第1章 エステルハージ侯爵家を狙う罠

第2話 十七歳に回帰し、運命を変えることを決意する

 ――まぶしい!


 意識を取り戻したアリーシアが最初に感じたのは光のまぶしさだった。


(地下に投獄されたあの日以来、見ていない日の光……。

 そう、しばり首になった日も雨で……)


 そこまで考えた後、アリーシアは状況のおかしさに気づいた。


「ここは……どこ!?」


 もう自分ではまともに動かすことができなくなっていたはずの体が自由に動く。

 視界の先にあるのは、帝都にある侯爵家の邸宅の一室。

 アリーシアが皇妃として嫁ぐまで過ごしていた、見慣れた自分自身の部屋だった。


「どういうことなの!?」


 アリーシアは立ち上がり、鏡に自分の姿を写す。

 母譲りの緑色の瞳、そして父譲りの茶色の髪……。

 上質なドレスにくるまれているのは、間違いなくアリーシア自身の姿だ。

 だが、その姿は記憶より少し幼い。まだ少女の頃のものだ。


(若返ってる!?

 ……たぶん十七歳ぐらい?)


 その時だった。

 突然、アリーシアの首元が淡く緑に輝く。


「お母さまの首飾り!?」


 投獄されたときに奪われたはずの首飾り。

 当時は大切にしまっていたはずのものが、なぜかアリーシアの首元にあった。


 首飾りの緑の光はやがて小さな球を形作り、首飾りを離れ、迷うようにさまよう。

 最後には枕元にある、小さな女の子を模した人形へと吸い込まれる。

 昔に、アリーシアの母が作ったものだ。


(いったい、何が起きているの?)


 突然のできごとにぼうぜんとするアリーシア。

 人形はひとりでに立ち上がると、しゃべりはじめた。


「よかった……成功したみたい!」


 それは人形の姿にふさわしい、幼い女の子の声。


「は、はじめまして? あなたはいったい?」

「わたしの名前はみー……」

「みー?」


 そこで口ごもった人形はあわてたように言葉をつづけた。


「そ、そう、『みーちゃん』って言うの、よろしくね!」


 ――その名前を聞いたアリーシアは自分の娘、ミーシャのことがよぎる。


(大きくなったら、娘もこんな感じにしゃべったのかな)


「こちらこそよろしくね、みーちゃん。アリーシアと申します」


 みーちゃんと名乗る人形にむかって頭をさげる。

 やっとアリーシアは現状を理解していた。


 ここは夢の世界。

 投獄され、毎日のようにひどい仕打ちをうける暗い現実から逃れるための優しい夢の中。


(私が願う夢の中なら、娘に似た名前の人形が急にしゃべりだしてもおかしくないよね)


「せっかく夢に出てきてくれたんですもの、一緒に楽しく遊びましょう!」


 そう言ってほほ笑むアリーシアに、みーちゃんが怒りだす。


「ちがーう! 夢なんかじゃなーい! おか……じゃなかった。アリーシア、あなたはみーちゃんの力で昔に戻ったの!」


「みーちゃん? あなたの力? ……そうなのね、私を助けてくれてどうもありがとう、みーちゃん。こんな楽しい夢を見させてくれて、少しは心が軽くなったよ」


 あまりにも非現実的な状況に、アリーシアはこれが夢であることの確信を深めていた。


「だ・か・ら、夢じゃないって! どうしたらわかってくれるの!」


 ベッドに寝転がって手足をバタバタさせるみーちゃん。


(……ふふっ、こうして誰かと楽しくおしゃべりなんて。夢の中でも久しぶりね)


 聞き分けのない子供のようなその姿を、アリーシアは微笑ましく感じる。


「そうだ! あなたの首飾りを見て!」


 アリーシアはうながされるまま、首元に目をむける。


(あれ? 宝石がない!?)


 首飾りにたくさんはめられていた、緑の宝石がひとつ残らずなくなっている。


(小さいころに亡くなったお母さまの形見。不思議な力が宿っていて、一度だけ身を守ってくれるってお母さまが――)


 東方にあった小国出身のお母さま。

 その国には精霊がいて、その力を借り奇跡を起こす者たちがいる。

 帝国に併合された際に禁忌きんきとなり、今は力を使うことができない――。

 アリーシアはそう母から聞いていた。


(首飾りの力が、わたしを守ってくれた?)


「――ほ、本当に昔に戻ったの!?」

「だから、はじめからそう言っているでしょう?

