弐ノ巻 案内本は予言の書
その老人が庭で宝を掘り当てたという噂は、翌日には小さな集落の隅まで届いていた。
「ちょっと! 聞いてくださいよ、あの「枯れ木の翁」のとこで……」
「壺に小判!? 嘘でしょう、あの枯れ木の下に!?」
「それが本当らしいのよ。亡くなった奥さんが埋めてたみたいで」
「あぁ。あの方ならやりそうよねぇ」
早朝から、近所の奥さんが数人集まって噂話に花を咲かせる声が聞こえる。縁側で食後のお茶を飲んでいた桃太郎は、少し遠くから静かに耳を澄ませた。
昨日は結局、シロは見つからなかった。広い土地にぽつりぽつりと点在する一軒家を順に訪ねて回っているうちに夜が更けてしまい、親切な老夫婦の家に一晩泊めさせてもらったのだ。一宿一飯の恩義にと朝から薪を割り、穴が開きそうだった床の補修をしたら大変喜ばれた。おかげで気兼ねなく昼飯までをいただいて、食後のお茶を飲むころには、桃太郎はこの家の息子のようにすっかりと馴染んでいたのだった。
「ありがとう。桃太郎さんのおかげで、わしらも若返ったようだよ」
隣にこの家の主人が座る。故郷に残してきたお爺さんとお婆さんを思い出し、桃太郎は頬を緩めた。そのまま並んで世間話をしていると、噂話がひと段落ついた老婦人が外から縁側に回ってきた。
「桃太郎さん! ちょっと、凄い噂を聞いたんだよ」
早速仕入れたばかりの噂話を披露する彼女の話を、桃太郎は相槌を打ちながら聞いた。実際は聞き耳を立てていたのでほとんど知っている事だったが、初めて聞いたような反応を返す。
「へぇ。そんな事があったんですか」
「何だい、お前またくだらん噂話ばかりしおって。枯れ木の翁に失礼だろう」
「やだねぇ、今日のは本当の話だよ。畑から宝だなんて、夢のある話だねぇ」
「奥方が埋めたんだろう? だったら、出てくるのは当たり前だろうが」
主人は呆れの溜息をついた。毎日飽きずに真偽不明の噂話を仕入れてくる妻の今日の話題は、畑から宝が出たという話だ。同じ集落の端の方に「枯れ木の翁」と呼ばれる独り暮らしの老人がいるのだと桃太郎に説明をしていると、重要な事を忘れていたとばかりに彼女が手を打った。
「それでね、桃太郎さん! あなたが探していた白い犬の女の子、その翁の家にいるらしいわよ」
「それは本当か!? うあっつ!」
「あらあら大変」
桃太郎は思わずお茶を持ったまま立ち上がり、零れたお茶を手に浴びて顔を顰めた。済んでのところで掴みなおした湯呑を慎重に縁側に置き、借りた手拭いで水分を拭いながらシロについての噂を聞く。どうやら、その宝を見つけたのが犬のような白い耳と尻尾を持った娘だという事だった。
「ありがとうございます。早速、その枯れ木の翁のところへ行ってきます」
「もう行くの?」
「いつまでいてもいいんだぞ」
老夫婦は引き止めたが、桃太郎は首を振った。一刻も早く鬼ノ島へ向かい、宝を取り戻して故郷の村へ帰らなければならない。村に残したお爺さんとお婆さんが、早くも恋しく思えてきたのだ。
「では、行って参ります」
玄関で深々と頭を下げて、桃太郎は枯れ木の翁の家へと向かう。
(シロがいればいいが……
本人がいても、
(まずは翁の家に行ってみなければな……えぇと……あ。あそこか)
翁の家はすぐに見つかった。集落で唯一、敷地内に大きな木が植えられている。昔はその木に美しい花が咲いていたそうだが、ある年から急に枯れてしまったのだと老夫婦は教えてくれた。そしてその年以降、徐々に畑も痩せ細り、今ではこの集落のどこの家の畑でも、何を植えても少しの芽も出ないようになったという。
「失礼! 翁はいらっしゃるか」
桃太郎は入り口で声を張り上げた。すぐに出てきたのは、見るからに人の好さそうな老人。彼はシロの特徴を聞くと大きく頷き、すぐに桃太郎を迎え入れる。
「シロさんは今、隣の爺さんの手伝いに行ってくれてるんだよ。すぐに戻ると思うから、お茶でも飲んで待っていてくれるかい?」
桃太郎が頷くと、翁はお茶の用意をしに行った。桃太郎が待っているついでに家の中を何気なく見回すと、机の上に見覚えのある本が置いてある。
「
やはり予想通り、シロは軽率に忘れている。おそらく叱っても愛想笑いで誤魔化すか隙を見て逃げるかするのだろうなと思いながら、桃太郎は
(花咲か爺……か)
花咲か爺という見出しとは異なり、そこにはやはり一本の枯れ木が描かれている。桃太郎はその絵を見て、枯れ木の翁という愛称と畑の隅の枯れ木を頭に描いた。何となく、この絵と似ている気がする。
(やはり全部読んだ方がいいな。ええと……)
桃太郎は細かい字で書かれた文を読みはじめた。あるひとりの老人が「シロ」という犬と出会い、庭で宝物を掘り当てる。読めば読むほどその物語は、この枯れ木の翁の家で起きている事そのもののように思えた。
(どういうことだ……?)
桃太郎は次のページを捲った。物語の続きが書かれているそのページは、翌日隣の老人が訪ねてくる場面から始まっている。庭に埋められた宝を羨んだ隣の老人は、シロを自分の家に連れてきて、そこでも宝を掘り当てるように言う。しかしシロが言われたとおりにしても、出てきたのはゴミや虫ばかり。怒った隣の老人は、シロを殺してしまうのだった。
「シロが殺される!?」
桃太郎は思わず叫び、慌てて口を押さえた。幸い少し遠くにいる翁には聞こえていないようだ。桃太郎は再度その場面を読んで立ちあがった。
この
「お爺さん、すみません。俺も手伝いに行きたいので、少し様子を見てきます」
桃太郎は何事もないように翁にそう言って、
「何か当たったぞ!」
ガン、と鍬が固いものに当たる音がした。隣の老人は手を止め、今度は鋤に持ち替えて掘り始めた。しかし、土の下には大量に割れた食器の欠片やガラクタだらけで金目のものはひとつもない。老人の濁った瞳に浮かんだ期待が失望へ、更にこの場所を案内したシロへの憎しみへと瞬く間に変化していくのを、桃太郎は家の壁に身を隠しながら見ていた。ここまでの出来事は全て、
「おのれ、この役立たずの犬っころめ! 儂の事を馬鹿にしやがってぇ!!」
隣の老人が怒りのままに、シロに向かって勢いよく鋤を振り上げる。その時には桃太郎は、鋭く光る刀を鞘から抜いて駆け出していた。
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