第81話 これはどこにでもある平凡な恋の話①

「平凡な恋を応援してみたいぜ」


 そいつは無理だ、アキラメロン。


 ランドソープ王国エライマン領へと移転したピンクの塔。

 休息宿ラブホテルが入っているダンジョンの最上階層マスタールームでは。

 今日もダンジョンマスターのアイトが退屈そうに何かを呟いていた。


 この男。

 そこそこ顔は良いのだが常日頃から目が眠たそうなので退屈そうに見えるのはいつもの事である。


 念の為の補足として呟いたとは言ってもSNSなど存在しない世界なのでお口からお漏らししているという意味である。

 作ろうと思えばダンジョン内限定SNSも作る事は可能だろうが。


「平凡、ですか?」


 アイトの呟きを拾ったのはアイトの秘書を務めるヒショである。

 特に秘書らしい業務などは行った事が無く、常にアイトの傍にいてヨイショしたり酒を煽ったりするだけだ。

 今は幻の芋焼酎を一升瓶で直飲みしている。

 生まれてこのかた酒に酔った事はない。


「そう。平凡だよ、平凡。ちんちんじゃないんだぜ?」


 一体何処に掛かっているのか?

 ヒップの一文字しか合っていないじゃないか。

 その二つの単語を聞き間違う者など世界広しと言えども存在していないだろう。


「ちんちんじゃなかったのですね」


 一人だけ存在した。

 アイトの直ぐ傍に一人だけ存在した。

 最早ヒショはアイト補正が掛かり過ぎているのかもしれない。

 それだけ長い長い時間を共に過ごしているのだから仕方が無いのかもしれないが。


「実はそうなんだよ。平凡なちんちんと言えば外の世界のちんちんって案外包皮に包まれてるのが多いんだよな。仮性人が多くを占めると言うか。はっ!まさかここは火星だったのか!?いつの間にサイエンスフィクションが展開されていたというのだ!?」


