第一話 出会い
「こんなまっずいもの私に食べさせる気?」
「も、申し訳ございませ……っ!」
いつものことだ。早くから起きて作った朝ごはんを茶碗ごと投げられ、私の頭に当たるのは。
すごく痛いし、食べ物を粗末にしてほしくない。だけど、反抗すればもっと酷いことをされる。十年以上の経験が、服従しろと私に促した。
「
「別にいいじゃない。それとも、父様は私にこんなまずいものを食べろって言うの?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ黙っててよ」
父は私を庇っているつもりなのだろう。だけど、怒ることが苦手な父では、茜を怒らせることしかできない。
私への八つ当たりが父の一言によって激しくなっているという自覚は、きっと父にはないだろう。
私は黙って我慢することしかできない。
「そう言えば。茜、次のテストも学年一位を取りなさい。
「……わかっています、母様」
時都家は頭が良く、
茜はそれを強要されている。母は出来が良い人なので、娘にも自分のようになって欲しいのだろう。
しかしその重圧に茜は耐えきれていない。そしてそのことに母は気づいていない。
「ああ、でもあなたは頑張らないでね藍。あなたは茜の引き立て役なんだから。『
「はい、母さ」
パンッ!
爽快な音が部屋に響いた。
頬を叩かれたと気づいたのは、頬を中心に熱く、痛みを覚えたからだ。私はそこをただ押さえた。きっと頬は赤く、痛々しいものとなっているだろう。
「私はあなたの母ではありません! 厄女だという自覚をもちなさい!」
母は私の母だと思いたくないのだろう。
私は母と思うことを、母と呼ぶことを許されていない。だから私は叩かれたのだ。
「申し訳、ございません」
それと厄女というのは私のことだ。昔から双子の姉妹の妹は、厄を呼ぶ女だそうだ。
そんな厄女を母の代で生んでしまったことを、母は汚点と考えている。母にとって私は邪魔な存在でしかないのだ。
「早く下がって。目障りよ」
「……はい」
家族と呼べる人はいない。朝に明るく照らす太陽は存在しない。
それが、私の当たり前だったーー。
「
「おはよう
夕莉は色素の薄いふわふわとした髪の女の子だ。朝が弱いようで、いつも眠そうにしている。
「いや、転んだだけでそんなんにならないって! 何があったの?」
「本当に、何もないの。大丈夫」
家でのことはしゃべってはいけない。
昔、そう契約させられたからだ。
「それならいいんだけど……あっ! もうすぐ予鈴だ! 藍、走るよ!」
「! ……うんっ」
苦しく辛い毎日。そんな日々を忘れられるのが今通っている
今は十六歳だが、高校を卒業……つまり十八歳になったら、母に家を出るよう言われている。
その時は夕莉の家にお世話になろうかと考えている。
それまでは耐えると決めたのだ。
「藍、早く早くっ!」
「わっ、待ってよ夕莉〜!」
だけど、その希望が消え失せるとは、思っても見なかった。
「結婚……ですか?」
「そうよ。あなたのような人でも、結婚したいという人が現れたのよ。ありがたいと思いなさい。封筒を開けていいわよ」
家に帰ってきてすぐ、女中さんに「奥様がお呼びです」と言った時には、何事かと思った。
一日二回の家族団欒の食事の時は、私は別室で食べるし、食べないこともあったからだ。
そして母はいつも私の顔を見たくないと言っていたので、まさか母から来るよう言われるとは思ってもいないことだった。
(だけどまさか、結婚だなんて……)
十八歳になったら、家から追い出されるはずなのに、いきなり結婚の話になるとは……。
母は私を極力外に出したくなかったはずだ。嫁に出すということは、何かあったのかもしれない。
