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鵜飼さんが消えた日。
この金ピカな腕時計をどうやって保管しようか考えている間に、いつの間にか夜が明けていた。
このまま考えていても仕方ないから、とりあえず手拭いで包んで大事な物ボックスにしまうことを決め戸棚の奥にしまい込んだのだが。
果たして、ここだけは鍵をかけるべきか、しかしそれは価値のあるモノの在り処を泥棒に教えることになるんじゃないかと迷っていた頃。
「シンジ〜? いるだろ〜? お〜い!」
俺の家の戸を叩く、やたらと騒がしい声がインターホンのブザーと共に聞こえてきた。もちろん、マイクとスピーカなんて上等な代物はついていないから、薄い壁を挟んだ曇った声だ。
高い声は、眠っていない脳みそに痛く響く。俺は騒音を止めるために、学校指定のジャージを適当に羽織って扉を開けた。
「……あれ、雲井か。なんで俺の家知ってんの?」
「よっす、サオリに聞いた。あれから連絡してこないからさぁ、待ちきれなくてウチの方から来ちゃったよぉ」
待ちきれないって、小さい頃から何年も初恋の続いてる奴が数日程度待てないワケないだろうに。
「すまん、何某カイトの件だよな」
「うん。てか、前から思ってたけどナニガシってなに? カイトの苗字は水窪だケド」
「そうか、覚えておく。何某ってのは仮称みたいなモンだよ」
「はぁ? あんた、約束したのに名前も調べてくれてなかったワケぇ? なんだよ、全然じゃ〜ん」
さっきから、雲井の高い声がキンキン響いて仕方ない。朝っぱらから話していると周りの部屋にも迷惑だし、俺は近所の喫茶店に向かい朝飯を食べようと提案した。
「なに、あんた金持ってんの?」
「あぁ、事情が変わったんだよ」
貧乏話は、多分サオリに聞いたんだろう。二人が何気に仲良しになっていて、妙な安心感を覚えた。スタバとやらは奢ってもらえたのだろうか。
「ふぅん。てか、あんた敬語使ってなかったっけぇ?」
「あの時の俺はお前に頼む立場だった、今は違うだろ」
「律儀ね~。あ、ウチはミルクティーとたまごサンド。フィナンシェも食べたい!」
「何がフィナンシェだよ、偉そうに。奢らねぇぞ」
「ぶぅ〜っ! ケチ〜っ!」
そんなワケで、二人がけのテーブルにつきミルクコーヒーとチーズドッグを食べながら雲井の話を聞くことにした。
「んっとねぇ。最近、結構イケイケな感じで押してみてるんだけどさぁ。カイトのヤツ、ボートのことしか考えてなくて全然鈍感な感じなんだよね」
「また鈍感か、しばらくはそのフレーズを聞きたくないな」
「でもね、少しはウチも頑張りたいからさぁ。なんていうか、ウチが上手に愛を伝える方法を教えてほしいんだよね〜」
……ん?
