サレ妻、後悔後に立たず。タイムリープして彼の性癖を矯正します

夕日ゆうや

第1話 タイムリープ

 夫は平凡ではない。

 かなり歪んだ性癖を持っている。

 簡単に言えばドMなのだ。

 痛めつけられることに快感を覚える――そんなどうしようもない変態だった。

 そして、私はそんな性癖が嫌いだった。

 でもそれも、私がいじめてきた結果なのだとも思う。

 けど、

「だからって浮気して言い訳じゃないでしょう!?」

「まあまあ、落ち着いて。香織かおり

 腹にとさかがきた感覚で、ビールと唐揚げが進む。

 二重顎になったおとがいを撫でて、私はしかめっ面を浮かべる。

「だいたい、なんで今度は違う女なのよ!」

 き――――っと言いそうになるのをビールで流し込む。

結愛ゆあには分からないかもだけどさ!」

「飲み過ぎよ。それにわたしへの風評被害止めてくれる? 今彼氏いるから」

 困ったように頬を掻く結愛。

 十年以来の友達だ。

 二十五歳の私としてみれば、けっこうな付き合いになる。

 あれは高校生のときだったか。

 散々愚痴った後に結愛は根気強く話しを聞いてくれる。

 そんな彼女に感謝しながら、自分の住むマンションに向かう。

 足取りも千鳥足でふらついている。

 視界がくるくると周り、明滅する。

 こんなに酔っ払っていても、彼は私を迎えにこない。

 そんな寂しい気持ちがじわりと広がっていく。


 マンションのエントランスにたどりつき、ホールを抜けてエレベータに乗り込む。

 三階にたどりつくと、ふらふらしたまま、隣の部屋の神薙かんなぎさんがこちらを見て駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

 そんな心配されるほどなのね。

青木あおきさん?」

 なんでその名前を知っているのだろう。

 旧姓、青木香織。

 現在、一条香織。

 表札にも一条と書かれている。

 それをどうして?

