第44話 弟の気遣い
共同の井戸へ水を汲みに行って、二往復をしたところだった。
エヴァンは重い水瓶を抱えて家に戻ると、家の前に立っているルーフェスと目が合ったのだ。
「あぁ、エヴァン、良かった。」
どうやら、暫く前からそこで待っていたようで、エヴァンの姿を見つけるとルーフェスはホッとした様な表情を見せた。
しかし、エヴァン自身はと言うと、この人とどう接したら良いのか、友好的な態度を取るべきか、素っ気ない態度を取るべきなのかを決めかねているので、その姿を見て複雑な表情を浮かべたのだった。
「……姉さんなら居ないよ?」
彼が家に来る理由は姉以外に無いだろう。だからエヴァンは先手を打って、必要最低限の会話に止めようとしたのだが、そんなエヴァンの胸の内を知ってか知らずか、ルーフェスはいつもの優しげな微笑みを浮かべると
「うん、分かってる。さっき会ったから。」
と言ったのだった。
「えっ?じゃあ、何しに来たの?」
想定外の返事にエヴァンが困惑するも、ルーフェスは構わずに要件を伝えた。
「この前のお礼に、これを渡そうと思って。でも渡す前にアンナには避けられてしまってね。だから家まで届けにきた。」
そう言ってルーフェスは、紙袋から包帯や、傷薬等を取り出してみせた。
「僕の怪我の治療でここの家の備品を大分使ってしまったと思ったから。」
一通り中身を見せてから、再び紙袋にしまうと、それをそのままエヴァンに手渡したのだった。
「分かった。渡しておくよ。」
断る理由もないので、エヴァンは差し出された紙袋を素直に受け取ると、ルーフェスの姿を改めて眺めた。
「それにしても……あんなに酷い怪我、一週間で治るものなの?」
すっかり普通に腕を動かしてるルーフェスを見て、エヴァンは訝しがった。
彼の怪我は骨にまで達していて、肉をかなり深く切り裂かれていた筈だ。あの傷では治ったとしても後遺症が残るのでは無いかと思っていたのに、目の前にいる彼はまるで無傷かの様な振る舞いをしていたのだ。
「それ、アンナにも聞かれたよ。まぁ、僕の場合はちょっと特殊で、特別な治療をして貰ったからね。でなかったら普通こんなに早く治らないよ。」
苦笑しながら彼は答えた。特別な治療と言うのが何なのかまでは詳しく言う気は無いらしい。
「ふーん。そうなんだ。」
漠然とした説明に納得していないながらも、これ以上聞いても教えてくれないだろうと思い、エヴァンは軽く受け流したのだった。
用件が済んだ筈なのに、ルーフェスはこの場にとどまったまま何処か気まづそうにエヴァンを見つめている。何か言いたそうではあるが、何を言うべきか迷っている様なのだ。
エヴァンにはこれ以上彼と話すことなどないので早く帰って欲しい気持ちが強かったが、姉に関する嫌な予感がするので、エヴァンは仕方なく、自分から彼に質問を投げかけたのだった。
「ねぇ、姉さんと何か話した?」
エヴァンは聡明で洞察力に優れ、広い視野で物事を考えられる子であった。なので、その場面を実際に見ていなくても、先程の会話や彼の態度から、アンナとルーフェスの間に何か問題が起こっている事を察したのだ。
恐らく姉はこの目の前に居る怪我がすっかり治ったルーフェスと会って、昨日エヴァンが示した”大怪我が一週間で治るわけがないので中央広場で見かけた彼は別人だ”と言う可能性が潰えたと思ってしまったのではないだろうか。
そして、姉に会っているのに渡すはずの紙袋を受け取ってもらえずに、彼がこうして家まで来て自分に預けていることから、既に状況は拗れていて、アンナが勝手に悪い方へと考えて、一人傷付いているのでは無いかと想像出来たため、苦々しく思いながらも、状況を確認する為にエヴァンはルーフェスに話しかけたのだった。
「いや……。あまり会話は出来なかったな。アンナからの質問に答えてあげる事が出来なかったら、彼女立ち去ってしまって。……でも、アンナは何で急にあんな事を聞いたんだろう……?」
まるで分からないとばかりに首を傾げるルーフェスだが、エヴァンはその疑問の答えを恐らく知っている。
「それで、姉さんから一体何を聞かれたの?」
「僕が昨日どこに居たかだって。」
「それは……」
エヴァンはその先を言いかけて、止めた。
今ここで、何も言わなければ、きっとこの二人は拗れたままだろう。
エヴァンは自分の立ち回りによって、この二人のすれ違いを正す事が出来ると分かっていたが、それは今傷付いているアンナの救いにはなるが、結局は問題の先送りではないだろうかと懸念していたのだ。
何故なら、近いうちに姉とこの人は道を別れなくては行けないのがほぼ確実だから。
それならば、姉は今は傷付いているだろうが、ここで、拗れたままこの人と縁が切れれば、これ以上は傷つかないで済むのではないだろうか。
姉の事を考えると、どちらが彼女にとって良い事なのか。エヴァンは咄嗟にその答えを導き出せなかった。
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