第十五話 思い出はいつだって




「安心して。蘇生させるのは私だけで行うから。二人には異能を使ってもらうだけ。それを複製コピーして私が『夢遊空想』で使う。だから二人は大丈夫。さ、早く使ってくれない? 『絶対治癒』と『能力向上』を」

「………なの」

「? なあに、藍?」

「そんなの……そんなのだめだよ……っ!」

「どうして?」

「どうしてって……」


 今の依世ちゃんは、依世ちゃんじゃない。やっちゃいけないことをしようとしている。そんなのだめだ。


「そんなことしても、誠実様と遥香様が悲しむだけだよ……っ!」

「なんで決めつけるの? 藍は兄さんと姉さんじゃないのに」

「っ、それは……」


 だけど、もし私が誠実様と遥香様の立場なら、依世ちゃんに死んでまで生きたいとは思わない。だって依世ちゃんが大好きで、大切だから。


「……あぁ、藍は怖いんだね。ごめん。気づかなかった」

「!? そういうことじゃなくて……」

「だって、死んだら大好きな架瑚と話すことも触れることもできなくなるもんね。そんなの、嫌だよね」

(なんで今、架瑚さまが出てくるの……?)


 架瑚さまは関係ない。私が死んだら依世ちゃんの言う通り話すこと、触れることはできなくなる。だけどーー


「それと何の関係が……っ」

「あるよ」


 依世ちゃんは冷たく言いきった。私はその時の依世ちゃんの氷のような眼差しにビクッと怯える。


「あるに決まってるじゃん」


 依世ちゃんは私に近づいて顔を覗き込む。


「だって、藍だってそうするでしょ?」

「なにを……」

「架瑚が死んじゃったら、悲しくて悲しくて蘇らせようと思うんじゃないの?」

「!」


 否定することができない。もしもの話だ。だがそのもしもが起こった場合、私はどうするのだろうか。


「それと同じ。てか、聞かせてもらうけど何がだめなの? 私は二人を巻き込む形で兄さんと姉さんを蘇らせるけど、異能を複製コピーさせてもらうだけで、それが終わったら記憶を書き換えて元の世界にちゃんと返すよ。なぁんにも影響しない」

「だけど……っ」


 だめなものはだめなのだ。だって誠実様と遥香様の蘇生が失敗したら依世ちゃんはーー。


「それに、これは私個人の問題。二人にちょっと協力してもらうだけで、関係のないことだよね?」

「だけど、だけどでも……!」

「いい加減にして」


 依世ちゃんはそこで強く言い放った。


「言ったよね。藍には関係ないって。藍に私の行動につべこべ言う権利なんてないよね。私たちは血縁ですらないただの他人。そう他人……! 私が何をしようがしまいが、他人の藍には関係ない! ないって言ってるでしょ!?」

「っ……」


 他人。とても悲しい言葉。


(依世ちゃんはそんなふうに思っていたの……?)

「はぁ、おしゃべりも終わりにしよっか。……『傷つけ』」


 そう、依世ちゃんが言った瞬間だった。


「ああああああああぁぁっ!!」

「!? 紡葉くん!」


 紡葉くんが悲痛な叫びを上げた。

 あちこちから血が出ている。よく見ると、茎や蔓から棘が出ている。先程まではなかった。これにより紡葉くんから血が出たのだろう。明らかに依世ちゃんがやったものだ。


「やめて依世ちゃん! やめて!」

「このくらい大丈夫よ。だって真菰くんは死にたくないから『能力向上』を使わざるを得ない」

「!」


 紡葉くんは顔を歪ませ、「『能力向上』!」と言い放った。かろうじて傷は回復するも、完治はしていない。ギリギリで耐えている。

 痛々しい光景に、私は行ってしまいそうになる。


「絶対治癒、って言わないの?」

「〜〜っ!」


 言わなければ紡葉くんは苦しむ。だけど言えば依世ちゃんを見殺しにすることになる。使うべきか、使わないべきか。私には判断ができない。


(私、どうすれば……っ)


