第51話 エヴァンとルーフェス2
エヴァンは、ダイニングテーブルで一人静かに本を読んでいた。
アンナとあの人との話し合いがどうなったかは全く予測はできないが、彼女の心が晴れて帰宅してくれる事を願いながら彼は姉の帰りを待った。
暫くすると「ただいま」と、言ってアンナが家に帰ってきたので、「おかえり」と言ってエヴァンは出迎えた。そして、彼女の隣にルーフェスの姿を確認すると、話し合いは上手くいったのだなと察したのだった。
「ねぇルーフェス、良ければ夕飯を一緒に食べていってよ。」
不意にアンナは、帰ろうとするルーフェスの腕を掴んで彼を引き留めた。どうしても彼をこのまま一人にしたくなかったのだ。
「有難う、……エヴァンもいいのかな?」
「どうぞ。姉さんが誘ってるんだから俺は反対しないよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
ルーフェスが少し嬉しそうに笑って、素直に誘いを受け入れてくれたので、アンナはホッと胸を撫で下ろした。あのまま帰してしまったら、きっと彼はあの部屋で一人、良くない思考に落ちてしまうと思ったから。
「良かった。直ぐに支度するわね。二人は待ってて。」
「えっ?!俺も手伝うよ。」
「直ぐ出来るから大丈夫よ。座って待ってて。」
そう言ってアンナがキッチンへと行ってしまったので、部屋にルーフェスと二人だけで残されてしまいエヴァンは気まずかった。彼とどう接すれば良いのか。やはり苦手なのだ。
「……誤解、解けたみたいだね。」
「お陰様でね。またこうして一緒に食卓を囲めて嬉しいよ。」
エヴァンは仕方なく読んでいる本から目線を上げて、チラリとルーフェスの方を見て声をかけると、ルーフェスはいつもの穏やかな笑みを浮かべながら、エヴァンを見返して嬉しそうに答えたのだった。
(その受け答え方が胡散臭くて、だからなんか好きになれないんだよ!)
相変わらず腹の内が見えず、何が本心で何がお世辞なのかが分からないルーフェスの態度にエヴァンは苦手意識を持っていた。
けれども、この男が姉を裏切る様なことはしないだろうと言うのは、この短い付き合いで分かっていた。そして、姉がこの男を好きだと言うことも分かっている。
エヴァンは、複雑そうな顔でルーフェスをじっと見つめた。
「……貴方は、何があっても姉さんの味方でいてくれますか?」
エヴァンは、姉を憂いてルーフェスにそう問いかけた。
数日後、アンナは十八歳の誕生日を迎えたら男爵位を賭けて叔父と対決する予定なのだが、その時に子供である自分が何もできない事をエヴァンはもどかしく思っていた。
だけどもし、自分の代わりにこの人が側にいたのならば、姉も少しは心強いのではないかと思い、エヴァンはルーフェスに援護を求めたのだ。
いくらアンナとエヴァンが正統な血筋の持ち主であっても、相手はまんまとラディウス家を乗っ取った狡猾な大人なのだ。エヴァンはすんなりと事が運ぶとは思えなかったので、この男にお願いするのは本当に癪だが、少しでもアンナの力になってくれる人が欲しかったのだった。
「それは、この前のとは意味が違うの?」
エヴァンの問いかけに、ルーフェスは不思議そうに聞き返した。
この前ここを訪れた時にエヴァンからアンナを守ってくれるよう頼まれていたのだが、それとはまた別の話なのかと首を捻った。
「あ……いや……なんでもない。忘れて。」
ルーフェスの反応に、エヴァンはしまったっと思った。姉がこの人に自分たちの素性を明かしていない事を思い出したのだ。
エヴァンは慌てて読んでいた本に目線を落とすと、先程の発言を誤魔化すために集中して本を読む振りをした。
するとそんなエヴァンに、ルーフェスは静かに思いもよらない言葉をかけたのだった。
「君たち姉弟が、僕に言っていない事があるのは分かってるけど……」
「えっ?!」
彼の言葉に、エヴァンは思わず本から顔を上げて再びルーフェスの方を見ると、その顔にはいつもの笑みは無く、彼はとても真面目な顔で、話を続けた。
「でも、そのことについて話してくれるまではこっちから聞く事はしないし、話してくれなくても、僕に出来る事があるのならば、僕は君たちの力になりたいと思ってるよ。」
