第4話 雇ってもらえませんか?

 それ以降は定期的に、このバッティングセンターに訪れるようになった。


 金銭的に毎日通うわけにも行かなかったけれど、毎週土日のどちらかには、ここの投球練習場を利用するようになっていた。


 せっかく的があるのだから、それを利用しない理由がない。とりあえずの目標として、9つある的の狙った場所にいつでも当てられることを目指した。


 手加減した状態で当てられても意味はないから、本気で投げてなおボールを狙った場所に投げ込めるようになる。もともとコントロールにはそれなりの自信があった。


 いきなり飛ばして怪我なんてしたらあまりに馬鹿らしい。そう思って、ここにくる前には人のいない公園などを利用して事前に軽い投げ込みをし、なるべく肩を温めておくようにしていた。

 1ゲーム目は肩慣らし気味に軽く投げ、2ゲーム目以降は力をセーブすることなく投げた。


 9つの的すべてを射抜ければ景品がもらえるようだけれど、正直それに興味はなかった。だから始めのうちは、1ゲームごとに一箇所の的をひたすら狙った。


 右打者に対する外角低めを狙うなら、十球すべてそこに投げ込む。次のゲームで内角高めを狙うのなら、同じく十球とも内角高めに投げ込む。


 何度か通って、十球投げて十球とも同じ的を射抜けるようになってから、今度は改めてバラバラの位置を狙って投げるようになった。

 ただし2ゲーム目までは五球ずつ同じコースを狙って投げるようにしていた。始める前に身体の使い方を改めて思い出させるために。


 そうしているうちに三ヶ月ほど経った頃には、ほぼ狙った的に当てられるようになっていた。


 だから次に、的ではなくその枠へ目がけて投げるようになった。ストライクゾーンの四隅をかすめるような、そんなイメージで。


 それがある程度できるようになった中二の春頃から、球速を意識するようになった。


 この投球練習場には、的の真上にスピードガンが設置されており、球速が表示されるようになっていた。ネット等で調べる限り、バッティングセンターにあるスピードガンとしては、かなり精度が高いものらしい。それでも参考程度のものだろうけど。


 ど真ん中にしか投げられなくても意味がない。ストライクゾーンの四隅、的ではなくその枠に、いつでも130キロ超えの直球を投げ込めるようになることを目標とした。

 現状でも最速で125キロまでは出せるようになっており、特定のコースを狙っても、九割方そこへ投げ込むことができていた。

 もっとも、それができるようになったところで現状、それを活かせる機会などないのだけれど。


 結局そんなことを、中学卒業までの三年間、続けていた。


 飽きた、とは言わない。けれど退屈だった。物足りなかった。


 相手のいない、打者も、受け止めるミットさえない日々は、ただ投げたいという欲求を宥めるのに精一杯で、満たされるということはなかった。


 それでも中学卒業後も週に一度はバッティングセンターに通っていた。


 そのころには球速が130キロに届くようになり始め、それをストライクゾーンの四隅にコントロールできるようにもなっていた。


 そんな高1の四月中旬頃、ストラックアウトでの投げ込みの最中、ゲージの外で見知らぬ男が、私の斜め後ろに立っていることに気づいた。


 こちらを熱心に見つめていたかと思えば、私がゲージから出たというのに、ぼうっと突っ立ったままだった。


「あの」


 無視してもよかった。

 投げ続けるのならばずっと後ろにいられるのも鬱陶しいが、出てしまうのならば見知らぬ他人のことなど別にどうでもいい。


「終わりましたけど。次、投げますか?」


 それなのに声をかけてしまったのはなぜだろう。


 身体つきを見てなんとなく、野球経験者だろうと思ったからだろうか。それこそそんなこと、自分には関係ないのに。


「え?」


 その男の唖然とした反応に少し苛立つ。投げたいわけではないのなら、さっさとどこかに消えてしまえばいいのに。


「ずっとそこにいましたよね? 待っていたわけではないんですか?」


 私が再度尋ねると、男は申し訳なさそうに首を横に振った。


「いや、すまない。待っていたわけではない……いや、始めはただ待っていたんだが、君が全球あの枠の四隅に当てて見せたものだから、圧倒されてしまって。つい見入ってしまった」


「それはどうも」


 その後もなぜかこの男から、年齢や所属の学校名、どこの野球部に入っているかなどといったことを聞かれた。

 個人的な情報ばかり聞いていることに、さすがにまずいと感じたのか、途中から、答えたくないことは答えなくていい、と言ってきたけれど、具体的な学校名以外はとりあえず答えた。特に隠すようなこともなかったから。


 通っている高校には女子野球部がないので部活には入っていない、そう答えると男は、呆けた顔をしていた。

 どうやら私を男性と勘違いしていたらしく、私、女ですよ?と告げると慌てた様子で謝ってきた。


 別に、頭なんか下げなくていいのに。性別とか所属の学校とか、そんなに重要なことだろうか。

 ……どうでもいい。くだらない。


 別に謝る必要はないと思いますけど。私がそう言うと男は顔を上げ、困ったような表情の笑みを浮かべていた。


 結局、何者なんだろう、この人は。


 怪しいといえば怪しいが、野球のことを中心に聞いてくるあたり、まるで野球部へのスカウトかなにかみたいだな、とも思った。もっとも、私がスカウトされることなどないのだろうけど。


「こちらばかり質問されていますし、謝る代わりに教えてください。あなたは何をされている人なんですか?」


 ずいぶん鍛えられているし、野球関係の仕事でもしているのかと、そう付け加え、問いかけた。


 男の答えは私の予想を裏付けるもので、けれど私の想定にないものだった。


「独立リーグの、サンダードッグスの監督をさせてもらっている」


 独立リーグ。普段私たちがプロ野球と呼んでいる、日本野球機構が運営しているリーグ、通称NPBとは別に組織されたプロ野球リーグの総称で、そこからNPBを目指す選手も多い。

 そう知識として知ってはいたが、存在を意識することはなかった。


 曲がりなりにもプロ野球リーグ。ならばもしそこで投げることができたなら、少しはこの退屈も埋まるはずだ。


「そのチームに、私を雇ってもらえませんか?」


 ダメ元で聞いてみた。それだけ私に興味を持ったのなら、入れてくれてもいいんじゃないかと。


「え、いや」


 だけど当然、そんな私の申し入れを受けてくれるはずがなかった。


「年齢制限とかがあるから、それは難しいかな」


「そうですか」


 まあそうなるだろうなと、分かってはいた。

 入ることができれば儲けものだけれど、初対面の女子高生を一つ返事で受け入れるチームなんて、ある方がおかしい。


 それならせめて、


「でしたら、バッティングピッチャーならどうですか?」


 目の前の男が目を瞬かせる。彼にとって想定外の要求だったのだろうか。

 別に、そんなことはどうでもいいけれど。知りたいのは私の提案に対する可否だけだ。


 どこでも、誰でも、なんでもいい。今は私のボールの行方を阻もうとする敵と、受け止めるミットが欲しい。


「お金もいりません。マウンドから投げさせてもらうだけでいいです。コントロールはいい方だと思うので、いい練習台になると思いますよ?」

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