34話 民の意思、国の意思

 息抜きのために訪れたヴィドのもとで、とんでもない話を聞いてしまった。すぐに王命に背いている件の猟師……モルドレッドを捕らえるためにヴィド付きの『刹那』を従えて行こうとしたところ、当のヴィドに止められてしまった。


「王女様。モルドレッドは王家をひどく嫌っています。王族の貴女が直接出向いても、何も語ろうとはしないでしょう。以前は悪い冗談だと思い聞き流していましたが、『いまの王家に一矢報いることができたら、死んだって構わない』と言い放っていた男です。まともな対話は不可能でしょう。もし王命に背いたという理由で追うつもりであれば、対話ではなく捕縛すべきです」


 対話は不可能で、詰問にも答えないだろうというヴィドの見立てに、わたしは頭をひねる。

 この件をお父様に報告したら、即座にモルドレッドは捕らえられるだろう。だがヴィドの言う通りの人物ならば、わたしたちが知りたい情報――なぜ、ミドガルド王国の『影』とのパイプを持てたのか、ミドガルド王国はクィルダイトを買って何をしようとしているのか――を口にすることなく処罰されてしまう。せっかくクィルダイトの謎に近づける機会だ。下手に動いて情報を得る機会を逃すほうがもったいない。


「ヴィド。モルドレッドの縄張りはどのあたりかわかる? それと、その男はわたしの「隠密」をヴィドと同じくらいの精度で見抜けると思う?」

「縄張りの場所はわかります。また、奴の拠点も知っています。そして貴女の「隠密」は王国随一です。日々やっと生きていけるだけの狩りしかできないあの老いぼれ猟師に、見抜けるとは思いません」


 わたしの問いに的確に答えつつも、彼らしくない荒い言葉づかいをするのを聞いて、ヴィドはかなりモルドレッドなる猟師を嫌っているようだというのはわかった。それはヴィドが、わたしと接することで王族に好意を持ってくれたから、と考えるのは都合が良すぎるだろうか。


「わかった。縄張りと拠点の場所を教えて。ヴィドのおかげで仕事が一気に進むかもしれない」

「王女様、またお一人で無茶をされるおつもりですか」


 ヴィドのたしなめるような言葉に、わたしは笑顔で首を横に振る。


「まさか。今回はオルセン王国内だし、無茶はしないよ。『刹那』をふたり、モルドレッドの監視につける。お父様には国境沿いを縄張りにしている猟師だから、念のため彼にも見張りを付けてほしいと言っておく。不審な言動を聞いたらすぐに、お父様ではなくわたしに報告するよう命じておく。これで、お父様に処刑される前に情報を掴むことができるはず」

「よいのですか、一介の猟師にすぎない俺にそこまでお話をされて」

「わたしは、ヴィドのことは信用しているよ。お父様とお兄様とメイドのアンリの次に、だけど」


 とびっきりの笑顔をみせると、ヴィドは困ったように視線を左右にさまよわせた。


「そこまで信頼いただけるのは嬉しいですが、困ります。……俺にはお返しできるものがありませんから」

「ヴィドが、オルセン王国で狩りをして、過不足ない生活を送ってくれる。それだけで、わたしは嬉しいんだよ」


 わたしは、小さいころから周りの人をあまり信用してはいけないといわれて育ってきた。育ててくれたお父様とお兄様、それにわたしが自分の目で見て選んだメイドのアンリ以外に、思っていることをそのまま口に出して伝えるということはしてこなかった。

 でも、ヴィドは違う。たまたま大粒のクィルダイトを手に入れたので、わたしに献上してくれた猟師で、彼としては王族に近づきたいという意図などなかったはずだ。それは彼と接していればわかる。それでも、わたしは彼には心をゆるしたくなってしまう。何でもかんでも打ち明けて、相談に乗ってもらいたくなってしまう。


 王族の業務内容は、なんてことのない内容でも機密扱いされることが多い。今まではそもそも話し相手が限られていたから気にすることはなかった。己が置かれた状況に息苦しさを覚えるようになったのは、ヴィドに出会ってから。そしてわたしが王女として、主体的に動くようになってからだ。


 わたしのことを詳しく話せば話すほど、ヴィドに国家機密を背負わせてしまうことになる。そんな重荷を彼に背負わせたいわけではない。でも、たった三人しかいなかった信頼できる人たちの列に、ヴィドを加えたいという思いもまた抱いている。矛盾するふたつの思いに折り合いをつけなければいけないけれど、それよりも今はやるべきことがある。


「ここから先はわたしに任せて。もし、また何か不審なものごとを見聞きしたら、『刹那』経由でわたしに連絡してほしい。お願いできる?」

「わかりました。猟師として過不足なく生活したいというのは、俺の考えでもあります。王女様がそれを望まれるように、俺もまたそれを望んでいます。生活のため、王女様のために最善を尽くします」

「無理はしなくていいからね。あくまでの貴方は貴方の本業に専念してほしいのだから」

「はい。わかっています」


 穏やかな笑みを浮かべたヴィドに見送られ、わたしは小屋を後にした。


・・・


 モルドレッドに動きがあったという報告を受けたのは、ヴィドと別れてから四日後のことだ。彼の拠点近くでひそかに待機していたわたしは、刹那の連絡を受けて現場に急行する。


