第四章 祝祭の波乱
23 脱出後、サフィルス宮殿にて
黒雪月も半ばに差し掛かり、帝都グレイスローズには今季初めての雪が降った。
サフィルス宮殿自慢の庭園もうっすらと雪化粧が施され、常とは異なる美しさを誇っている。
「……はあ」
紅のカメリアの花弁に寄り添うように白の雪花が寄り添うさまを眺め、エリーシャは嘆息した。自分が落ち込んでいる場合ではないのに、と何度目かわからない叱咤をする。
宮殿の長い廊下を行ったり来たりをしながら、エリーシャはある人物を待っていた。診察を終え、ユーリスの部屋を出てきたところで、偶然ばったり出くわしたという体で話しかけよう、などと目論んでいたのだが、背後から「フォレノワール嬢?」と先んじて声を掛けられてしまった。
「このようなところでお待ちになっていたのですか。お寒かったでしょう」
「い、いえっ、待っていたというわけではなく……ええっと、その、申し訳ありません……」
エリーシャの待ち人であった皇宮の侍医はふっとやわく笑った。
「それで……殿下の具合はいかがでしょうか」
ユーリスと地下室に閉じ込められ、救出されてから三日が経過していた。
エリーシャがこうして偶然を装って診察が終わるのを待っているのも毎日の恒例で、投げかけられるのは同じ質問だが面倒がることもなく答えてくれた。
「随分良くなられましたよ。先ほどお休みになられました」
「そうですか……」
「フォレノワール嬢も、大変でしたね。何かお困りのことはございませんか」
ほっと息を吐いたエリーシャの手に侍医の視線が吸い寄せられる。
ドアを激しく叩き続けて傷ついた右手には包帯がぐるぐると幾重にも巻き付けられている。大げさな処置だとは思うのだが、傷だらけで血まみれの手を見てメイドは悲鳴を上げたし、大いに嘆いたので仕方がないとあきらめて好きにさせた。
「ええ、あの……おかげさまで、わたしはいたって健康なのです。ただ、殿下に申し訳なくて……」
「あなたがそのように罪悪感をおぼえる必要はありませんよ。凍えるような寒さの地下室で、自らの衣服を脱いで殿下に差し出し……ご自身は血まみれになりながら、助けを求め続けたのです。フォレノワール嬢のことを賞賛する声を宮殿のあちこちで聞いていますよ」
第二皇子とその婚約者が地下室に閉じ込められた騒動は、瞬く間に帝都中に広まった。
前代未聞の事件の発生を受けて、犯人探しはすみやかに行われた。己の息子にさほど関心がなさそうな皇帝も、自らの居所である宮殿で悪意のある「悪戯」が行われたとあっては、さすがに面子が潰れたようだ。
ヴェルテット宮殿中の使用人などの関係者が集められ、皇宮警ら隊の取り調べを受けた。厳しい尋問にもかかわらず、怪しい人物は浮上しなかったようだ。
おそらく、このまま犯人不明のまま立ち消えになるか、哀れなものが身代わりとして処罰されることになるだろう。
「救出が遅れれば――あなたの処置がなければ、どうなっていたことか。ユーリス殿下は幼いころからずっと、胸のご病気を抱えておられますので」
「あの……わたしがユーリス殿下のご病状をうかがっても、よいのでしょうか」
「もちろんです、あなたのことを殿下は信頼されているようですから……知ってもらいたいと思っているはずですよ」
そうだろうか、ユーリスは弱いところを見せるのを嫌がりそうな気もする。余裕がなくても余裕がある振りをする。平気じゃなくても大丈夫だという。嘘つきで……格好つけなのだ。
「この季節は乾燥もひどく、急に一気に寒くなりますからね。ユーリス殿下はいつも激しく咳き込まれて……今年はあなたがいらっしゃるからか、例年よりはお元気そうにされていたのですが、無理はしていたのかもしれません」
「そう、でしたか」
表情を曇らせたエリーシャを哀れに思ったのか、侍医は「そうだ」と手を打ち鳴らした。
「夕方には目が醒めると思いますので、一度、顔を見せて差し上げては」
「し、叱られませんか? 具合がそれほどお悪いのなら、わたしが行けば鬱陶しがられてしまうかも」
そんなことはありませんよ、そう言って侍医は今度こそ大声で笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます