エピローグ 変化した未来

第28話 アリーシア、牢獄にてマリナと

 アリーシアの裁判、そしてマリナが投獄されてから三ヶ月が経過した。

 季節は春をすぎ夏となり、帝都にも暑さが到来する。


 アリーシアは、政治情勢や皇族の儀礼等の講義をうけ、忙しい日々を送っていた。

  

(……ここは相変わらずね)


 帝都はずれにある地下牢をアリーシアは訪れる。


 牢獄に来るのはおよそ一か月ぶり。

 意図的にだんだん頻度を落としている。


「マリナ、調子はどう?」


 久しぶりに見るマリナは、もう外にいたころの美しさは見る影もない。

 着ているものはぼろぼろで、手入れされていない髪と肌は荒れ放題だ。


「お、お従姉ねえさま! お願い、早くわたくしをここから出して! こんな所にいたら、大切なお腹の子が死んでしまいますわ!」


 投獄されていたマリナは、体の不調を訴え、ひと月ほど前に妊娠していることがわかった。

 それからは、ずっとこの調子だ。


「大丈夫よ。ちゃんとお医者様も定期的に来てくれるように手配してるから」


 産まれてくる子供に罪はない。

 アリーシアとしても、マリナはともかく子のためにはできるだけのことをするつもりだ。

  

「それだけでは足りませんわ! もっと栄養のあるものを食べないとだめですわ!」


 マリナもアリーシアが子供を盾にすれば言うことを聞くことをわかっている。


「心配しないで、そのあたりもお医者様に伝えているから」

「ハインリヒ様には本当にちゃんと伝えてくれましたの? このことがわかれば、あの方だって!」


 妊娠が発覚した後、マリナから真っ先に言われたのが、父親にあたるだろう第二皇子ハインリヒのことだった。


「もちろんよ。だけど、第二皇子はあなたも、その子のことも知らないって。……残念だけど、あなたは見捨てられたのよ」


 アリーシアの言葉は嘘偽りのない真実だ。

 現状、カシウス皇子の名声はより高まり、その地位は盤石になっている。

 第二皇子としても、わざわざカシウス皇子の怒りを買ってまでマリナを助ける利はないということだろう。


「……あの方は、そういうお方でしたわね」


 アリーシアの言葉に、マリナも思うところがあるのかうなだれる。

 

「で、でしたら、わたくしの商会の方はどうなりましたの? 商会のお金があれば、ここから出ることぐらいはできるはずですわ!」


「……あの商会はもう完全に第二皇子派のもの。だから、あなたのためにお金を出してくれることはないのよ」


 もともとバルダザール伯がおこし、伯爵の投獄後もマリナが運営し、さらに発展していた商会。

 投獄前は名義を第二皇子に貸しただけだったが、今は名実ともに第二皇子配下の者が運営している。


「そんな! あれはわたくしのものでしたのよ! わたくしが運営しなければ、すぐにつぶれてしまいますわ!」


 マリナはそう言うが、これからどうなるかは実際に運営している者の手腕次第だろう。

 もしせめて、バルダザール伯や伯爵夫人が投獄されたときに、マリナがふたりをもっと早くに助けていれば、未来は違った可能性はある。

 しかし今はもう、マリナを助ける者はいない。


「じゃあ、わたしも行くね。いろいろと忙しいし」

「待って! アリーシア!」


 立ち去ろうとしたアリーシアを、マリナは呼び止める。


「……ごめんなさい、お従姉さまの大切な人形のこと、本当に悪いことをしましたわ。もう二度と、あなたたちを傷つけるようなことはしませんから、わたくしのこと、どうかお許しください」


 ひざまずき、その場で頭を下げる。

 マリナが牢獄に入ってから、初めて聞いた謝罪の言葉だった。

 すべての頼みの綱が切れ、残ったのはアリーシアだけということがマリナにも身に染みてわかっているのだろう。


「……」


 アリーシアは静かにマリナを見下ろす。

 

「……ごめんなさいね。あなたを助けることはできないの」


 マリナが投獄された発端となった、裁判での罪はそこまで大きくない。

 だけどみーちゃんのことを考えると、どうしても硬い表情になってしまう。


「そ、そんなことはありませんわ。お従姉ねえさまがカシウス殿下に頼めば、すぐに!」


 たしかに、アリーシアが許して、カシウス皇子に頼めば、間違いなくマリナは牢獄を出られるだろう。

 だが、こんなことでカシウス皇子を頼るつもりはない。


「……カシウス様は、あなたのことを助ける気はないの。それに、あなたには西の王国と内通した件の容疑もかかっている。ここから出るのは難しいでしょうね」


 アリーシアが予想していた、第二皇子派がマリナに責任を押し付けて切り捨てるという未来が現実のものとなっていた。

 西の王国との内通についてもマリナが責任者となるような証拠が次々出てきている。最初の罪がいくら軽くても、この罪が加われば、よくても終身刑となる。

 

