最終話 救済

「ほ~ら、食べて食べて。今日はあたしの奢りだから――え、お金? 気にしない、気にしない。軍資金はあんたの旦那から、たっぷりもらってきてるから」


「それはなんというか……ケイコさんの奢りではなく、我が家の家計からの出費ではないでしょうか?」


「ミーティング費として経費から落とせば問題ないっしょ」


 “迷宮街” 外郭の中心施設ショッピングモール

 通称 “Dモール” の行きつけのカフェテリアに、ふたりの姿はあった。

 若い女性向けの瀟洒しょうしゃで落ち着いた店内は、普段どおり七分ほどが埋まっていて、騒がしすぎず静かすぎず、居心地がよい。

 歓談を楽しんでいる他の客も皆女性で、ふたり――エバとケイコと似たり寄ったりの年代だった。


「なんだか落ち着きません。やはり僧服で来るべきでした」


 買ったままになっていて今日初めて着た外出着に目を落とし、エバが嘆息する。

 ふんわりとした明るいグレー系のワンピースに、クリーム系のミリタリーベストと白いサンダルを合わせたシンプルなコーディネイトだが、ボリューム袖が可愛く、ウェストマークが上なのでスタイルUPの効果もある――がよく似合っている。

 よく似合っているのだが、本人はどうも落ち着かない。


「いいじゃない。あんたにしては上出来よ。むしろよく選んだって感じ」


 上京以来、田舎者と馬鹿にされないようにオシャレに磨きを掛けてきたケイコが、太鼓判を押す。

 こちらは長袖の腹出しトップスに、ハイウエストのセミフレアジーンズを合わせたコーデで、活動的な彼女にやはり似合っていた。

 今日ケイコは気乗りしないエバの尻を叩いて、敢えて私服で来させたのだ。


「以前友だちに選んでもらったのです。その記憶を頼りに買ったのですが……」


 どこか翳りのあるエバの表情に、ケイコは友人が先日の一件で負った傷の深さを思った。

 

「旦那はなんていってるの? こないだの案件case


「『俺なりに検証してみたが、ありゃ無理だ。あの状況で “僭称者役立たず” の復活と介入を予想できたら、そいつは人間じゃなくて魔人だ』――だそうです」


「ならそれが答えじゃない。あんたの旦那はあんたの師匠で、あんたの何倍も凄い、史上最高の迷宮探索者なんでしょ? その史上最高が無理だっていってるんだから、あれ以上あんがた出来たことはないのよ」


 自分の判断ミスからマキオら五人を助けられなかったと引きずるエバを、ケイコが諭す。

 エバは決して自己憐憫の海に沈んで他人の同情を求める少女ではないが、それとて限界があった。

 五人の犠牲。

 そして “僭称者” の復活。

 今エバ・ライスライトは、とても疲れていた。


 迷宮の灰の中から探索者たちの命を拾い続ける迷宮保険員。

 拾いきれない命が出るのは仕方がないことなのだ。

 拾いきれなかった命は、魂は、そのまま迷宮に還してやるしかない。

 いちいち背負っていたらいずれ重荷に耐えきれなくなって、自分もそういう連中の仲間になってしまう。


「探索者の乾いた悟りだよ。あんたは今回ふたり救った。四人の犠牲を嘆くよりも、そっちを喜ぼうじゃない」


「ふたり、ですか?」


「レンゲと、もうひとりはマキオ。あいつ、いい顔してたよ。とっても満ち足りた、幸せそうな顔してた。最後の最後に、あいつはあんたに救われたんだよ」


 多くの人間を不幸に巻き込んだマキオを嫌う人間は多い。

 今でもSNSでは嫌悪と非難と嘲笑の的だ。

 それでもケイコは、マキオが救われたと思っている。

 以前、迷宮の闇に消えた隻腕の鑑定屋ビショップに抱いたように、そこに救済はあったのだと信じている。

 

