19 ありのままで


「え、えっと……」


「何をしているの、勉強をしたいと申し出たのは貴女でしょう」


 千夜ちやさんの冷たい視線を浴びつつも、その場から動けずにいるのには理由があるのです。


 全ては、この場所のせいです。


「あの、お部屋にお邪魔するのが初めてなので……」


 まさかの千夜さんの部屋に案内してくれたのです。


「では何かしら、貴女は人が通るリビングで勉強した方が集中できるとでも言いたいの?」


「いや、そういうわけではないのですが……」


 千夜さんの部屋は、モノトーンを基調とした家具が並ぶ。


 必要最低限のものだけを取り揃えているような印象で、無機質でありながら整理整頓がしっかりされた千夜さんらしい印象だった。


「なら、ここで問題ないでしょう」


「いえ、逆に集中できないと言いますか……」


「……一応聞くけど、どうしてそうなるのかしら」


 だって、この部屋はあまりに千夜さんの空間だ。


 千夜さんそのものとも言ってもいい。


 ということは、この部屋は千夜さんなのだ。


 つまり、今この状況を言語化するのならば――


「千夜さんの中にわたしが入り込んだみたいで落ち着かないんです」


 きゃっ。


 言ってしまいました。


「……こんなに人の正気を疑ったのは生まれて初めてだわ」


 あ、ヤバイ。


 完全に引かれてる。


 なんか千夜さん後ずさりしてますもん。


 まずいまずい、千夜さんと仲良くなるのが目的なのに引かれていたら意味がありません。


「じゃ、じゃあ……わたしの部屋にしましょうか?」


「それは私がお断りするわ」


「え、どうしてですか」


 千夜さんの部屋にお招きしてもらえたのは嬉しかったですけど、わたしの部屋がお断りされるのは傷つきますねっ。


「なんというか……貴女に蝕まれそうな気がするから、かしらね?」


「……千夜さん、それってわたしの言ってることと大して変わらない気がするんですけど……」


 まあ、どっちにしてもわたしにとってはショックなことに変わりはないんですけど。


「あっ……」


 確かに、と思ったのか千夜さんは目を丸くして言葉を失う。


 なんて返してくるのでしょう。


「似た考え方だからと言って、受け取り方まで一緒とは限らないわ。無駄話はいいから始めるわよ」


 ふふっ……。


 千夜さん、わたしと同じような考え方だということは認めてくれるんですねぇ。


 本当はわたしのこと否定したかったはずなのに、そういう所が素敵です。


「うへへ」


「どうして変な笑い方してるのよ」


「千夜さんと一緒のマインドで嬉しいです」


「……変な子」


 千夜さんはぼそっとつぶやくだけで、机へ座るよう案内してくれるのでした。



        ◇◇◇



「――ということよ」


「なるほどぉ」


 勉強を開始してから2時間程が経過し、キリのいい所で一息つくことに。


 千夜さんの説明は親切丁寧で、わたしの理解力に合わせて言葉選びや進行速度も合わせてくれていた。


 今すぐにでも家庭教師になって欲しいくらいです。


「……貴女、地頭はそこまで悪くないんじゃないの?」


 それなりに問題を解けていたせいか、千夜さんからそんな評価をして頂ける。


「いえいえ、千夜さんの的確な指導のおかげです」


「赤点なんて言っていたから正直もっとヒドイと思っていたわ。最低限でも勉強しておけば問題なかったように思えるのだけど」


「……お恥ずかしながら、興味がないことってわたし手を付けられないんですよねぇ」


 わたしは興味がないことには打ち込めない性格なのです。


 よって授業も右から左にスルーしてしまう。


「極端ね」


「そうなんですかね?」


 千夜さんが言うのなら、そうなのかもしれません。


「……そんな貴女が日和ひより華凛かりんに執着するのは、どういうことなの?」


 隣り合わせで椅子に座っている千夜さんは、わたしのことを真っすぐに見つめてくる。


 本気で答えるべき場面なのかもしれません。


「お二人だけでなく、わたしは千夜さんにも執着してますよ」


「だから、それがどうしてと。貴女が来てから、華凛も日和も、少しずつ変わってきている。前より楽しそうにすることが増えたわ」


「い、いいじゃないですかぁ……」


 やだぁ。


 千夜さんのお墨付きとか照れが半端じゃありません。


「けれど、その思いが劣情から来るものなのなら、私は貴女を見過ごせない」


 それでも、千夜さんはスタンスを変えない。


 わたしの行動の根底にあるのが恋愛感情なら、姉としてそれを無視することは出来ない。


 それは正しい行為ではないと、千夜さんはそう言っている。