私は封を開け、中身を除いた。
「………なに、これ…………」
中に入っていたのは写真と手紙だった。
五十代後半と思われる男性の写真と、私宛ての婚約話の内容の手紙。どう見ても、普通の結婚とは思えない。
私は恐る恐る母に尋ねた。
「あの、この人は……」
「あなたの結婚相手よ、厄女。それで? 何か文句でもあるのかしら。あぁ、歳の差があり過ぎるだなんてこと、言わないでね。そんなこと、些細なものなのだから」
母は四十の歳の差を些細と言うのか。
いくらなんでも些細では補えない。
「あなたと結婚する代わりに、多額の支援をしてくださるとおっしゃってくださったのよ。よかったわね」
「……………」
何が良いと言うのだろうか。私の気持ちは何も考えていないだろう。いや、それは昔からのことだ。
だけどーー。
「母さ……いえ、奥さま」
「何かしら?」
「前に私が十八になったら家から出す、とおっしゃったことを覚えていらっしゃいますか」
「えぇ。覚えているわ」
よかった。そのことを忘れられていたら、これから話そうとしていることを話せなくなるところだった。
私は落ち着いて深呼吸をすると、話し始めた。
「それは、嘘だったのですか?」
「嘘じゃないわよ。だってそうでしょ? 家から嫁に出すのだから」
「……! そういう、意味だったのですか」
「あら、勘違いしていたの? 厄女は頭も悪いのね。本当に残念だわ」
「…………」
(あぁ、そうだったのか)
私は俯く。
いつものように、自分自身に悲しんでいるのではない。母に対しての悲しみと苦しみが混ざって、どんな顔をしていいのかわからないのだ。
(全然、良くなんかない)
「…………せん」
「? よく聞こえないわ、厄女」
母は聞き返した。
(私のことなんてどうでもいいんだ)
ずっと前からわかっていたことのはずだ。
母は私を嫌っていて、家族として、娘として、人として接していないのだ。きっとそれは何年経っても変わらないことなのだろう。
(……もしかしたらって、思ってた)
もしかしたら、良い成績を残せば認めてくれるかもしれない。もしかしたら、魔法の腕前を上げれば褒めてくれるかもしれない。もしかしたら、いつの日か家族として接してくれるかもしれない。
でもそれは全部私の理想であって、現実にはならないことだったんだ。
(叶うはず、なかったのに……)
きゅうっ、と胸が強く締め付けられる感覚がした。視界がぼやけて、呼吸をするのがやっとになるぐらいになったのがわかる。
だけど私はそれを抑える。
今言わなきゃ、絶対に後悔すると思った。
「……奥さま」
「なにかしら?」
「私はこの人と結婚したくありません」
「……………はぁ?」
「っ……!」
笑顔の仮面を母は外し、もとの怒りの表情へと変えた。
私はそんな母に尻込みしそうになるが、ここで反抗しなければいけないと、本能的に感じ取った。
「あなたに選択権があるとでも? 自惚れるのもいい加減にしなさい」
「………私の人生は、私のものです」
ここで初めて、私は母に抗った。
「私の将来を勝手に決めないでください!」
「なっ! 厄女のくせに、争うんじゃないわよ!」
バンッ!
またも頬を叩かれた。朝のが治っていなかったためか、そこから血が滲み出たのがわかった。
涙が、止まらなかった。
苦しかった。生きたくなかった。
「……っ!」
「! 待ちなさい、厄女っ!」
私は部屋を出て、家を出て、行く宛てもなく走り出した。外では雨が降っていたが、傘を差している暇はなかった。私は人生初の家出をした。
「待ちなさいっ! ……っあなたたち、早く厄女を追いかけて捕まえなさい!」
母の叫ぶ声が聞こえ、追手が来るのがわかった。
(苦しい、辛い……でも…………っ!)