「愛を伝える方法?」
「そう! 愛を伝える方法!」
「水窪が絶対にお前のモノになる作戦じゃなくて?」
「いや、まぁ最初はその方が手っ取り早くていいって思ってたんだけどさぁ……」
言って、雲井は自分の髪を恥ずかしそうに撫でた。染め直したのか、この前より少しだけ色が暗くなっているように見える。
「なんていうか、コウにあんな偉そうなこと言ったんだし。やっぱ、ウチが頑張って振り向かせないと筋が通らないんじゃないかなぁって。それに、簡単に手に入れたモノって簡単に手放すらしいしさぁ。ねぇ?」
……あぁ。
「は、はぁ? なに? その顔。なんか言ってよ」
こいつ、カッコイイな。
「すまん。なんというか、感動してた。マジにかっこいいよ、お前」
「うわ、キモいんだけど。ウチのこと口説いたって、絶対に手には入んないからね?」
「バカ、口説くなんてあり得ないだろ。俺とお前の相性はクソほど最悪なのに」
「ぷはっ! 言えてる! ウチ、絶対にシンジなんて無理だもん!」
「違いねぇ」
二人して
「そうだなぁ。結局のところ、自分の得意なことを女に頼られると嬉しいし。そこを起点に攻めるのが得策じゃないか?」
確か、カケルもそんなこと言ってた。あいつが言うなら間違いないだろう。
「それくらいやってるよ? 早くなる漕ぎ方とか、スタミナの付け方とか聞いてる」
「もっと具体的に聞いた方がいい。こう、早くなるためにはどこの筋肉を鍛えればいいのか、またその理由はなぜなのか。みたいな」
「な、なるほどぉ。なんでぇ?」
「フワッとした質問って、ニワカ臭いから本気でやってる奴にとってウザいだけなんだよ。浅いこと言ったら、『お前、そんなことも知らねぇの?』という不信感に繋がりかねない」
喫茶店のマスターが、素人に分かるハズのないコーヒーのこだわりを語る理由に近い。プロフェッショナルとは常に自分のルールを携えていて、そこに興味を持たれることが何より嬉しい生き物なのだ。
「は、はぇ〜」
「あと、あれだ。『ありがとう』だ。これ使っとくと印象がいい」
「あ、ありがとう?」
「だって、言われたら嬉しいだろ。ご飯を作ってくれてありがとう、接客してくれてありがとう。間に金があったとしても、これを言うか言わないかで心象は180度変わる」
「あぁ! それメッチャ分かる! ウチ、マックでバイトしてるけどお礼してくれる人にはちゃんと接客したくなるもん!」
どうやら、雲井はちゃんと働いているらしい。共感を得てくれて助かる。
「つまりだな、自分の頑張りをしっかり見てくれていて、そこに興味を持ってくれていて、おまけに自分の話に感謝までしてくれて。同じ男として、これ以上に――」
なんで、ここで月野の顔が浮かぶんだ。
「え? なに?」
「いや。同じ男として、これ以上に大切にしたいと思う相手なんていないって思うんだ。上手に愛を伝える女ってのは、裏を返せば愛を返したくなる女だろうしさ。もちろん、最大公約数的な話だけど」
「サイダイコウヤクスウって?」
「例外への免罪符。つーか、それは小学生で勉強してるだろ」
長ったらしい説明を終えてコーヒーを一口。雲井は、ポカンとアホ面を下げて俺の顔を見つめた。
やっぱり、ボブカットはあざとくて仕方ないと思った。
「シンジってさぁ、本当に恋愛を信じてるんだね」
「あぁ、まぁな。一途な奴はかっこいいって本気で思ってるし、だからお前のことは応援してる」
「えへへ。なんか、そう言ってくれると嬉しいよ」
「光栄だ」
「うん。周りの友達もさ、結構付き合って離れてってやってる子多いし。ウチが焦って忘れようとした理由も、そういうのがちょっぴりあったりするし」
しかし、雲井はそれを吹っ切って自分だけの愛し方を決めた。確証もなくて不安だろうに、それでも好きでい続けると決めた。俺が心から欲しがっている、暗闇の中で迷いを切り裂く力を彼女は手にしているのだ。
だから、俺が果たせなかった初恋の成就。雲井シズクには必ず成し遂げて欲しいって。
「そういう願望も、勝手に託してたりするんだ」
「ふふ、うんっ! えっと、的確な興味と真摯な感謝。さっきの例を使って質問のバリエーションを増やしてみるよ!」
「あぁ、困ったらまた来てくれ。力になるよ」
なんて言いながら、俺はきっとこれが最初で最後の助力なんだって確信していた。
「分かった。ありがと、シンジ。ウチ、いっぱい頑張ってくるよ!」
だって、こんなにピュアな女が不幸になるなんて、そんなのはロマンスの神様が絶対に許さないだろうから。
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