第11章 エクストラダンジョン
第11章 エクストラダンジョン ー①
一週間後 五月二十七日 月曜日
「ちょっと、どうなっているの!?」
綾香は、自室でスマホに向かって大声を上げていた。
「どうなっていると言われてもね」
電話の相手――鏡谷は落ちついた様子で返答している。
久鎌井はあれから学校には来ていない。
あの事件の直後、“パンドラ”の組織の人間が集まると、“アラクネの織布”は解除され、ケガをした人間以外はそれぞれの教室にあつめられて、説明を受けた、
もちろん、教員とて状況は分かっていないのだから、組織の人間が全校生徒と教員に向けて説明を行った。
内容はこうだ。
この事件は不可思議な事件であり、科学的な説明ができるものではない。自然災害のようなものであり、誰のせいでもないものである。
そして、この事件についていたずらに情報が拡散すれば混乱をきたす恐れがあるため、もしも画像等を所持しているものがあれば、今すぐ消去するように。また、SNS上でこの事件に関すること投稿が見つかればそれは即時削除され、また執拗に行われれば、それなりの対処をとることになる。
決して軍事的なことでもなければ、政府や他国が関わるような陰謀論でもない。ただ、伝承、伝説で語られるような妖怪や幽霊の話の類に、現実的に巻き込まれた事態であるため、いたずらな情報拡散により世間に混乱を巻き起こさないように組織的に情報統制をかけるものであることを理解して欲しい。
なお、この件でケガをしたものについては組織が補償する。
最後に、先生生徒諸君らも、一人の少年の活躍により被害が最小限に抑えられたことには気が付いていると思う。人の口に戸は立てられぬというが、彼の今後の幸せを願うならば、意図的に口をつぐみ、何事もなかったかのように過ごして欲しい。
これだけの説明でどれだけの人間が納得したかは分からないが、不思議と誰からも文句の声は上がらず、一週間、何事もなかったかのように過ぎていった。
ただ綾香は、説明が始まる最初の時点から、久鎌井が使用していた机と椅子もなくなっており、そこには最初から誰もいなかったかのようにされてことについて、深く憤りを感じていたし、その日、授業の合間に慌てた様子で久鎌井の教室に来た沢渡衣も、その事実に愕然とした表情を見せ、その場を去っていった。
一週間が立ち、あの事件の直後に組織の人間たちに連れていかれた久鎌井について、鏡谷からも本人からも一向に連絡がないことに腹を立て、連絡先を知っている鏡谷に綾香から何回か連絡をしたのだが、それでもつながることはなく、今日の夜にようやく鏡谷から連絡があった次第だった。
「久鎌井はどうなっているの!?」
「もう少し落ち着いて聞いてもらいたいものだが……」
綾香の興奮に対し、鏡谷の冷静な物言いは、火に油を注ぐようなものであった。
「まあまあ。久鎌井くんは、今は組織で保護して休んでもらっているよ。少し調査に協力してもらったのと、組織のことについても改めて説明させてもらっている。というか、君も直接彼に電話でもして聞けばいいじゃないか?」
「わたし、久鎌井の連絡先知らないし」
綾香は、いじけた様子で呟いた。
「なんと、聞いていないのか?」
鏡谷が驚きの声を上げた。あの河川敷で日比野と久鎌井が戦った後の様子では、そのまま恋仲にでもなってしまいそうな雰囲気だったし、そうでなくても連絡先位交換しているだろうと思っていた。
「あの時はいろいろ舞い上がってたし、そのあとも浮かれて忘れてたのよ! って何言わせるの!」
「落ち着いてくれ、綾香くん。どちらにしろ、今日が最後だ。明日には自宅に帰ってもらう予定だよ」
「そう、まあ、それならいいわ。直接久鎌井と話せるなら」
会おうと思えば久鎌井に会えるようになる。その事実に、綾香の溜飲が下がった。
「でも、あいつは……」
学校には来ることはないの? そう聞こうと思ったとき、綾香は目の前に何かが立っていることに気が付いた。
薄汚れたローブをきて、フードを目深にかぶった何かが立っていた。
ちょうど寝るところで部屋も暗くしていたため、全く何者か分からなかったが、直感的に人間ではないと感じたその時、綾香は意識を失った。
「何だい……綾香くん?」
あまりに唐突に途切れた話に、違和感を覚え、鏡谷が尋ねた。