「そ、そんな! 西の王国とのことはわたくしは関係ありませんわ!」


「たしかに、直接は関わっていないのかもしれない。だけど、あなたも知っていたでしょう? 少なくとも、あなたのものだった商会は知って動いていたのよね?」


「そ、それは……」


 アリーシアの言葉にマリナは口ごもる。


「で、ですけど、それは第二皇子から聞いただけで! わたくしは関係ありませんわ!」


 おそらくこの件についてはマリナの言葉が正しいとはアリーシアも感じている。


(……あなたも嘘の証拠で、わたしを偽皇妃としてここに投獄したのよ)


 今のマリナは知らないことだが、その時のことを思いだす。

 いくら証拠がニセモノだとしても、マリナを助けるかは別の問題だ。


「……それは、これから裁判でわかることよ。その時を待ちましょう」


 アリーシアは、さとすような口調でマリナに話す。

 

「お願いです、お従姉ねえさま! このままでは、わたくしは一生この牢獄暮らしですわ! ここから出られたら、なんでもします! 皇妃となられるお従姉ねえさまのお力で、わたくしを助けてください」


 対するマリナは額を床にすりつけ、必死にアリーシアに頼み込む。

 

(前世ではあなたに、土下座するように言われたよね)


 マリナが許しを乞う姿に自分の牢獄でのことが重なる。


(その時、あなたは無実の私のことを許してくれたことは一度もなかった)


 むしろあざ笑い、とりまきたちの見せ物にしたマリナの姿が目に浮かぶ。


(それに、私が死んだ後のミーシャへの仕打ちを許すつもりはない)


 みーちゃんは語ってくれなかったが、さぞひどい扱いをしたのだろう。


「ごめんなさいね、私ではどうすることもできないの。まだカシウス様が皇太子に決まったわけでもないし。それに皇妃になったからと言って、一存で決められるわけはないでしょ?」


 あくまで冷静な口調を崩すつもりはない。

 アリーシアにとって、マリナは自分の本心を語る価値もない存在だ。


「そ、そんな!? だったら、おなかの子はどうなるの!? こんなところで、子供を育てるのは無理ですわ!」


 マリナにとってお腹の子供が最後の希望だ。


「子供のことは心配しないで。私があなたの分まで、大切に育てますから」


 これだけは本心からの言葉だ。


(あなたのように、娘を虐めるようなことは絶対にしない)


 マリナの罪をその子供におわせる気はない。


「そんなことを言って、わたくしから子供を取り上げるつもりなんでしょ! 子供には、実の母親が必要ですわ! だからお願い、わたくしをここから出して!」


 マリナは鉄格子につかみかかり、アリーシアに向かって懇願する。

 もう子供を使うしか、自分が助かる道はないと感じているのだろう。


(マリナにとっては、子供は自分を生かすための道具でしかないのね)


 アリーシアにとっては、娘のミーシャは自分より大切な存在だ。

 だけど、マリナにとってはそうではない。


「……あなたのような親がいない方が子供にとって幸せね」


 アリーシアはそれだけ言うと、マリナから背を向ける。

 これ以上マリナといると、感情を制御できないと感じたからだ。


「そ、そんなことはありませんわ! お願い、お従姉ねえさま! わたくしと、わたくしの子をここから助けて!」


 叫び続けるマリナの声を背に、アリーシアは牢獄から歩き出す。

 マリナの姿が見えない所まで進んでも、懇願の声が聞こえてくる。 


 次にくるのは、マリナが子を産むときでよいだろう。

 ――その日をマリナに会う最後にするつもりだ。


 ◇◇◇


 マリナは消えゆくアリーシアに必死に呼びかける。

 気配が完全になくなったのを察し、マリナはその場に崩れ落ちた。


 アリーシアは一度も振り返ることなく、立ち去った。

 尋問や看守を除くと、会いに来てくれるのはアリーシアだけ。


(どうしてこんなことに? どこで間違えてしまったのかしら?)


 思えば、エステルハージ侯爵家乗っ取り工作の時から、アリーシアの様子はおかしかった。これまでのおどおどした態度が消え、マリナへ依存することがなくなった。カシウス皇子から、呪術の力を得たからに違いない。


(お従姉ねえさまだけ、ずるいですわ! わたくしはこんな目にあっているのに、自分だけ形代かたしろを持つ聖女、未来の皇妃だなんて!)


 両親も、自分の商会も、アリーシアの手により失った。


(お従姉ねえさま! これまであんなに良くしてあげたのに、ちょっと人形が燃えたくらいであんなに怒らなくても良いのではなくって?)


 呪術の力については推察できても、マリナにはアリーシアが前世から過去にさかのぼってきたという事実をうかがい知ることができなかった。


 マリナは少しだけ膨らんだ自分のおなかに目をやる。

 アリーシアはなぜか子供には甘い。


(わたくしに残ったのはこの子だけ。この子は第二皇子の血を引く、皇族の子。……この子を使って、絶対にここから出てみせるわ)


 マリナはぶつぶつと独り言をつぶやき始める。


 残されたひとかけらの希望をかてに、これからの作戦を考え続ける。

 それが、マリナが正気を保つための唯一の手段だった。

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