 苦しむ紡葉くんを見たくない。早く『絶対治癒』を使いたい。だけど使えば、依世ちゃんは私の異能を複製コピーして誠実様と遥香様の蘇生を行う。


(最悪の場合、死んじゃう……っ)


 だけどそれはどちらの場合も同じだ。どちらを選んでも、私の望む未来は訪れない。


「藍にはさ、弱点があるんだよ」


 依世ちゃんは私を悩ませる。


「どんな人でも切り捨てない。見殺しにしようとしない。それはいいところだと思うし、藍の長所。けど、どちらか選べと言われた時に迷うよね? そして藍は欲張りだから、どっちも選ぶ」


 否定はしない。実際そうだから。

 母さまと対立した時もそうだ。

 夕莉を切り捨てることも、架瑚さまとの婚約を破棄することもしなかった。どちらも選んだ。


「だけど今はそんなの無理だよね? 今この瞬間、藍はどちらかを選ばなければいけない状況だから。そして藍がどっちを選ぼうとも、幸せになれない。だって藍の望む未来は都合のいい夢のような世界なんだもの」


 依世ちゃんの言葉は、正しい。

 淡々と事実を述べている。

 ただそれだけなのに、息が苦しくなる。


「私だって傷つけたくない。巻き込みたくない。でも、何かを得るためには何かを失うことになるんだよ。代償は必須。わかる?」


 どうするのが最善なのか。きっと答えなんてない。どちらを選んでも、誰も責めない。責めることができない。

 だからこそすごく怖い。

 なにが正しいのか、判断ができなくなりそうで。

 そんな時だった。


「とき、と……っ」


 紡葉くんの呼吸は乱れている。

 話すのですら、辛いだろうに。


「異能、は、使うな……」

「! だけど、それだと紡葉くんが……つ」

「迷って、るんだろ……? なら、使わな、いほう、が、いい。心配す、るな。やばくなっ……たら、言う、から……」


 つまり、紡葉くんはギリギリまで耐える気なのだ。依世ちゃんのために。


(なら、私がすべきことは……)


 依世ちゃんを止め、私たちの拘束と紡葉くんへの攻撃を解いてもらう。それしかない。私が依世ちゃんの凍ってしまった心を溶かすんだ。

 呼吸を整え、気持ちを落ち着ける。そして、依世ちゃんとまっすぐ向き合った。


「……他人だって言ってたけど、それは違うよ。依世ちゃん」

「っ、なに、急に」


 突然話し始めた私を依世ちゃんは警戒する。


「……私たちはたしかに他人だよ、依世ちゃんの言う通り。だけど、友達でもあるよ」


 私に依世ちゃんの行動を制限する権利なんてない。当然、血縁関係ですらない。それは依世ちゃんの言う通り、他人だ。依世ちゃんが何をしようと、私には関係のないことだ。

 けれどーー


「っ、友達? そんなわけ……」

「あるよ」

「!」

「私は友達だと思ってる」


 依世ちゃんは夕莉以外でできた、大切な友達だ。

 他人以上に、私は依世ちゃんを友達だと思ってる。それだけは変わらない。たとえ依世ちゃんにとっての私が他人だったとしても、絶対に。


「怒ってる依世ちゃんも、悪いこと企んでる依世ちゃんも、全部私の大切な友達の依世ちゃんだよ。もちろん、笑ってる時の依世ちゃんも」


 完璧な人なんていない。情緒のない人なんていない。怒り、悲しみ、嫉妬、憎悪といった感情があって当然なのだ。

 今の依世ちゃんは、それが大きく出てしまっているだけ。ただ、それだけ。


「だから、見捨てたりなんかしない」

「……っ」


 今、私は怒ってるんだと思う。誠実様と遥香様を蘇らせるためとはいえ、紡葉くんを傷つけた。仕方のないことでも、死なない程度だったとしても、私は許せない。

 けれど、それと同時にそこまでして蘇らせたいと思う依世ちゃんを救いたいと思う。誠実様と遥香様に縛られずに、自由に生きていけるような未来を依世ちゃんには歩んでほしいから。


