第36話「ミナという店主」
ハンナとは結果的に仲良くなることが出来た。お茶会で距離は縮まったと言えると思う。ただ、その分ミラに精神的ダメージがあったが。
余計なことは言ってないよね……。
内心不安に駆られるが、終わったことを気にしてもしょうがない。
お茶会が終わって、ハンナとは別日に一緒にお出かけすることになった。より仲良くなるためにミラから提案したのだ。王都をあまり知らないと、ハンナが言っていたからだった。
ハンナとのお出かけは、ニアとジャン王子には言っていない。一応、ジェイには伝えてある。二人が暴走しないための保険だ。
それを言った時、かなり渋面をされたけど。でも、なんだかんだ引き受けてくれるあたり、彼も優しい。暴走された時の被害の方を考えたのかも知れないけど。
「なんだか、ジャンとのデートを思い出すなー」
ミラは街中でハンナを伴いながら、買い物に出ていた。今日はハンナの王都の観光案内も兼ねている。
「ジャン王子って、こういう風に歩けるんですか?」
車道には馬車が走り、歩道には人が行き交う。日中だけあって人は多い。しかも、今日は祝日。仕事が休みの人間も多いのだろう。
「んー、普通だったら無理ね」
「へー、お忍びですか。本当にそういうのあるんですね」
「まあね。当たり前だけど、みんなに顔を知られているし……」
「ミラ先輩は大丈夫なんですか?」
「私はねー、知る人ぞ知るって感じかなー」
ミラの言い方にハンナが笑う。彼女はぎゅっとミラに腕を組んできた。
「ふーん、じゃあ、こうしても何も言われないですね。今日はミラ先輩を独占です」
「ニアの前ではやらないでね。後が大変だから」
「んー、それはどうでしょう。ニア先輩次第です」
「……やめてね、本当に」
「はーい」
ハンナは軽く返事してくる。明るくていい娘なんだけどな、優しいし。でも時々悪ノリが多い。こっちが困っているのを楽しんでいる節がある。
話せば話すほどゲームとは印象が変わっていった。
それにしても、視線が多い。いつもより見られてる気がする。
「どうしたんですか、ミラ先輩」
今日のハンナは赤髪を一房にしていた。ただ、なぜか制服姿だった。学園は王国内でも知らない者は少ない。当然、その制服も知られている。
「ハンナちゃん、なんで制服なの?」
「あー……、制服以外の私服持ってなくて……」
地方部から入学してきたって話は聞いていたけど……。だからなのかな。
ハンナは困ったように笑っていた。その笑顔は嫌なものだった。ミラはお節介かもと思いつつ、提案する。
「そうなの? んー、じゃあまずは服を買いに行こう。ハンナちゃん行くよ」
「え?」
戸惑うハンナを連れてミラは街中を急ぎ歩いて行った。
大通りから外れて、迷路のような通路を何度か曲がった先。両隣の建物に潰されそうな場所に、お店はあった。
通路から横道一本、建物の間に人一人が通れる道を進むと、素っ気ない看板一枚だけがある。あと見えるのは深緑の壁と、店内が見える窓ガラス。そして右側にドア一枚。
「ミラ先輩、こんなところにお店なんかあるんですか?」
「それが、あるのよね。私も初めて、いや、二、三回はここを覚えるまで迷ったけど」
「それってお店として、どうなんですか」
「私には言わないでよ、ぜひ店主に言ってあげて」
まあ、聞く耳持たないと思うけど……。
ミラがお店の扉を開けると、軽やかな鈴の音が鳴った。
店内は空いていた。奥に長い店内で、縦二列にずらっと服が並んでいる。扉と反対側にはアクセサリーなどの服飾の類も陳列されていた。
木目調の床に、白い壁。ゆったりとした音楽がどこからか流れていた。オレンジ色の照明が服とアクセサリーにだけを照らしている。
一番奥には会計テーブルがあり、店長の女性がいた。
お客さんはいなかった。というか、ミラが来た時に見かけたことがあまりない。たまーに、一人か二人いるくらいだ。結構お気に入りなのに、少し心配になる。