捕まるわけにはいかない。私は走って走って走り続けた。
「はぁ……はぁ………はぁ…………」
どのくらい走ったのだろうか。息が続かなくなり、私は止まった。
全身が、雨で濡れて気持ちが悪かった。学校から帰ってから着替えてなかったセーラー服は、水を吸ったのか重く感じた。
「……
異国から魔法と魔力が伝わり、異能を使えない人でも特別なことができるようになった。
だがそれでも魔力値は個人差があり、上からファースト、セカンド、サードと階級が決まっている。
私はいわゆる落ちこぼれと言われるサードなので、高等魔法や威力は小さく、魔力消費も激しい。
(……もう、六年前になるのか)
十歳になった日には、魔力値を計測しに行くことになっている。魔力が増えるのは十歳までと言われているからだ。
その日、私は茜と共に魔力値を測った。
そしてーー。
『ど、どうして……』
私の計測結果は、落ちこぼれと言われるサードの中でもさらに落ちこぼれだとわかった。一方茜はファーストに近いセカンドだった。
その日を境に、私と茜の間には大きな溝ができたのだと思う。それまでは、茜とは仲が良かったのだ。
(これから、どうしよう……)
追手はもう来ないだろう。自分ですらここがどこなのかすら、わからないのだから。
今の私の魔力は
私は一旦近くにあった古い停留所に身を寄せた。そして
「……死のうかな」
唐突に、そう、思った。
生きることが、辛い。
生きる意味も、楽しみも、ない。
家族としていたくても、愛されたくても、一緒にいたいと思っても、叶えることはできない。
私が厄女で、サードだから。
近くに川があった。流れが速く、落ちればすぐに溺死するだろう。今なら苦しく、誰にも知られずに死ぬことができるだろう。
(ずっと、苦しかった)
私の願いはちっぽけで、誰にでも叶うこと。だけど私にはとても重要で、一番欲していること。
(認められたかった)
勉強で成績を残せば褒めてくれると思った。でも、茜を引き立てろと言われて、わざと間違えなければならなかった。
運動は苦手だった。だから頑張って何度も挑戦して、克服した。けれど、どんなに努力しても茜には勝てなかった。
魔力を増やそうと思った。落ちこぼれのサードでも、魔力圧縮と鍛錬を積めば、十歳を過ぎても増えると思ったから。でも、使える魔法を増やしても、精度を上げても、やっぱり引き立たなければならないから、ダメだった。
(私はただ、認められたかった。だけど、それ以上に愛されたかった……)
橋の上に立つ。そして何も考えずにゆっくりと前へ体重をかけた。
そして落ちる寸前まできたというのにーー。
「早まるなっ!」
誰かの声がして、私は腕を掴まれ、死を逃れた。力と声の低さから、男の人だとわかった。その人は、私を橋へ引っ張り上げた。
(助かった、の……?)
地べたの冷たさが身体中に伝わった。雨で濡れているせいもあり、体温が徐々に下がっていくのがわかった。
涙と雨粒が、私の額に流れた。
「なんで、なんでなのよ…………」
心も体も、ボロボロだった。
私は胸の内を全て吐き出した。
「あなたには関係ないでしょ! なんで助けたのよ!」
こんなことを関係のない人に言うだなんて可笑しいと知っている。でも誰にも相談できずに六年間耐えたこの苦しみは、限界を迎えていたのだ。
「努力しても認められない! 存在すらも! 生きる意味なんかない! 楽しみもない! 自由もない!」
全部本当のことで、全部苦しくて、悲しくて、辛くて。
認められたくて、愛されたくて。
「必要とされる人もいない!」
今の私には、誰も必要としていなくて、それが情けなくて、惨めで……一言で言えば。
「もう私は……生きたくない!」
自殺を試みるまでに、生きたくなかった。
だけどーー。
「じゃあ俺がなる」
一瞬、何を言ったのか理解できなかった。
「俺が君を必要とする。俺が君を助ける」
そしてその時初めて、私は私を助けてくれた人をちゃんと見た。
(綺麗な、人……)
前髪がかかった吸い込まれるような瞳。闇を閉じ込めたかのような黒い髪。思わず見惚れてしまうほどの美しいお方に、この時初めて私は出会った。
そしてこのお方と出会ったことで、私の運命は大きく変わることとなった。
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