、ふふ。調理監督にフレーバーを変えるように伝えておくわね」


 控えめに笑い声をあげたマリエラさんにぽつぽつと言葉を返し、会話を楽しむ。内容はなんてことない。今日の天気だとか、何を食べただとか、他愛無い世間話だ。ただそれだけでも閉じ込められてまともな会話に飢えている俺にはありがたい。

 マリエラさんはこの国に来て初めて出会った話が通じる人で、俺が閉じ込められてからほぼ毎日、夕方という決まった時間に訪ねてくる。最初こそ警戒したものの、俺の問いに真摯に耳を傾けてくれる様子とこちらの要求を叶えようとしてくれる姿勢に、それが薄れるのは早かった。


「話してみたんだけれどね、やっぱりあの子、やめる気はないみたいなの。エイドリックのためだって聞いてもらえなかったわ」

「……そうですか」

「ごめんなさい。できないとは言ったのだけれど」

「いえ、伝えてくれてありがとうございます」


 マリエラさんの言うあの子、とはフレイラのことを指す。

 曰く、母親代わりなのだという。

 初めて会った際に母親のようだと言われ、以降フレイラの元で親代わりになっているのだとか。

 俺の返事に眉根を寄せているであろう彼女は重たいため息をついた。


「……駄目ね。あの子の母親なのに止めることすらできない。あなたは何も悪くないのに」

「マリエラさんのせいじゃないでしょう。それにこうして話を聞いてもらえるだけでありがたいですし」

「そう? ふふ、あなたってやっぱり不思議。閉じ込められているのにそう言えるなんて……やっぱりカゲロウから聞いた通りの方とは思えないわ」


 カゲロウが何を言っているかは大体想像がつく。どうせ強情だとか反抗的だとか自分の力量をわかっていないとか何とか好き勝手言っているのだろう。「目に浮かぶようです」と返せばマリエラさんは控えめに笑った。


「女神とは知っているけれど、普通の良い子としか思えないし……それに、私には、その、カゲロウのほうが……」


 そこまで言いかけて、マリエラさんの声が途切れる。何かをうかがうような、恐れているかのような間があって、それから彼女は小さく言った。


「……怖いわ」


 さっきまでとは打って変わってぼそぼそと呟くような声だった。護衛は何も言わないが、その無言が余計に空気を重くしている気がする。

 マリエラさんは「ごめんなさい」と続けて言う。今日聞いた三度目の謝罪。


「でもやっぱり、私怖いのよ。カゲロウといる時のあの子は、まるで人が違うみたい……。あの人にそのつもりはないのかもしれないけど、ひょっとして悪い影響を受けてるんじゃないかって」

「悪い影響、ですか」

「強引なところもあるけど、あの子は良い子よ。間違っても誰かを閉じ込めたりするような子じゃないわ」


 被害を受けた立場としてはその「良い子」という評価には頷きがたいが、それでも母親代わりとして心配という考えは理解できた。あの歩く暴力装置みたいな忍者は、親としては子供の傍にいてほしくないタイプだろう。

 話しているうちに、潜むようだったマリエラさんの声は徐々に高くなっていく。一度言ったら止まらなくなったのか、いつもより興奮した様子だった。


「……いや、もしかしたらそういう考えをするように誘導されているんじゃ……!」

「ま、マリエラさん?」

「……あなた、確か転移者を帰すことができるのよね?」


 スピーカー越しに、意を決したのがわかった。マイクに近づいたのか息を吸い込む音が聞こえ、マリエラさんが何かに駆り立てられるように口を開く。


「お願いよ。カゲロウを、」


 が、その言葉をけたたましいサイレンの音が遮った。知らずとも何か異常事態が起きたのだと察せられるその激しさに思わず立ち上がって周囲を見渡す。突然のことに面食らったのはマリエラさんも同じらしく、マイクにぎりぎり乗った声が戸惑っている。


「な、何?! 一体、何が──」


 声が途切れた。そして続けざまに聞こえる激しい物音と短い悲鳴。マイクが床に落ちたのかごつっという音をあげてスピーカーが沈黙する。


「……マリエラさん? 大丈夫ですか? ちょっと!」


 何かが起きたのは明白で、俺は慌てて扉に耳をつける。が、その冷たさを耳に感じた瞬間、空気が抜けるような音がすると同時に、俺と向こう側を遮るものが突然なくなった。

 寄りかかるそれがなくなったことで俺の身体は床へと傾き、しかし床と衝突する前に支えられた。

 視線の先には薄汚れた靴を履いた足がある。

 恐る恐る顔を上げると、まったく見覚えのない顔が、眩いばかりの笑みを湛えて俺に言った。


「細かいことは後! さあ、逃げよう!」


 久しぶりに出た部屋の外では「侵入者あり」の叫び声が、あちこちで響いていた。


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