 全然違う方向に話が展開されて平凡な恋については川下へと流れて行ったらしい。

 トイレの大の方と例えても良いだろう。


 、、、


 今日も休息宿ラブホテルでは平和な日常が展開されている。



「平凡な恋がしたいわ」


 ここはエライマンの街中にある市場。

 一人の女が何やら呟きながら市場を見て回っていた。


 肩までの茶色い髪に茶色の瞳。

 生成り色の貫頭衣を着た平々凡々とした女である。


 女は平凡な恋がしたいと言い。


「何処かに素敵な王子様が落ちていないかしら。平民だと思っていたら実は一国の王子様だったみたいな」


 それは最早平凡でも何でもないだろう。

 そんなの恋愛小説でしか有り得ないストーリーなのだが。


「幼馴染が実はお貴族様の隠し子だったってパターンもアリね。貴族家に迎えられたけれども、どうしても私の事が忘れられなくって迎えに来てくれる。みたいな。」


 どう考えても夢を見過ぎである。

 平凡は何処に行った。


 女の名はシャロン。

 シャロンは既に20歳を超えている。

 夢見る少女の歳じゃない。


「一つ下さいな」


 シャロンは露店でパンを一つ買い。

 銅貨を5枚渡して受け取った黒パンを口に咥えた。

 厚切りの硬い黒パンを咥えながら市場を歩くのが最近のシャロンのトレンドである。

 パンを咥えながら歩いていると、何だか素敵な出会いに恵まれそうな気がするのだ。

 何かの物語で聞いた様な話ではあるのだが。


 咥えているパンが分厚過ぎてシャロンは全く前が見えていない。

 何故そんなにもブロック状のパンを選んでしまったのか。

 それじゃあ素敵な出会いの前に屋台にぶつかって咥えた黒パンをロストするのが目に見えているぞ。


 シャロンは平凡な恋を求めているが、少々。

 いや、かなりの変わり者である。


 そして器用にも誰にも何にもぶつからず市場を3周したシャロン。

 何故こんなにもパーフェクトなレースを展開出来るのであろうか。


 この女、素敵な出会いを求めて毎日市場に入り浸っているので地元の人間にはお馴染みな存在なのだ。

 故に誰も近付こうとしないし、最早自宅の様に完全にコースを把握して歩く事が出来る。


 シャロンは地元民にほんのりと恐れられるヤベェ奴である。

 幼い子供を持つ親は「あの女の人に近付いちゃいけないよ」と必ず注意をするのだ。


 だっていつ見ても黒パンがビショビショだし。

 口から顎にかけて涎塗れだし。

 服の首元にシミが出来てるし。

 あんなの絶対近付いたらいけないやつだし。


「へーほんはほひはひはひは(平凡な恋がしたいわ)」


 今日も近所の子供達から黒パンおばさんと呼ばれるシャロンは、ビショビショの黒パンを齧りながら家に帰った。

 今日は結構粘ったので既に日暮れの時間である。


「お母さん、今日はご飯食べて来たからいらない」


 家に入ると竈で料理を作っていた母親に夕食は済ませたと伝えて。


「あんたまたパン咥えてウロウロして来たのかい?娘が黒パンおばさんなんて呼ばれてて母さん悲しいよ」


 母親は悲し気な顔で目を擦り。


「母さんはわかってないね。私はまだ若いんだから黒パンおばさんと私は別人よ。そうに決まってる」


 シャロンは自信満々に言い切った。

 どうやら黒パンおばさんの蔑称について認識はしているらしい。

 それが自分の事だとは露程も思っていない様子だが。


「あんた以外に誰が黒パンなんて齧りながら歩くのさ!その首の所のシミも洗うの大変なんだからね!馬鹿な事やってないで真面目に結婚相手探しな!あんたもう23だよ?いつ結婚するのさ!今でしょ!」


 母親がヒートアップして掴みかかって来たのをひらりと躱して足を引っ掛け転ばせたシャロン。

 何だこの女。

 自分の母に向かってやっている事が最低じゃないか。


 ゴツン!


 しかし転びながらも見事な身のこなしでシャロンの顎にスコーピオンキックを極めた母親。

 シャロンは脳が揺れてその場で失神し。

 そのまま夕飯のスープを胃の奥へと流し込まれたのであった。


 娘の体を心配する母の優しさである。


 翌朝。

 アイトの前世風に言うならばダイニングの床で目を覚ましたシャロン。


 どうやら母親のスコーピオンキックを食らって気を失っていたらしい。

 シャロンは首を振ってダメージが残っていないかを確認すると、首元にシミが出来ている貫頭衣を脱いで下着姿のまま井戸の水で洗濯する。

 普通下着姿で洗濯なんてしていたら近所の噂になりそうなものだが、見慣れた光景なので誰も何も言わない。

 シャロンの奇行を噂話にして楽しく語らう時期はとうの昔に過ぎ去ったのだ。


 洗濯を終えたシャロンは全体がビショビショになった貫頭衣を。


 頭から被って着用した。

 何の問題もない様子で平然と着用した。

 シャロンは母親に顎を打ち抜かれた衝撃によって気付いてしまったのだ。


 最初から濡れてれば首元が濡れる心配なんてしなくて良いじゃん、と。


 シャロンは23歳にして、また一つ賢くなったのであった。


 今日もシャロンは市場を歩く。

 顔を覆い隠す程に大きなブロック状の黒パンを齧りながら。

 露店や屋台を開いている者達から、邪魔だから何処かへ行ってくれないかなぁなんて事を思われながら。

 通行人も絶対にぶつからない様にと広く道を開けられながら。


 シャロンは今日も市場を歩き。

 今日の市場13周目。


 ドンッ


「きゃっ!」


 何かにぶつかってシャロンは何だか普通の女の子みたいな声を出して。

 ぶつかった衝撃でバランスを崩して転びそうになり、ブロック状の黒パンが宙を舞った。


「失礼お嬢さん。怪我は無いかな?」


 しかしシャロンは腰を抱かれて転ぶ事は無く。

 黒パンも空中でキャッチされて事なきを得た。


 シャロンに声を掛けたのは40代ぐらいの渋いナイスミドルであった。


 シャロンはナイスミドルとのあまりにも理想的な出会いに胸が高鳴るのを明確に感じて。

 頬が熱くなっていく感覚を覚える。


 平凡な恋を求めて彷徨い歩いていたシャロンは。

 遂に運命と思える相手との出会いの時を迎えたのであった。

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