確実に立地のせいだと思うけど……。あの頑固そうなお姉さんを説得するのは無理か。まあ、利益にこだわっていないのかも知れないけど。
「いい雰囲気ですね。落ち着きます」
「そうでしょ。ハンナもここまでの道のりを覚えられたら一人で来るといいよ。それまでは一緒に来てあげるから」
「本当ですか? よろしくお願いしますね、ミラ先輩」
ハンナがミラを覗いてくる。腕を掴む力が強まり、逃さない意志を感じる。
しまった、道が覚えられていないだろうと――ここに来るのは本当に複雑なのだ――提案したのだが、これでは毎回連れて来られそうだ。仲良くはなりたいが、ニアと同じ匂いがするので、近くなり過ぎるのは危険な感じがする。
「ま、まあ。私の予定が空いていたらね。覚えたら一人で来てもいいから」
「また今度一緒にお願いします。ミラ先輩」
「うん……」
無理だ、これは。また、その内ここに来ることがほぼ確定してしまった。逃げられない。
「店の中で騒がないでくれ、お二人さん」
「あっ、ミナさん」
ハンナの言葉に頬を引きつらせていると、店主――ミナに声を掛けられた。日本人みたいな名前だが、きっちりこの世界の住人だ。日本のことなんか一ミリも知らない。
黒い長髪に、猫耳。それに黒い二股の尻尾。色香を感じさせる瞳は、今は呆れさせている。彼女は、ジャン王子に買ってもらった竜のブレスレットを売っていた店主だった。
偶然見つけたこのお店――意図的に来ることはほぼ不可能――で、初めて彼女を見つけた時は驚いた。お店の場所も、彼女の変わらなさも、そもそもミナがお店を構えていたことも。その後、名前を知ってさらに驚いたのだが。
「その娘は?」
ミナは興味深げに隣のハンナを見る。彼女の背後で黒い尻尾二つがゆらゆらと揺れている。
「ハンナ・ロールって言って、うちの学園の新入生です」
「へー……」
人当たりのいいハンナにしては珍しく、小さく「よろしくお願いします」と言った。向こうが気圧されるくらいの感じで挨拶しそうなのに、どうしたんだろう。
内心でミラが訝しがっていると、ミナが口を開いた。
「ミラちゃん、あなた、人たらしねー。今度その手管をお姉さんにも教えてくれないかしら」
「ミナさん? 何言ってるんですか。私は人たらしじゃありません。というか、あなたにだけは言われたくないです」
「えー、だってねー。新入生ってことは、その娘と知り合ったばかりでしょ?」
「まあ、そうですけど……」
「でも、もの凄く懐いているじゃない。今だって、猫の威嚇みたいに私を見てる」
ミナの言葉にハンナを窺うと、にっこりした笑顔でこちら見ていた。
「ミラ先輩、こちらの黒猫お姉さんとはどういう知り合いなんですか? 人たらしなんですか、この人も」
「くすくす、そんなに警戒しなくても愛しのミラちゃんは取らないよ、ハンナちゃん」
ミナは、ハンナの頭を撫でようとしたのか、彼女の頭に手を置こうとする。しかし、ハンナがそれをべしっと振り払い、ミラにひっつく。
「可愛い……。いい娘ね、ミラちゃん」
「後輩をからかうのはやめてください」
ミラはハンナの頭を撫でる。よかった、自分のは受け入れてくれるらしい。撫でられて目を細めているのが可愛い。
「なるほど、そうやって好きにさせるのね……。やるわね、ミラちゃん」
「違います。まったく……。ハンナちゃん、ここはいいお店だけど、この人には気を付けなよ。こいつこそ人たらしなんだから」
「失礼ねー、女の子は少ないわよ」
ペロッとミナが舌なめずりする。
「そうですね。気を付けます」
「あら、残念。……お邪魔しちゃ悪いから、退散するわ。ゆっくりしてもいいけど、騒がないでね。たまにはお客さん来るんだから」
「はいはい。静かにしてます」
ミナはそれを聞くと、受付に戻っていった。
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