第17話 戸惑い

「さっき受付のお姉さんから聞いたんだけど、以前あいつと組んだ時にアンナは怪我をしたんだってね。」


 先程の騒動からすっかりと落ち着きを取り戻していたルーフェスは、少し言いにくそうに、そんな事を切り出した。

 彼は、アンナの知らない所で彼女の個人情報を知ってしまった事をそれとなしに伝えたかったのだ。


「えぇ、そうなのよ。だから二度とあの人達とは組みたくないのよね。あの時の事があったから、エヴァンもエミリアも良い顔しないし。……まぁ、これだけ騒ぎになったんだから、もう二度と声かけて来ないと良いんだけどね。」


 そう言ってアンナは少し困ったように笑った。


 そんな彼女を見て、ルーフェスは躊躇いがちに話を続けた。


「……その左腕の傷、実は前に袖口からチラッと見えてたんだ。後遺症とかは残らなかったの?」

「ええ。傷痕は残っちゃったけど、他は何にも問題ないわ。見事に、神経とか筋とかを避けれくれてあって、本当に運が良かったみたい。」


 彼からの質問に、アンナはほらっと言ってルーフェスの前で左手を大きくぐるぐると回して答えてみせた。今までのアンナの剣技の動きからも、運動機能に問題がない事は間違いなく本当なのだろう。


「それは、不幸中の幸いだったんだね。それじゃあ日常生活でも不便は無いんだ?」

「えぇ。あっでも、腕を出す服が着れなくなったのは困ったかな。結構服を買い替えたのよね。アレは中々に痛い出費だったわ……」


 当時の事を思い出し、アンナは深い溜息を吐いた。あの時はただでさえ怪我で仕事が出来ず収入が無かったのに、洋服の買い替えまで必要となって金銭的負担は相当なものだったのだ。


「それは難儀だったね。でも、君が無事で良かったよ。……あ、いや、無事ではないのかもしれないけど、運動機能に障害が残らなくて良かったと言うか……」

「ふふっ、ありがとう。」


 なんて言葉をかけて良いのか悩むルーフェスの姿を見て、アンナは可笑しそうに笑った。


 朝一番に嫌な剣士に絡まれてしまい中々最悪な気分であったが、すっかりと気持ちは軽くなっていた。


 ルーフェスが自分を気遣って不器用に言葉を選ぶ様子に、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなったのだ。


「さて、それじゃあ今日の仕事を選びましょうか。どうせなら目一杯身体を動かせるような依頼が無いかしら。」

「そうだね。どれが良いかな。」


 二人は仕事モードに気持ちを切り替えると、掲示板に残っている依頼書を検討し始めた。


 毎日こうやって、二人で話し合いながらどんな依頼を受けるかを決めているのだ。この時間がアンナは好きだった。


(そう言えば、ルーフェスはいつも私の意見を優先してくれるのよね……)


 ふと、アンナは横に立つルーフェスをチラリと盗み見た。普段から少し気にはなっていたけども、今日もまた、アンナが言った、”身体を目一杯動かせそうな依頼”を優先して探してくれているのだ。


(それに、自惚れかも知れないけれども、さっきのルーフェスは、まるで私の為に怒ってくれたみたいで……)


 それに気付くと、アンナは自分の鼓動が早くなるのを感じた。


 そして、彼がいかに優しくて、紳士的であるかを再認識したのだった。


(本当にルーフェスは、なんて良い人なんだろう。)


 そう、彼はいつも親切で、底抜けに面倒見が良いのだ。だから自分にもこんなに良くしてくれるのだと、アンナは思っていた。


(あぁ、自分の隣に立つ人がルーフェスで本当に良かったわ……)


 恥ずかしくて声に出しては言えないけども、アンナは心の中で、ルーフェスに、(私と組んでくれて有難う)と呟いたのだった。



***



 二人は話し合った結果、今日はグリーンリザードという魔物の討伐依頼を受けることにした。


 このグリーンリザードという魔物、名前の通り中型の緑色のトカゲで、魔物としてはそれなりに強く中級の部類に入るのだが、中堅の冒険者であるアンナ達にしてみれば、さほど怖い魔物では無かった。

 討伐数は十五とそこそこ多かったのだが、討伐証明の納品物がトカゲの尻尾だったので、ウサギのツノ三十本の解体作業に比べたら問題ないと、二人はこの依頼を選んだのだ。


しかし……


「……問題は、全然グリーンリザードに遭遇しないってことね……」


 二人は今、途方に暮れていた。


「基本臆病だから、隠れちゃって中々出てこないんだよねぇ。」


 索敵開始から一時間は経過しているが、二人はまだグリーンリザードに二頭しか遭遇していないのだ。


「このままのペースだと日が暮れてしまうわね……」

「やっぱり、あの時間まで残ってるような依頼は、簡単にはいかないね。」

「あぁ、もうっ!遭遇さえすれば直ぐに倒せるのに!!」

「アンナ焦っちゃダメだよ。良い事ないからね。」


 そんなやり取りを続けながら二人は森の奥へと探索して行った。ぼやきながらも暫く進むと、ふと、数メートル先に討伐対象である新たなグリーンリザードの姿を見つけたのだった。