 しかし、わたしは月森三姉妹あなた達にだけ関しては、そんな浅い想いではないと断言できる。


「答えなさい、貴女はどうして私達に近づこうとするの」


「それは、わたしが義妹だからです」


「……なによそれ」


 もしわたしが義妹ではなく、一般生徒の花野明莉はなのあかりのままだったら。


 きっと月森三姉妹のことを推しとして遠くから眺めるだけで、そのまま終わっていたんだと思う。


 でも、わたしは知ってしまった。


「こうして家族として過ごすことになって、わたしは華凛さん、日和さん、千夜さんのことを深く知ることが出来たんです」


「……答えになってないわ」


「いいえ、これが答えなんです。一緒に過ごした時間によって、わたしは皆さんの幸せを願えるようになったんです」


 余計なお世話は百も承知ですが、それでも願わずにはいられない。


 それがわたしでも手が届くかもしれない事なのなら、なおさら。


「だからわたしは皆さんに仲良くして欲しいだけなんです。姉妹なのに、本音で言い合えないなんて寂しいじゃないですか」


「それは貴女の価値観を押し付けてるだけ」


「そうかもしれません。でも、わたしはずっと一人っ子でしたから、こうして皆さんと義妹として過ごせる生活は楽しいですよ?」


「……」


「だから、本当の姉妹の皆さんはもっと楽しくなれる。そう思うんです」


 わたしの言葉をどう受け取ったのか、千夜さんは視線を足元に落とす。


 艶やかな黒髪が真っすぐ下りて、その表情を隠す。


「……貴女の言いたいことは分かったわ」


「良かったです」


 ほっと胸を撫でおろす。


「今日の勉強はこれで終わりよ」


 ガタッ


 と千夜さんは席から立つ。


 声音からもその感情を図ることはできない。


 でも、まだ――


「待ってください、わたしはまだ千夜さんの答えを聞いていません」


「――っ!」


 背を向ける千夜さんの手を取る。


 咄嗟の出来事に、反射的に振り返った千夜さんの黒髪がなびく。


 その瞳は揺れていた。


 きっと千夜さんは迷っていると、そう思った。


「離しなさいっ」


「いいえ、離しませんっ。全部終わるまで離しませんからっ」


 ――コンコン


「いいからっ……!」

 

 ――ガチャ

 

「失礼しますねー?」


「ちょっと、人が……!」


 視線を泳がせて助けを求めるような仕草を見せる千夜さん。


 その手には乗りません。


「そんなので隠れようとしても無駄ですよ!わたしは千夜さんが本当の姿を見せてくれるまでやめませんからねっ!」


「あ、貴女ね……!状況を……!」


「え、はい……?」


 さっきまでと打って変わって、迷いなく扉の方に視線を向ける千夜さん。


 何か、嫌な予感がしてそちらに目を向けると……。


「あらあら~」


 柔和な笑顔、その両手にはトレーがあり、お茶菓子と湯気が上るティーカップ。


 香りからして紅茶でしょうか?


「ひ、日和さん……?」


「うふふ、お邪魔してしまいましたねぇ」


 回れ右をして、廊下に戻っていく日和さん。


「ごゆっくりー?」


 ――バタン


 その笑顔が変わることのないまま、扉は閉められました。


「……」


「察しの悪い貴女でも、分かるように伝えておくわ」


「……はい」


「ここは私の部屋で、貴女と二人きり」


「…………はい」


「貴女は私の手を握り『全部終わるまで離さない』『隠れようとしても無駄、千夜が本当の姿を見せるまでやめない』という旨の発言をしたわね」


「………………はい」


「ここでいう『本当の姿』というのは、『裸、もしくはそれに類似するはだけた格好』を想起させてもおかしくないわ」


「………………………はい」


「極めつけは、貴女は私達三姉妹に告白したという劣情を垣間見せた事実」


 あ、汗が止まりません。


「え?日和ねえなんで差し入れそのままで戻ってきたの?」


「うふふ、要らなかったみたいです」


「うそ。ねえ、あの二人何もしてないでしょうね?」


「まだ何もしてませんよ」


「まだ!?まだって何!?」


「華凛ちゃん、大人の時間を邪魔しちゃいけません」


「全員同い年でしょっ!ちょっと何、怪しすぎなんだけどっ!!」


 扉越しから聞こえる姉妹の会話が、わたしの発汗を加速させます。


「行きなさい、不埒者ふらちもの


「はいぃぃぃっ!!」


 あああああああああ。


 もうちょっとだったのにぃ……!!


 悔しさと焦りを噛み締めながら、わたしは千夜さんの部屋を後にするのでした。


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