「あなたは強い人ですね、ケイコさん。強くてとても優しい」


 救われた者の表情を浮べてエバが、友人――今はもう親友と呼ぶべき女性を見た。


「よ、よしてよ。あんたにそんなこと言われたら、どんな顔をしていいかわからないじゃない」


 テレテレになればいいのか、あるいは大いに恐縮すればよいのか、それとも素直に喜ぶべきなのか――困惑しきりなケイコを救ったのは、ふたり同時に鳴ったスマホのSEだった。


「おおっと、レンゲからだ――へえ」


 一件以来、エバとケイコはレンゲ姉妹と連絡を取り合っている。

 LINEを開いたふたりの表情が綻ぶ。

 

「Dチューバーとして活動再開ですか」


「それも姉貴と一緒にね。まったく変われば変わるもんだわ」


「いつか彼女たちも迷宮を必要としなくなるときがくるでしょう。いつか上の世界に戻って光の中で生きるときが」


「人は光のみで生きるに非ず、よ。人間がいる限り、迷宮は不滅。迷宮保険員もね」


 ふたりは笑い合い、それからようやく先程からテーブル狭しと布陣するスイーツの大軍の殲滅に掛かった。


◆◇◆


「本当にいいの、レンゲ? この映像を公開したら、あんただけでなくホーイチや、リオや、ヤンビや、ゼンバ……死者に鞭打つことになるかもしれないのよ」


「わかってる。でも今のままじゃ不公平。マキオは確かに酷いリーダーだったけど、こうなった原因がすべてあいつにあるわけじゃない。わたしたちにも原因はあるの」


「あんたがひとりだけ生き残ったことに罪悪感を抱くのはわかる……でも死んだ人はもう救えないのよ」


 姉は向かい合う妹との間に置かれたSDカードに視線を落とした。

 256Gbyteの容量がある半導体には、Wi-Fiの中継器から離れていたために配信されなかった映像が残されている。

 毒に侵されたマキオ・ゼンバ・ヤンビの三人から治療する人間を選別し、マキオを除外したのやり取りの一部始終が記録されているのだ。

 切り捨てられたマキオはパーティを離脱し、再び戻ったときには “僭称者役立たず” の手で “吸血鬼バンパイア” にされていた。

 マキオを破滅に追いやったのは、他ならぬパーティの仲間たちなのだ。


 極限下で決断だった。

 公平を期せるとは限らない。

 いったい誰が責められるというのか。


 妹は今絶体絶命の死地から生還した英雄として、ダン配界隈でもて囃されている。

 動画の再生回数はうなぎ登りで、広告料はすべて生き残った妹が手にする。

 新しいパーティからの勧誘も引く手数多だ。

 生き残ったからではなく、生き抜いたレンゲの正統な報酬だと思う。


「違うよ、お姉ちゃん。わたしはマキオを救いたいんじゃないの。わたしはわたしを救いたいの。そうやってわたしたちは、自分で自分を救っていくしかないの。わたし今のままじゃ、胸を張って生きられない」


 レンゲの瞳に揺らぎはなかった。

 妹は変わった。

 優しく真面目な反面、滅多に自分の意思を現さない子だった。

 それが迷宮という試練の場で鍛えられ、強く気高くなった。

 姉は自分も変わらなければならないと思った。


「わかった。公開しよう。わたしたちは弱者かもしれないけど、いつまでも弱いままじゃない」


 姉は笑って応えた。

 姉も笑ってうなずいた。

 それは姉が妹に、妹が姉に見せた、今までで一番大人びた笑顔だった。


 

 























“――血っ!”
























”血をっ! お願いっ! 血を頂戴っ!”






















“――血ぃいいっっっ!!!”


 リオが叫び、ホーイチの首筋にかぶり付いた。

 鋭い犬歯が蒼白い皮膚を食い破り、黒に近い血を溢れさせる。

 しかし不死者の冷たく濁った血は、いくら啜ろうと同じ不死者である “吸血鬼” の飢渇を癒やすことはない。


“くそっ! くそっ! くそっ! マキオの奴、絶対に許さねえっ! 見つけ出して必ず殺してやる!”