『モルドレッドが、外套を着た男と一緒に中に入っていた。それで間違いない?』

『はい』


 「隠密」を使っている間は、声に出して会話をすることができない。だから『光陰』と王族同士では、特殊な術を使って情報共有ができるよう訓練を受ける。しかし今ここにいる『刹那』はまだ『光陰』にはなれない未熟な術者たちだ。わたしの問いかけに対して「はい」か「いいえ」かでしか答えることができない。


(でも今は、それで十分)


 わたしは周囲にいる『刹那』たちに待機を命じてから、モルドレッドの拠点としている小屋へまっすぐに向かう。

 彼の小屋はヴィドのと比べても……国民の家にこんな言い方をしたくないけれど、ずいぶんとみすぼらしい。ヴィドが使っている丸太小屋は質素だけれどよく手入れされていて、きれいに掃除された窓もあった。しかしわたしの目の前にある小屋は、あちこちぼろぼろで隙間風が吹いている。窓があったのだろうと思しき空間はぽっかり穴が開いていて、敗れたカーテンがゆらゆらと揺れていた。


(ヴィドはあまり腕がよくない猟師だと言っていたけれど。稼ぎが少ないからこうなっているのね)


 わたしはカーテンに触れないよう気を付けながら、勢いをつけて窓枠を飛び越えた。むろん、窓枠に触れたら「隠密」は解除されるので、一か八かの飛び込みである。


 着地した瞬間、床板がギシッ、という嫌な音を立てる。気づかれないようにすぐに窓枠から離れると、案の定中にいた二人の男は窓枠の下――わたしが着地したあたり――に視線を向けていた。


「何だ? 風か?」

「見てのとおりだよ。オレんとこの稼ぎじゃあ、ろくな家に住めもしねえ。クイールの肉の売値は上がってるっていうがよ、あんなすばしこい獣、仕留められる猟師なんざほんの一握りだ。今回は珍しく、オレにもツキがまわってきたみてえだがな」


 年老いた、という表現がぴったりくる、薄茶色のあごひげを蓄えた男が、わめくように喋る。外套を着たもう一人の男がそれを手で制する。


「声が大きい。財産の分け前の話をするんだ。人に聞かれたくはない」

「それもそうだ」


 したり顔で頷くひげ面の男--モルドレッドーーはそれでも声の大きさが変わらない。おそらく声を潜めるということができないのだろう。外套の男はあきらめたのか、話を続けることにしたようだ。


「あんたに接触した時に話した通り、お前には報奨金の三分の二をやる。そうしたらこのおんぼろな家を修理することもできるし、もっといいところに家を構えることもできるだろう。それで今回の話は終いだ。お前は今回のことを忘れて、今まで通りの生活を送るんだな」

「おい、オレをミドガルド王国お抱えの猟師にしてくれるってえ話はどうなったんだ?」


 モルドレッドの言葉に、わたしは眉をひそめる。ヴィドたちのような優秀な猟師でさえもお抱えという話はされていないはずだ。そんなうまい話があるわけがない。案の定、外套の男も同じ認識だったようだ。


「あんた、正気か? 依頼主様が欲していらっしゃるのは、上等なクィルダイトだけだ。おたくの国みたいに、クイールの肉やら骨やら角やらは一切必要ない。そもそも獣を狩ること自体が野蛮だとされているからな。王族が猟師をお抱えにするなんてもってのほかだ」

「するってえと、オレは今までと変わらず、オルセン王国のクソ共のもとで生きていかなきゃならねえってことか」

「猟師として生きていきたいなら、そのほうがいいだろうな。他の仕事に就くっていう選択肢もなくはないが、やめておけ。商人としていろんな人間を見てきたからわかる。あんたは他の仕事を今からはじめてうまくいく人間じゃあない」

「クソッ」


 大きく舌打ちをしたミルドレッドは、床に唾を吐きかける。それをなだめるように、外套の男は話をつづけた。


「今回のあんたの仕事のおかげで、依頼主様が望んでいらっしゃる帝国再興の道が大きく開けたんだとよ。帝国が再興して、オルセン王国という国が無くなれば、あんたの溜飲も少しは下がるだろうさ」

「そんなよくわかんねえお偉いさんの考えで、オレが納得するとでも思うのかよ」


(帝国、再興?)


 聞きなれない言葉にわたしが首をかしげている間にも、二人の会話は続く。


「ああ。なにせあんたは、対して腕もよくないのにこの年まで猟師として食いつないできた男だ。金におぼれて浪費さえしなければ、路頭に迷うことはないさ。そして帝国再興の暁には、オレが一枚嚙んでやったんだと鼻を高くしていればいい」

「チッ。商人ってやつは口ばかり回るから頭が痛くなる。さっさと金をよこせ」

「もちろんだ。こちらだってこんな危険な商売からはさっさと手を引きたいんだ」


 二人が金貨の入った袋の分配をしているのを見届けてから、わたしは再び窓枠を飛び越えて外に出た。

 商人を捕縛して尋問をする気はない。それよりも、一刻も早くお父様と話をしなければならない。

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