小平秀人は腹をくくる


 ぱちぱちぱち、という乾いた拍手を聞きつけて、俺はそちらに視線を転じる。

 この不愉快な音を発しているのは……ああ、やっぱりおまえか、学生さん。


「そんなバカらしい戦い方があるとは、いやいや、ある意味、古い日本人らしくていいですね」


 彼はどうやら意識的に件から目線をそらし、抱き合う巴と少年に目をやった。

 ──バカらしい? なるほど、そうか。

 味方だけではない、敵の命をも助けるために、たいせつなみずからの魂をも進んで地獄に落とす、そんな気高い戦い方をした彼女の守護霊を、おまえは、そんなふうにしか見られない人間なんだな。


「使えぬ、妖怪じゃ。おのれ、ならばつぎは……」


 巨大な牛のような塊が、新たな獲物を探して蠢く。

 学生さん──たしか向井という名だったか──は、不敵に笑いながら、


「すぐに教えてあげますよ、件。おまえは本来、に取り憑いていなければならないんです、おまえたちを倒してやっと、ぼくは目的を果たすことができるのだから」


 件は、半信半疑の表情で、しかし喜びを抑えようもなく向井を正面から見据える。


「言うたな、人間。わしの目的を、七代に渡る旅路の終焉を、きさまは手伝うてくりゃるのか」


「ああ、もちろんだ。おまえが求めてやまなかったやつは、そこ……」


 持ち上げた向井の手が、途中で止まる。

 その指の先には、平然と歩み寄っていく俺がいた。


「教えてやる必要はないよ、学生さん」


 なかばあっけにとられる人と妖怪の視線の先、みずから結界を破って歩み出し、地面に両手をついて泣きつづける巴のそばへ膝をついて、深く頭を下げる。


「ごめん、俺のために」


 泣きじゃくりながら、その声にハッとして頭を上げる巴。


「……どうして、秀人さん。あなたを守ろうとしたのに。出てきたら」


「いや、んだ。そうすれば、きみたちが犠牲になることはなかった。俺の責任だ。俺が最初から……」


 立ち上がり、くるりと身を翻す。

 くだん

 牛の面が全身を震わせ、俺を──因縁の終着駅を見つめている。


「おお、まさに、糸の先、この糸が、つながる」


 黒い毛玉のような塊に覆われた両手を掲げ、件は俺に見入る。

 俺は従容として、そこに立ち尽くす。

 わずかに顔を横に向け、視線の先に向井をとらえる。


「おまえの目的も、俺なんだな」


「まあ、そういうことです。あんたを倒せば、ぼくは、あの呪いの人形を連れた狗神憑きなんかをぶっ殺すより、はるかに高い経験値を得られるんですよ」


 やはり彼は、自分が強くなるために、この舞台を利用しようとしている。

 すでに一人、殺してもいるようだ。


「全員、殺すのか?」


 見れば向井の背後には、仲間らしい女子大生が立っている。

 やや不安げな女子大生をふりかえりもせず、向井は昂然と言い放つ。


「ご心配なく。あれはただの情報要員です。われわれのようにカンスト近くなると、もう低レベルのザコを殺しても、レベルは上がりません。ぼくが興味あるのは、あなただけです」


 低レベルは助ける。

 だとすれば、巴もその列に入れてもらえるのだろうか?


「……なら、彼女を保護してくれ。そうすれば」


 こんどは俺が彼女を助ける番だ、と思ったのだが。


「やめてください!」


 割り込んで叫ぶ巴。

 彼女はふらつきながらもどうにか立ち上がり、懸命に訴える。


「こんなの、ばかげています。人間性をとりもどしてください。皆殺しの……根絶やしの歌に踊らされて、私たちはまちがった道を選んでいる。目を覚まして、人間同士、力を合わせて、悪魔の誘いを振り払いましょう!」


 途中から、さっきのつづきのように含み笑っていた向井は、しまいにはげらげらと声を上げて笑った。

 そのまましばらく笑いつづけ、やがて、ふいにピタリと笑うのをやめると、氷のように冷たい表情で俺に──件に向き直る。


「……さて、本番開始といこうか?」


 ヴン……っと、向井の周囲の空間が揺れ、二重になったように見えた。

 静かな、底冷えのする、それは圧倒的な力。

 件が鼻先をくんくんと蠢かし、侮蔑的に口元をゆがめる。


か、修験者」


「安い恨みの成れの果てが、ほざくな。とっとと食いつけよ、おまえの憑代に」


 件と向井のやり取りを無視して、俺は女子大生に言う。


「そこの女子大生さん、彼女たちをお願いします」


「にゃ? そりはー、あいニャンの一存ではー、なんともー」


「かまわん、桜木。些事はきみに任せますよ。──さあ、件。見せてみなさい、を」


 向井の注意は、もう件と俺にしかない。

 その目の前で、俺は件にすたすたと近づいた。

 ……もう、終わりにしよう。


「探させて済まなかったな。おまえが、くだん……。俺は小平秀人。さあ、つかまえるがいい」


 間近まで歩み寄り、両手を開く。

 つぎの瞬間、件は大きく広げた両手両足の間に、俺の身体を包み込んだ。


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