「いたわ、あそこ!」


 グリーンリザードは、人の気配を感じると大抵は直ぐに逃げてしまうのだが、今回遭遇した個体は逃げ出さずその場に留まり、こちらを凝視して威嚇のつもりか頬袋を膨らませて何やらカチカチと音を鳴らしている。


 珍しく直ぐに逃げないことを幸いにし、アンナは一瞬で間合いを詰めて抜刀斬りで倒そうと、剣に手を掛けて瞬発的にグリーンリザードの前に飛び出そうとした。


 しかし……


「アンナ!それ以上前に出ては駄目だっ!!」


 ルーフェスが声を荒げて警告したので、アンナは咄嗟に動きを止めてその場に踏み止まった。すると、後ろから躊躇いのない強い力で彼に引き寄せられたのだった。


 そしてその刹那。


 グリーンリザードが炎のブレスを吐き出すと、目の前の地面を、アンナが立っていた場所を焼き尽くしたのだ。


「熱っ!!!」


「このローブ耐火素材だから、ちょっと熱いけど大丈夫!」


 ルーフェスは引き寄せたアンナを抱き込む形で自分のローブの中に入れて、炎のブレスによる攻撃を防御した。


「グリーンリザードで気をつけないといけないのは炎のブレスだよ。頬袋を膨らませて、カチカチと音がしただろう?アレはブレスを吐く前の予備動作だから、迂闊に飛び出して行ってはダメだよ。」

「う……うん……。ごめんなさい……」


 思いがけず、抱き寄せられた形となってしまい、ルーフェスの腕の中でアンナは大いに動揺していた。


 アンナは自分の体温が上昇しているのがはっきりと分かったのだ。


(身体が熱いのは、炎のブレスの所為よ……)


 そう考えて、アンナは必死に心を落ち着けようと試みたが、その熱は一向に引かなかった。心臓も早鐘を打つようにドキドキしている。


 そんなアンナとは対照的に、ルーフェスは冷静にグリーンリザードがブレスを吐き切った事を確認すると、その隙を見逃さず、一瞬でグリーンリザードの前に躍り出ると、逃げられる直前にその脳天に鉄杖を力強く叩きつけたのだった。


 これでやっと三頭の討伐に成功した。



「アンナ大丈夫だった?火傷してない?」

 ルーフェスはグリーンリザードが動かなくなった事を確認すると後ろを振り返って、アンナの無事を確認した。


「だ……大丈夫よ!!ありがとう!あ……尻尾!今、斬り落とすわね!!」


 未だ落ち着かない胸中を悟られないように、アンナは動揺を隠そうとして、いつもより声が大きくなってしまったが、さらにそれをも誤魔化す為に、アンナはなるべくルーフェスの方を見ないようにして急いでグリーンリザードの側へ移動すると、スッと剣を構えた。


 さっき彼に抱き寄せられた時の事が頭から離れなくって、胸の鼓動は早いままであったが、アンナは気持ちを落ち着ける為に目を閉じて深呼吸をし、そして目の前に倒れているグリーンリザードに集中した。


(そうよ、今は魔物討伐の依頼中なのよ。目の前の事に集中しないと……)


 一刀でスッパリと尻尾を斬り落とすと、アンナの中の浮ついていた気持ちはすっかりと落ち着いていた。


 その切断面から流れでるドロッとした赤黒い血の血溜まりが、アンナを血生臭い現実に引き戻したのだ。


(大丈夫、アレはきっと気の迷い。急に抱きしめられたから驚いただけ……)


 斬り落とした尻尾を拾い上げてそれを収納袋に入れると、アンナはもう一度大きく深呼吸をしてから、いつも通りに元気よく後ろを振り返った。


「よしっ、じゃあ次の個体探しに行きましょう!」


 後ろを振り向くとルーフェスと目が合って、一瞬どきりとしたけども、そんな自分の気持ちは気付かなかったことにして、アンナは何事もないように振る舞った。


(うん、大丈夫。普段通りよ。)


 こうして二人は、グリーンリザードの討伐を再開したが、今までの苦戦が嘘のように、四頭目からは恐ろしいくらい順調に事が進んだのだった。


 立て続けにグリーンリザードと遭遇する事が出来て、珍しくこの日は、陽がまだ高いうちに討伐依頼を完了させる事が出来たのだ。





「思ってたより大分早く終わってよかったね。」

「そうね、最後の二頭が同時に遭遇できてくれて、運が良かったわね。」


 ギルドへ帰る乗合馬車で、アンナはルーフェスと隣り合って座りながらいつも通りに会話をしていた。

 しかし、普段通り振る舞ってはいるものの、アンナは穏やかでは無い自分の胸中を隠すのに必死だった。


 満員の馬車の中ではどうしても隣り合った腕と腕が触れ合ってしまい、普段ならこんな事気にすることもなかったのに、今日は否応無しに隣のルーフェスを意識してしまうのだ。


 腕から伝わる彼の体温が、抱き抱える様に身を守ってくれた時の事を思い起こさせて、アンナは自分の身体が熱くなるのを自覚した。


 彼が側にいるだけで、嬉しいし安心する。けれどもそれと同時になんだかそわそわして落ち着かない。


 アンナは、自分の中に芽生えたそんな感情を持て余して、酷く戸惑っていたのだった。

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