 お……アリーシアを昔にもどすの、ほんとーに大変だったんだから!」


 たしかに、夢にしては実感がありすぎる。

 にわかには信じがたいが、やっと、アリーシアにも事態が飲み込めるようになる。


「……あなたは、この首飾りに宿った精霊様なの?」

「えっ? あ、うん! そうそう! そういうことなの! だから、もっと感謝してよね!」


 小さな人形の姿でふんぞり返るみーちゃん。


(もし本当に戻してもらって、それがこの子の力なら、感謝してもしきれない)


「精霊様……みー様とお呼びしてよろしいでしょうか? 本当にありがとうございます」

「やっとわかってくれたんだね! でも、わたしのことはみーちゃんでいいから! もっと普通に話してよ! ……こうして、ア、アリーシアとずっと話したいと思ってたから」

「わかりま……ううん、わかった、みー……ちゃん」


 満足そうにうなずくみーちゃんの姿に、アリーシアの心は温かくなる。

 本来なら敬うべき存在かもしれないが、名前や言動、人形の姿もあいまって、どこか気安い子(?)だった。


「首飾りが守ってくれるって聞いてたけど、まさか、過去に戻ることができるなんて」

「大変だったよ、昔の本をいっぱい調べて……あとはずーっと首飾りにたまってた力のおかげね!」


 みーちゃんの話によると、お母さまの形見である首飾りは数百年の間、周囲の精霊の力を吸収し続けたていたらしい。その力で時をさかのぼったとのことだ。


「言っておくけど、首飾りの力はぜーんぶつかっちゃったの。これが最初で最後のチャンスだから! 大変なのはこれからってことをちゃんとわかってよね!」


「最初で、最後のチャンス――」


 たしかに、今は時間が戻っただけ。

 前のように他人に流されるまま生きてしまえば、同じ結末になってしまう。


(そうよ、結果を変えるには行動を変えないと――)


 その時、誰かが部屋をノックする音が響く。


「アリーシアお嬢様? 起きていらっしゃいますか? 侯爵様からお手紙が届いておりますよ」


 かけられた声はなつかしい侍女のものだった。


「あ、ありがとう。もう少ししてから行きます」


 そう答えながらも、アリーシアの意識は侍女の言葉に引っ張られていた。


(お父様が、まだ生きている――)


 侯爵様――アリーシアの父であるエステルハージ侯爵。


 ちょうど投獄の三年ほど前に、隣国との国境付近で命を落としていた。

 その後、当主を失ったエステルハージ侯爵家は実質的に叔父のバルダザール伯に乗っ取られてしまう。

 それが、アリーシアの人生が暗転する、はじまりのできごとだ。


「お父様の命を救うことができれば、この運命を変えることができるかも……」


 せっかく、みーちゃんの力で過去に戻ることができたのだ。


「もう一度、娘に、ミーシャに会いたい……。そして、ミーシャには幸せな人生を送ってほしい……」


 獄中の一年間、アリーシアの頭のほとんどは娘のことで占められていた。

 娘を想い続けることで、なんとか正気を保っていたと言っても良い。


 そして。

 アリーシアの心の奥に押し込めていた、もう一人の大切なはずの人が心に浮かぶ。


「陛下……」


 カシウス・ヴァレリアン。

 ヴァレリアン帝国では珍しい黒髪に氷のような薄いあおの瞳――。

 戦地では鬼神のような存在として恐れられていた。


 戦場で行方不明になったと聞かされていたアリーシアの夫。

 あまりにも短い結婚生活で心を通わせる間もなかった。


 なぜかはわからないが、彼のことを考えるとアリーシアの心がちくりと痛む。

 もちろんカシウスも今なら第一皇子として生きている。


(陛下さえ無事に生きていれば、少なくとも娘が不幸になることはないはずよ)


 自分は愛されることはないにしても、娘である第一皇女のことは大切にしてくれるはずだ。


 そこまで考えて、最後に心に浮かんだのは、本当は思い出したくもない存在だった。

 牢獄でさんざんもてあそんだ末にアリーシアを死においやった、従妹のマリナ。


(まさか、マリナがあんなことを考えていたなんて)


 マリナの家族をはじめとする、アリーシアを、そして娘をおいやった者たちのことが心に浮かぶ。

 自分はともかくとして、第一皇女たる娘をないがしろにする者たちを許すわけにはいかない。


「今世では、絶対にやり返して、幸せになってみせる」


「そうよ! みーちゃんも手伝うから、いっしょに頑張ろう!」


 そう言ってみーちゃんは再びベッドの上で胸をそらす。


「ありがとう、みーちゃん」


 その姿を見ていると、アリーシアの頬も自然に緩む。


「ふふーん、じゃあさっそく、みーちゃんからとっておきの提案がありまーす!」


 得意げに話し出すみーちゃんを見つめながら、この子と一緒なら頑張れる、アリーシアはそう確信していた。


(――もう一度、娘をこの腕に抱き、幸せな生活を送る。そのために、私と娘の敵となる存在はすべて排除するのよ!)


 ◇◇◇


 後の皇妃、侯爵令嬢アリーシア・エステルハージはみーちゃんの不思議な力で投獄から三年、絞首刑になった時からおよそ四年の時をさかのぼる。


 それは帝国歴千二十年の年末。

 冬の寒さが厳しくなりはじめる頃のことだった。

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