「私は依世ちゃんともっと一緒にいたい。もっとたくさんのことを知りたい」

「私はそんなものなんていらな……」

「嘘」

「!」

「嘘、ついてる」

「嘘なんかじゃ……っ」

「嘘だよ」


 そんなの、嘘に決まってる。

 学校での楽しい時間。咲音ちゃんと一緒にお出かけした日。今日の春蘭祭での働き……どれも楽しい日々だったはずだ。

 だって、依世ちゃんは笑っていた。あの笑顔すら偽りだったなんて言わせない。少なくとも私は、偽りだなんて思わない。


「わざと嫌われようだなんてしなくていいんだよ」

「なにそれ……意味わかんない」

「わかるはずだよ。依世ちゃんはわざと私たちに嫌われるような態度を取ってる。依世ちゃんが死んでも悲しませないようにするためだよね」


 余裕そうな態度なのも、突き放すような態度も、怒っているのも……全部、そのためだ。演技をしていたというのも嘘。演技だ。


「誠実様と遥香様と差別した時、すごく悲しくて辛かったんだよね。だからえてひどい態度を取ってる。違う?」


 お二人との最期は残酷なものだったと聞いている。誠実様と遥香様は妹の依世ちゃんを守り、上兄妹としての役目を果たしたらしい。


「違う……違う…っ!」

「依世ちゃんは怖いんだよね。また大切な人を失うのが」

「そんなんじゃ……!」

「大好きだったんだよね、本当に。誠実様も遥香様も素敵な人だったって聞いたよ。そんな大事な人が依世ちゃんを庇って亡くなってしまったことを後悔してて、自分が死ねばいいのにって思って、ずっと、苦しいんだよね」

「〜〜っ! 藍に何がわかるの!? 同情だなんていらない! わかったように言わないで!」

「わかるよ」


 私は依世ちゃんに手を伸ばす。


「私も、茜を失いかけたから」

「っ……!」


 依世ちゃんは心身ともに追い詰められていたんだと思う。喪失感と、己の無力感に絶望していて、ずっと、苦しかったのだろう。誠実様と遥香様を蘇らせなきゃと思うほどに。


「どう、して……?」


 初めは謎の多い同級生だと、思っていた。

 引きこもりなのに異能の天才児と言われているし、誠実様と遥香様のことは全く気にしていないように見えた。

 立ち止まらず、異能を鍛え、孤独でも頑張ることのできる、尊敬する人。それが私の中の依世ちゃんだった。

 だけど私は勘違いをしていた。


「どうして……? どうして……っ」


 依世ちゃんのまぶたから雫が溢れる。

 それは宝石のように美しくてガラスのように脆い、優しい心があるから起こる現象だ。


「わからないの、私……っ」


 依世ちゃんは孤独でも耐えることのできる強い子で、だけどそれと同時に一人で全てを抱え込んでしまう子だ。


「どうして私なんかのために兄様と姉様が死んだのか、わからないのよ……っ!!」


 おそらく、誰が味方で信用していいのかわからなくなったのだろう。それを教わる前に、誠実様と遥香様が依世ちゃんの元から去ってしまったから。


(でもきっと、依世ちゃんはわかってる)


