弐ノ巻 助けたのは猿の方
夕食の仕込みがほぼ終わり、囲炉裏の前に戻った桃太郎とシロは、老婦人が場を離れた隙を見ては
「今度は鶴の恩返し……鶴が恩返しに来るんですね」
「今頃罠にかかってたりしてな」
ふたりが
「どうした?」
「早く会ってみたいなって。凄い美人らしいじゃないですか」
「何でお前が嬉しそうなんだよ?」
「女だって綺麗な人が隣にいたらニヤニヤしちゃうものなんですよ」
「そんなもんか?」
首を傾げる桃太郎は、美人には全く興味がなさそうだ。シロは不思議に思って質問する。
「桃太郎さんって、好みのタイプとかあるんですか?」
「は?」
桃太郎は思いもよらない質問に目を丸くしたが、一応真面目に考えてみた。もともと若者の少ない村で老人に囲まれて育った桃太郎は、女性と関わった事がほぼ無い。考えたこともなかった。
「……好みもなにも、若い女性とあまり会った事がないな」
「私は?」
「犬」
「ちょっと!」
「犬だろ?」
「……犬ですけど」
「ほら」
「でも!」
確かに犬の獣人だが一応「若い女の子」に入るつもりのシロは、抗議を込めた視線を向けた。しかし桃太郎は何も気にせず隣に座っていたシロの髪を撫でる。しかしそれも、完全に犬を撫でる時の手つきだった。
「……桃太郎さんには、私が犬に見えるんですね」
シロの少し落ち込んだような声は、囲炉裏の火が弾ける音に紛れて消えた。しかしそんな事でいつまでも落ち込むような彼女ではない。次第に湧き上がる悪戯心の赴くままに膝を立て、桃太郎の両肩に手をかける。亜麻色の瞳を少し潤ませ、至近距離から彼の瞳を覗きこんだ。
「これでも……ただの犬に見えますか?」
「……シロ……」
凛々しい眉が少し寄せられ、彼の黒い瞳が真っ直ぐシロの姿を映す。大きくあたたかな手のひらが彼女の輪郭をゆっくりとなぞっていき、ふっくらとした唇に柔らかなものが触れた。
「…………おいひい」
少し悔しげな顔をしながら、シロは口に入れられたきび団子をもぐもぐと味わった。桃太郎は少しだけ柔らかく笑って、再びシロの頭に手を置く。それから玄関の方を見て、今度は盛大に呆れの溜息を零した。
「……いつまで見てんだ」
「バレていたで御座るか」
「やだ、ごめんなさい。良い雰囲気だったからついね」
「お嬢さん惜しかったな。あと一押しだ!」
隠れていた猿衛門と老夫婦が、にやにやしながら現れた。三人の揶揄うような視線を受けて、桃太郎は決まり悪そうに目を逸らす。対してシロは桃太郎の膝に半分乗ったような姿勢のまま、最後の老人の言葉に親指を立てて頷いた。
「任せてください!」
「何を……っつうか降りろよ」
「嫌ですぅ」
「いちいちムカつく奴だなお前」
再び言い合いを始めた二人を、猿衛門と老夫婦は微笑まし気に見守った。
「……そういえば、鶴が罠にかかっていたで御座る」
夕食後。囲炉裏を全員で囲みながら他愛無い話に花を咲かせてしばらく。桃太郎の横に置いてあった
「あら。この辺で鶴なんか珍しいわね」
「そうなんだよ。汁物にしようかとも思ったんだが、猿衛門さんが逃がした方がいいというのでね」
「汁物!?」
「(危なかったで御座る)」
予想と違う展開に、シロが驚きの声をあげた。猿衛門は桃太郎とシロにだけ分かるように、先程の苦労を滲ませる。恩返しに来るはずの鶴を食べてしまっては大変だと思い、慌てて説得したのだろう。二人は、お疲れ様、と視線だけで労った。
「少し惜しい気はしたが、元々あれは鶴を狙って仕掛けたわけではないからね。怪我も浅かったし、手当てをしたらすぐに飛んで行ったよ」
「それは良いことをしましたね。鶴もきっと喜んでますよ」
老人の話に婦人が微笑ましげに頷いた、そんな時。
――トン、トン、トン
玄関の扉が軽やかにノックされた。あら、と老婦人が首を伸ばして遠くを見る。
「風の音かしらね?」
「いや、怪しいな……少し見てくるよ」
「気をつけてくださいね」
壁にかけてあった巻割り用の斧を手に、老人が玄関へ向かった。外は随分暗くなっているし、雪も降っている。山奥にぽつんと建っているこの家には何年も訪問者がいないのだ。怪しく思って当然である。
「(大丈夫……ですよね?)」
「(たぶんな)」
「(もう信じるしかないで御座るよ)」
当然鶴がくるであろうと確信している三人は、落ち着きなく玄関の方を見た。頭が割れた美女の死体を見る羽目にならないように祈るしかない。そして幸運にもというか予定通りなのだが、ほどなく老人に連れられて現れたのはひとりの若い娘だった。
「道に迷ってこの辺りを歩きまわっていたそうだ」
「あらあら大変。すぐにあたたまって。今あたたかいお茶をいれますからね」
老婦人が慌てて立ち上がった。娘は勧められるがままに桃太郎たちの向かい側に座り、すっと背筋を正す。雪のような白い肌、長く艶やかな黒髪に大きな黒い瞳。洗練された佇まい。確かに彼女は、思わず見惚れるほど美しい。
「つうと申します。一晩お世話になります」
この上なく上品な仕草で頭を下げた彼女の足には、昼間猿衛門が老人に提供した手ぬぐいの切れ端が巻かれていたが、それに老人が気がつくことはなかった。
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