イエスタデイ
右手
第1話
私がまだ美大生だった頃、突然死ぬのが怖くなった。
スーパーに買い物に行く途中に車に轢かれてしまうんじゃないか、明日突然倒れて二度と目覚めないんじゃないか、そんなことを考えてばかりいた。
でも私は死にたいわけではなかった。スマートフォンで「死ぬのが怖い」と検索し、上から順番に記事を読んでいった。どの記事の内容もピンと来なくて、新興宗教の勧誘記事に辿り着いたあたりで、今度はメンタルクリニックと検索し、家から近くて女性の先生がいそうな病院を調べた。
数日後、私は新宿にあるメンタルクリニックに向かった。「心療内科 東京 女性 おすすめ」というキーワードでヒットしたその医院には、白を基調とした高級ホテルのようなデザインの待合室があり、一歩踏み入れるなり見えてきたホームページの写真のままの光景に、私の緊張も少しほぐれたのだった。ひとりぼっちの待合室で脳内の先生の質問に答えながら名前が呼ばれるのを待った。
「……ユキさーん」と呼ばれて入った診察室で私の問診を担当したのは期待した通りの女性の先生で、年齢も予想よりずっと若く二十代かせいぜい三十そこそこにしか見えなかった。先生は人の良さそうな笑みで私を迎えた。私は自分が感じる恐怖について説明した。医者は「うん、うん」と小声で相槌を打ちながら私の説明を聞いた。それは私に安心感を抱かせるような相槌だった。
「持病はありますか?」
「いいえ」
「それではこれまでに大きな病気をされたことは?入院されたとか」
「ありません」
私は話を続けながら先生の書くカルテへと視線を泳がせたけれど、カルテに書かれていた外国語の筆記体の文字を私は理解できなかった。
「それはつらかったですね」と、私の話を一通り聞いた先生は言った。
私はその言葉を聞いただけで、私の身体から恐怖感が去ってはいないし解決もしていないのにもかかわらず、ホッとして嬉しかったのをよく覚えている。私は深い呼吸をしながら先生の言葉を聞き、息と共に不安感を少しずつ吐き出していた。
「死への恐怖を人一倍感じるという人は少なくないんですよ」と、先生は言った。「このクリニックにも恐怖心を相談に来られる方が結構いるんです。先週にもひとり来ましたよ。あなたくらいの年恰好の女の人でした」
私は目の前に親切そうな医者がいること、そして私の他にも似たような症状を示している患者が多くいることを支えにしてなんとかその恐怖をやり過ごそうとした。その支えはあまりにもか弱く頼りないものだったけれど、とにかく支えになりそうなものはなんでも利用しなければならない状態であったのも事実だった。
「とにかく薬を出しますからそれを飲んでしばらく様子を見てください。あまり効果を感じられないようだったらぜひまた気軽に相談に来てくださいね」
私は寄り道もせずに真っすぐにアパートに帰り、すぐに貰った錠剤を飲んだ。結果から言えば、その薬を飲んだことで恐怖心は嘘のように消え去ったのだった。一体あの恐怖心はなんだったのだろうと自分でも不思議に思うほどだった。
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