第23話 春季キャンプ
二人のボールを見比べていると、自分の目がおかしくなったのではないかと不安になる。
今年で二軍監督に就任して三年目。自分がキャッチャー出身なこともあって、春季キャンプ中はどうしても投手に目が行きがちになってしまう。
今年もそうだ。選手の様子を見るために、まず足が向かったのはブルペンだった。
そこでは、このチームで一軍にもっとも近い存在だと期待されている新人右腕、青木が投げている。
アマチュア時代に最速153キロ、平均でも140キロ台中盤をマークしていたストレートは、前評判どおりブルペンでもミットに快音を響かせている。肩慣らしの今の段階でも、スピードガンで球速を測れば140キロは優に超えているだろう。
しかしそのとなりで投げている左投手、同じく新人の片崎渚が投じているストレートのスピードが、青木と同じか、下手をすれば速く感じるのだ。
別に、このチームの中であれば、誰が誰より速い球を投げていようと構わない。チームの戦力にさえなればいいのだ。
ただ不思議ではあった。それはそうだ。聞くところによると、最速が150キロを超える青木に対し、片崎は140キロを超えたことさえないらしい。
それなのにボールがミットに到達する速度は、二人ともさほど変わらないように見えるのだ。
確かに球速が遅くとも、それより速く感じさせる投手というものはいる。
ボールの回転数や回転軸の傾き、投球フォームなど、様々な影響を受けて、打者にはボールが球速以上に速く感じることがある。
そもそもスピードガンの球速表示は、あくまで指から離れた瞬間の速度であって、リリースからミットに届くまでの時間を測っている訳ではない。そのため極端に言えば、球速で劣っているピッチャーの投じるボールの方が、勝っている投手のボールより早くミットに到着する、というのも、他の条件次第でありえはする。ありえはするが……。
(10キロ以上、下手をすれば20キロ近く遅い投手の球が、青木のストレートと同じようなスピードに感じるのは、流石におかしいだろう……)
確かに片崎は、球速以上にボールが速く見える要素を多く持った投手ではある。
まず、キャッチボールの時点で綺麗な縦回転の、沈まないボールを投じていた。
そしてブルペンで見ると、左腕が身体に隠れている時間の長い、球の出所の見づらいフォームであることもわかった。
(あとは……リリースポイントか)
なまじ腕の出どころが見づらい分、正面からだと少し分かりづらいが、横から見ると分かる。ボールを離す位置がかなり前、打者寄りなのだ。
そうすることで物理的に、ボールを離す位置からミットまでの距離は近くなる。それはほんの数センチの違いとはいえ、バッターからすればその差は大きい。
とはいえ、だ。
(バッターボックスからならまだしも、外から見て片崎のストレートが青木と変わらないくらい速く見えるのはどうなんだ……?)
ボールが指から離れたタイミングが二人ともほぼ同じだったときでさえ、ミットに届くのはほとんど変わらないように見えてしまうのだ。
自分の目と頭を困惑させるような球を投げている張本人は、入団までの経緯も異質だ。
話を聞く限り彼女は入団まで、ほとんど選手として活動していなかったらしい。独立リーグの一チームで、バッティングピッチャーをしていただけ。
どうしてそんな人間がプロ野球の世界に入ることができたのか、不思議でたまらない。入団テストの実戦投球では圧倒的なピッチングを披露したらしいが、自分はその現場にいたわけでもなく、彼女の投球は今日まで一度も目にしていなかった。
今はまだブルペンでの肩慣らしの段階に過ぎないが、果たして実戦ではどのような投球をするのか。どうにも想像がつかなかった。
三月、春季キャンプも終わり、二軍ではいち早く試合が始まる。三戦目の前日、俺は片崎に告げた。
「次の試合、お前をリリーフで使うからな。準備しておけ」
俺の言葉に片崎はただ一言、はいと言って頷くだけだった。
当日の七回表、その片崎を頭から登板させた。
結果は1イニングを投げて無安打無失点。
離れて見ていても球速より速く見えるストレートはやはり、打席に立つバッターにとっても速く見えるらしい。
打者三人のうち二人はストレートを空振りしての三振。残る一人は高めの速球を打ち上げ内野フライという、危なげない内容だった。
その後も片崎を何試合かリリーフとして投げさせてみたが、相手バッターは皆、遅くて速いストレートに空振りを繰り返しては、困惑した表情を浮かべていた。
二軍とはいえプロのバッター相手に、速く見えるだけの遅いストレートがあるだけで抑えきれるわけがない。それにもかかわらず片崎は、ここ数試合で計7イニングを投げて、アンラッキーなポテンヒット1本の無失点に抑えていた。これには流石に驚嘆するほかない。
マウンドで投げる片崎を見るたびに思う。
(こいつ、ピッチングが上手いんだよな……)
ピッチングが上手い、そうとしか表現できない投球を片崎は見せ続けていた。
バッターとの間合いの取り方、ストレートよりも遅い球種を混ぜ合わせることによる緩急、バッターの狙いを読み切る洞察力、上げればキリがないが、プロの投手でも身につけるのに何年もかかる技術を、片崎はすでに身につけていた。それを生意気に感じるほどに。
そしてこいつは、投球だけでなく、こいつ自身の性格も生意気だった。
十試合ほどリリーフで投げさせた頃だっただろうか。あいつの方から俺のもとへと、監督室を訪ねにきた。
ノックの音。俺が入室を促すと、失礼しますという一言とともにあいつが入ってきた。
「片崎か。どうした?」
「先発で投げさせてください」
前置きもなにもなく、いきなりそう言い放ってきた。
ずいぶんと肝が据わっている。それはまあ悪いことでもないが、さて俺は何と答えるべきか。
長いイニングを投げる、それも中5〜6日で投げ続けることは、プロの投手にも重労働だ。
男性アスリートにとってもそうなのだ。一般的には男性より体力面で劣るとされている女性選手にとっては、困難を通り越して無謀なのではないか。少なくともリリーフとしては今のところ結果を残しているのだから、当分の間、それこそ一軍に上がるまでは、リリーフのままでもいいのではないか。俺がそんなことを考えていた横で、
「調子に乗るな」
俺の隣にいた男が、そう口を開いた。
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