 誠実様と遥香様が依世ちゃんのために命をもって守ったのは、二人が依世ちゃんのことが大好きだったからだ。

 だけど、自分への愛のせいで二人が亡くなっただなんて、依世ちゃんは思いたくなくて、信じたくなくて、だけど事実だから受け入れる他なかったから……。


「っ……」


 大切な人を失った悲しみは、大きい。

 しかも二人同時に目の前でだと思うと、想像以上のショックだったんだと思う。今の依世ちゃんに必要なのは精神の治癒メンタルケアだ。

 茎や蔓の拘束が緩まったのを確認すると、私は前に架瑚さまから預かった誠実様と遥香様、そして依世ちゃんが映る写真を取り出した。


「! これは……?」

「私が天宮に来た初日の夜に架瑚さまから預かった写真。時期を見計らって依世ちゃんに返してほしいって架瑚さまが」

「そんな、のが……」


 上手くできるかわからないけど、と前置きをして小さな可能性を告げた。


「依世ちゃんに誠実様と遥香様に会わせてあげられるかもしれない」

「!? それって……」

「も、もちろん蘇生するんじゃないよ。この写真の記憶を映し出すだけ」

「写真の、記憶」

「うん。じゃあ、やってみるよ」


 この日のために未玖と特訓した成果を、ここで発揮する。深く息を吸うと、一息に唱えた。


「『想像顕現 記憶解放オープン ザ メモリー』」


 ぶわっと辺り一面に花畑が現れる。写真の記憶にあった風景を顕現しただけなので、実際に触れることはできないが。


「! あれは……」


 奥の方に三人の子供がいる。

 何かを話しているようだ。

 依世ちゃんは近づいて会話を聞く。


「「お誕生日おめでとう、依世」」

「ありがとう! にいさん、ねえさん」

「はい、私たちからのプレゼント」

「わあぁ! きれいな"はなかんむり"! とってもじょうず!」

「よろこんでもらえようでうれしいよ」


 小さな依世ちゃんは誠実様に花冠をつけてもらう。遥香様に「かわいいね。依世に似合ってるよ」と言われると、嬉しそうに笑った。

 本物の依世ちゃんは、「兄さん、姉さん……」と呟いている。今はなにも話しかけない方が良さそうだ。

 私は依世ちゃんが眺めている間に紡葉くんの元へ駆け寄り、『絶対治癒』をかけて怪我を治し、茎や蔓を丁寧に取ることにした。


「聞いて、依世」

「なぁに、ねえさん?」

「依世のこと、ずっとずっと大好きだよ」

「っ……いよも! いよもねえさまがずっとだいすき!」

「兄さんも依世のこと好きだぞ?」

「にいさまもすき!」


 ふふふっと互いに笑い合う。


「ねえ依世」


 そして、大切なことを言うのだ。


「そのことを忘れないで」

「? うん! わすれない!」

「どんなことがあっても、前に進むんだぞ?」

「わかった!」

「約束できる?」

「やくそくできる!」

「言ったな?」

「いった!」


 そんな依世ちゃんの言葉を最後に、『想像顕現』による幻影は消え、もとの『夢遊空想』に戻った。

 依世ちゃんは……泣いていた。


「ど……して……っ」


 今の依世ちゃんの「どうして」は、さっきの「どうして」とは違うものになっていた。


「どう、して……っ忘れてたん、だろ……」


 綺麗な顔が涙でぐしゃぐしゃだ。

 だけど、それでいいと思った。


「やくそく、したのに……っ」


 後悔や懺悔はきっとこれからも続く。

 けれど、今の依世ちゃんなら大丈夫。

 大切なことを思い出せた依世ちゃんなら、きっと……。


「うっ、ぐすっ……あっ、あい、る……っまこも、くん……っ」


 私と紡葉くんは顔を見合わせ依世ちゃんに近づく。私は依世ちゃんを優しく抱きしめ背中をさすり、紡葉くんは依世ちゃんの頭を撫でた。


「ごめ、なさい……ごめんな、さい……っ」

「依世ちゃん。こういうのはありがとうの方が嬉しいよ」

「!」


 大切なものは失って気づくことが多い。

 けれどーー


「あり、がとう……本当に、ありがとう……っ」


 思い出はいつだって、自分のそばにいる。



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