「それは、有難う……」
彼は一体、何をどこまで知っているのだろうか。エヴァンは戸惑いながらも、ルーフェスの言葉に礼を返した。何にせよ姉の味方には違いないから。
「二人で何の話をしているの?」
スープが入った皿を持って、タイミング良くアンナがキッチンから戻ってきたので、エヴァンは慌てて誤魔化した。
「何でもないよ。」
彼は、今の話をアンナに知られるのが嫌だったのだ。
だから詳細も何も言わなかったのだが、けれどもルーフェスが、なんとなく会話の内容を推察出来るようなことを言ってしまうのであった。
「うん、他愛もない話だよ。でもお陰でエヴァンはアンナの事が本当に大事なんだなぁって分かったよ。」
「余計なこと言うなよ!!」
恥ずかしくなってエヴァンは、真っ赤になってテーブルの下で思いっきりルーフェスの足を蹴って怒った。けれども彼は何食わぬ顔で平然としてるので、それが余計にエヴァンをムカムカさせたのだった。
「二人ともすっかり打ち解けた様で良かったわ。」
「どこがっ?!!」
アンナの言葉にエヴァンは思わず突っ込みを入れるも、ルーフェスもアンナも黙ってニコニコと笑っている。
エヴァンは、一人釈然としなかったが、それでも嬉しそうにしているアンナを見て、まぁいっかと思うのであった。
「さぁ、温かいうちに食べましょう?」
「そうだね、美味しそうだね。」
目の前のスープを嬉しそうに眺めるルーフェスと対照的に、エヴァンはスープを見て冷めた目で呟いた。
「……この前と同じメニューだけどね。」
横に座る姉に笑顔で睨まれた気がするけども、エヴァンは気にせずそのまま食事を始めた。
「あのスープ美味しかったから、また食べたかったんだよ。」
「本当に!良かった。いっぱい作ったからたくさん食べていってね。」
「ねぇ、だからそれどこまで本心なの?」
胡散臭い物を見るような目でエヴァンはルーフェスを見た。
「どこまでも本心だよ。エヴァンだってアンナの料理は美味しいと思ってるだろう?」
他愛のない会話が飛び交い、楽しい夕食の時間が始まると、ここに居る誰もが思っていた。
けれども、この和やかな空気は彼女の登場によって一変するのだった。
「お邪魔するわね。」
ここ数日公演終わりに毎日やって来ていたエミリアが、今日もいつもと同じ時刻に当たり前のように玄関のドアを開いて、アンナ達の家にやって来たのだ。
しかし今日はいつもとは違っていた。食卓にはルーフェスも座っているのだ。
ドアを開けて、エミリアの目に先ず最初に飛び込んできたその光景は、彼女にとって、ありえないものだったのだ。
「あんたなんで……どの面下げてここに居るのよっ?!」
「えっ……?」
ルーフェスは入ってきたエミリアと目が合うと、いきなり罵声を浴びせられて呆然としている。
そんな彼の様子など一向に構わず、エミリアは何も言わずに持っていた鞄を振りかぶり、ルーフェスの顔面に向かってぶつけたのだった。
「ちょっと、危ないよ!!」
は咄嗟のことでも身体が動き、彼は鞄の直撃を避けた。
「あー……。誤解を解いといた方が良い人もう一人いたわ……」
憐れむような目で、エヴァンはルーフェスを見ると、彼に少しだけ同情をした。
「なんなのよあんたっ!!綺麗な女の人と仲良く観劇なんかして、ただのタラシじゃない!そんなのにアンナに近付いてほしくないわ!!」
凄い剣幕で怒るエミリアの言葉を聞いて、ルーフェスは事態を把握するも、詳しい事を説明する訳にもいかず、ただ、曖昧に釈明するしか出来なかった。
「あー……。それ、人違い……」
「エミリア落ち着いて、本当に別人だったのよ?」
けれどもエミリアは一向に怒りを収める気配を見せなかった。
「アンナは騙されてるのよ!だってコイツ、口上手いもの!!」
エミリアがもう一度鞄を大きく振りかぶった所で、アンナとルーフェスの二人がかりで慌てて止めた。これ以上暴れられると食卓の物をひっくり返して、彼女自身も怪我をしそうで危ないと判断したのだ。
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