「おれです。神薙仁志ひとし、仁志ですよ」

 その声、顔立ちには見覚えがあった。

 その上、仁志という聞き覚えのある言葉を聞き、私の頭には電撃が走る。

「ああ! 小学校のとき、引っ越していった仁志くん!」

「いやだな。覚えているじゃないですか」

「そうだね。でもなんで敬語?」

「それもそうか」

 笑みが戻った仁志くん。

「でも、本当に良かった。青木さんともう一度会えるなんて」

「そうだね」

 少し気持ちが軽くなった気がする。

「私、もう少し頑張ってみるよ」

 仁志くんに勇気をもらった気がする。

「ありがとう」

「待って!」

 仁志くんが今までにない力強さで私の腕をとる。

「ど、どうしたの?」

「家庭があるから、こんなことを言われても困るだろうけど……」

 家庭。

 そんな立派なものじゃない。

 夫の正樹まさきは浮気相手の獅子唐ししとう有紗ありさと毎晩のように乳繰り合っている。

 それが許せない。

 子どもができたら落ち着く。

 そう思って黙認しているところもある。

 そんな壊れた家庭を今更どうなろうと……。

「おれは君が好きだ。青木さんの笑顔が好きだ。初恋だった」

 悔しそうに顔を歪める仁志くん。

「仁志くん……。ごめんなさい。私、その気は今のところ……」

 言いよどんでしまう。

 私、この人とでもいいのかもしれない。

 そう思った。思ってしまった。

 あの日をやり直したい。

「今は酔っているから、明日また来てね!」

 そう言って私は隣の部屋のドアをくぐる。


 六畳一間の小さな家。

 汚部屋とは言えないけど、散乱した衣服に、メイク道具。

 新聞や空き缶が一カ所にまとめられている。

 いつかのあの日。

 私の新生活が始まった、そのアパートにたどりついた。たどりついてしまった。

「何? これ……」

 高校一年の春、そのアパートに戻っていた。

 慌てて外に出る。

 そこには鉄臭い手すりとカンカンと鳴り響く金属の床板が目に飛び込む。

 視線を上に向けると、そこには高校が見える。

 障泥烏賊あおりいか高等部。

 アオリイカについて学び、アオリイカを増やすことを目的とした――アオリイカによるアオリイカのための学校だ。

 そこには青木香織として通っていた。

 そんな記憶がフラッシュバックする。

 ここで正樹と出会ったのだ。

 いや、これは夢だ。もしくは酔っ払ったせいで感覚がおかしくなったんだ。

 アルコールを抜くためにも、私は部屋に戻り、六畳一間のほとんどを支配しているベッドに潜り混む。

 朝よ。こい。


 ……いや外を見た感じ朝だったけど。


 ともかく、私は数秒で眠りについた。

 やっぱり酔っ払っていたのよ。


 目を覚まし、周囲を見渡す。

 ボロく狭い部屋には見覚えがある。

 私は顔を洗うため、風呂場にある洗面台に向かう。

 そこにあった鏡を見て仰天する。

 あの太ったお腹と二重顎が綺麗になっており、どちらかと言うと痩せこけたあの体系なのだ。

 髪色も学校指定の黒髪ロング。

 ぷっくらとした唇に、大きめの胸。ほっそりしなやかな足。

 理想の体系と言っても過言ではない。

 それがたまらなく嬉しい。

 感嘆のため息が漏れる。

「って、こんなことをしている場合じゃない!」

 この時代に戻ったということは、私も学校へ行かなくちゃいけない。

 何がどうなって、昔に戻ったのかは知らないけど、今を生きなくちゃいけない。

 タイムリープとか言うんだっけ? 昔読んだ本にあった気がする。

 パンプスを履いていよいよ出発。

 今日は四月四日。カレンダーで確認したから間違いない。

 見慣れた、けど忘れてしまった町通を歩き、学校へ向かう。

 学校に到着すると、校門前にクラス名簿がのっており、それを頼りにクラスに向かう。初日で助かった。

 だって、私の記憶を探ってもクラスを覚えていなかったのだから。

「香織~!」

「結愛?」

 私は後ろを振り向く。

 そこにはニコニコ笑顔な結愛がいた。

「今年もよろしくね! 香織!」

「うん。よろしく!」

 ビールで泡髭をつける結愛とは段違いな黒髪ツインテール。

 清楚な感じを残しつつ顔立ちは未来のままだった。


 高校初日。

 滝村たきむら先生のありがたいお言葉をもらい、次いで体育館で校長先生の話。

 主席で入った正樹の言葉があり、始業式は終わった。

「あの人かっこよかったね」

 結愛が正樹をそう評価した。

「そうだね」

 その顔に騙されたのだ。

 でも嫌いになったわけじゃない。

 私はどうあっても正樹の性癖をこじらせないよう、注意する必要がある。

 そのためには近づかないと!

 前を歩く正樹を見つけて、猪突猛進。

「好きです。付き合ってください!」

 私のダイレクトアタックは正樹を驚かせるには十分じゅうぶんだった。

 通常の告白の三倍で顔を赤くする正樹。

「え、ええ……。いきなり?」

 戸惑いを隠せない正樹。

「本気よ!」

「でも俺たち出会ったばかりだよね?」

「そうとも!!」

 強気でいった方が優しい正樹は断れない。押しに弱いし。

 相手の性格を熟知しているからこそ、私はこの手を選んだのだ。

「お、おう。分かった」

 コクコクと頷く正樹。

「私は正樹って呼ぶね。私は香織。よろしく」

「……分かったよ。好きにしてくれ」

 ぎこちない笑みを浮かべる正樹。

 まあ、いきなり告白するのは間違ったかもしれない。

 でも矯正するには早めにした方がいいと思ったんだよね。

「驚いた。いきなり告白するなんて……」

 結愛は目をパチパチとさせていた。

 前は一年かけて付き合ったものだ。

 性急すぎたかもしれないけど、あのときからすでに性癖を拗らせていた記憶がある。

 家族とのすれ違いが彼を孤立させていた。

 だから、今度は早い段階で寂しさを紛らわせないと。

 私にできることはそれくらいだから。

 彼のそばにいて、支えてあげたい。

 だって、私たちは夫婦なんだもの。

 もう家庭を壊したくない。

 私は母とは違うんだ。

 だから、変えてみせる。

 あんな未来なんて。

 もっと幸せになれる方法があるはずでしょ?

 それには彼を籠絡しないとね。

 きっと恋人として飽きさせていたのかもしれないし。

 うん。でも私で興奮するようにしないと。

 もう二重顎には戻らない。

 そう誓い、私は帰り道を歩く。

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