 同様に激しい渇きに苦しみながら、ゼンバが呪詛を吐き散らす。


“……奴はもう死んでる……俺たちの魅了チャームが解けてるのが……証拠だ……”


 ゴツゴツとした剥き出しの岩肌に背を預けて、ヤンビが浅く荒い息を吐く。


 四人は生きていた。

 ケイコが発動させた “強制転移テレポーター” は、彼らを岩の中へは跳ばさなかった。

 自我を取り戻したときに彼らがいたのは、見慣れた強化煉瓦レンガ造りの迷宮ではなく、分厚く冷たい外壁の岩盤を穿ったような隧道トンネルだった。

 隧道は玄室的な空間に通じていて、巨大な “蒼氷色ダークブルーの悪魔” がたむろしていた。

 彼らは悪魔に怯えて進むに進めず、数週間の間、血の渇きに苦悶していた。


“なんでこんなことになったのよ! わたしを人間に戻してよ!”


 泣きじゃくるリオを宥める体力はもはや、他の仲間にはない。

 手首を切ろうが首筋を裂こうが甦り、渇きに苦しむだけ。

 不死属アンデッドであるが故の緩慢な拷問が、ひたすらに彼らを苛み続ける。

 

“……レンゲは助かったかな……”


 ホーイチがグッタリと漏らした。

 リオに噛まれた首の傷はすでに回復していたが、立ち上がる気力はない。


“……助かっててほしいな……俺、あいつのこと好きだったから……”


 ホーイチの目尻から涙が零れた。

 “吸血鬼” でも泣けるのだ。

 それがとても嬉しく、とても哀しく……ホーイチはさめざめと泣いた。

 そして泣くだけ泣くと、壁に手を付き立ち上がった。


“……なにをする気だ……?”

 

“……悪魔と差し違える……”


 ゼンバに答えたホーイチの声は静逸だったが、弱々しくはなかった。


“……このまま発狂してレンゲを襲いたくねえからさ……”


 気恥ずかしげに、鼻の頭を掻くホーイチ。

 それが彼の癖だったと、他の三人は思い出した。


“……一緒にいく……”


 リオも立ち上がる。


“……これ以上苦しむのも、仲間が減るのも嫌……”


“……最後まで人間らしくか……”


 ヤンビが苦笑しながら続き、ゼンバもならった。


“……いいジョークだ。今の俺たちにぴったりだ”


 ひとしきり笑い合う。

 すぐに血への渇望が、四人を現実に引き戻す。

 呪われた血脈は、最後の談笑すら許さない。


“……行こう……”


 五体もの強大な “高位悪魔グレーターデーモン

 弱り切った自分たちでは打ち勝つことは困難だろう。

 魔法で焼かれるか、凍らされるか。

 あるいは鋭い爪での八つ裂きか。


 これが我が人生。

 これが我が最期。

 

 社会に適応できず、世間で生きられず、流れ流れて地の底に救いを求めた結果は、あまりにも哀しかった。


“……でも……”


 リオが泣き笑った。


“……孤独ひとりじゃない……”


 仲間たちが同意したその瞬間、全身を圧する気配を浴びて、四人は振り向いた。

 いや振り向かされた。

 そして、見た。

 華麗な大時代風の衣装に身を包んだ、美丈夫を。


 一九〇センチになんなんとする長身。

 豪奢な金髪ブロンド

 迷宮の闇に妖しく映える白い肌。

 完璧なまでに整った魔性の美貌。

 紅玉よりも深い真紅の瞳が、四人を見据える。

 

“不死である苦しみを知ったか――来るがよい、闇には闇の救済が必要だ”


 あれだけ身体を貫いていた血への渇望が消えていた。

 あるのは恍惚なまでの絶対の安心と充足、なによりも畏れ。

 ホーイチが、リオが、ヤンビが、ゼンバが、直感した。

 求めし者、今こそ来たり!

 

“ 嗚呼、神聖にして偉大なる我らが “不死王ノーライフキング” よ ”


 四人はひざまずき、彼らの “ロード” を心の底から崇め称えた。

 


           -完-


 

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最後までご視聴ありがとうございました

これにて、第二回配信は完結となります

お気に召していただけましたら、★★★、フォロー、コメント、いいね、などいただけますと、とても嬉しいです

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第一回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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エバさんが大活躍する本編はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742

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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!

エバさんの生の声を聞いてみよう!

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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