「……お前もだ」
代わりに答えたその声は、綾香のものではなかった。
その声を聞いた瞬間、誰何する間もなく鏡谷の意識も途切れた。
— * — * — * —
きゃああああああああ――
青空のもと、響き渡る悲鳴。
ジェットコースターに乗る綾香と、その隣には久鎌井の姿が。
この胸の高鳴りは、絶叫マシンだけの影響ではない。
コーヒーカップやメリーゴーランド。
普段なら高校生にもなって興味を引かれなくなった乗り物も、二人なら違っていた。
そして観覧車。
二人きりの空間。
片側に二人座ってしまうと傾いてしまう。だから向かい合っていた。けれど、膝は触れ合い、その上では手が握られていた。
見つめあい。惹かれあい。どちらからともなく唇が近づき……
「ああ、お取込み中悪いんだが……」
「へ?」
綾香は素っ頓狂な声を上げ足元を見ると、そこには鏡谷望の上半身が生えていた。
「やあ」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
綾香は驚きのあまり尻餅をついた。
(尻餅!? ここは観覧車の中じゃ……)
そう思って周囲を見渡すと、あたり一面石造りの部屋にいた。
そして、目の前には鏡谷が立っていた。
「すまないな。恍惚の表情でどこかを見て笑っていたから、さぞ楽しい夢でも見ているのだろうとは思ったのだが」
「あ、ああ、うんまあ」
事態が飲み込めず綾香は頷くことしかできなかった。
「まあ、君もそのうちに正気を取り戻すだろうから話を続けさせてもらうよ。おそらくわたしたちはアバターの能力に取り込まれている」
「アバター……の」
「ああ、こちらとしては、君と電話をしているときに、急にそちらが静かになったと思ったら何者かの声が聞こえ、気が付いたらこんな石造りの空間にいた。
「ああ、そうね」
確かに、綾香は鏡谷と電話をしていたことを思い出した。
「『お前もだ』と何者かに言われたから、そちらに何かが現れたのではないか?」
そこまで聞かれ、綾香も自分に起こった不可思議な事態を思い出した。
「そ、そうよ。なんかローブを来た何かがいて、確かに人間とは思えなかったから、あれがアバターと言われれば納得する」
「何かされたのかい?」
「いえ、わたしも意識がなくなる感覚は、今思い返せばあったけど……」
その後は甘い甘い夢の中で溶けそうな気分になっていたため、それ以外は何が何だか分からなかった。
「そうか、何にしろ、わたしは自分がいた場所から迷路のような空間を歩いて、行きついた部屋に君が立ち尽くしていたのだ。それはもうよだれを垂らしただらしのない顔で」
「え、やだ。何見てんのよ!」
「いったいどんな
「ああ、そうよ、せっかくいいところ、いいところだったのに……」
綾香は四つ這いの姿勢で項垂れ、悔し涙を流した。
「わたしは、あれを夢見ていたのに、希望に満ちた日々が始まると思っていたのに、久鎌井は学校来なくなっちゃうし、どうしてくれんのよ!」
最後の一言共に、綾香は鏡谷を鋭く睨みつけた。
「うーん、何となくどんな夢を見ていたかは予想がついたが、それはさておき、ここはどこだろうな?」
「置いとくな! って、まあ、でも……」
綾香は鏡谷に嚙みつく勢いで飛び起きたが、いつまでもこんなことをしていても仕方がないことは分かっていたので、少し自分を落ち着けて周りを見回した。
「わたしたちをここに連れてきたのがアバターである以上、ギリシア神話に関係しているわけだし、鏡谷さんにはもう検討はついているんじゃないの?」
「そうだな」
鏡谷の目の奥が少しだけきらりと光った気がした。
「ギリシア神話で迷宮と言えばラビリントスだ。ミノタウロスを閉じ込めるためにダイタロスによって作られた迷宮。ひとたび入れば出ることは叶わず、多くの人間がミノタウロスの生贄としてラビリントスに放り込まれた。英雄テセウスがその生贄の中に紛れ込んでミノタウロスを見事撃破し、あらかじめ王女アリアドネから授けられていた糸を入口からずっと垂らし続けていたことで、ラビリントスからも脱出することができた」
「登場人物が多いわね。結局このラビリントスを生み出しているアバターは誰なの?」
「現時点では断定しかねる。ミノタウロスは閉じ込められる側だから違う可能性が高いだろう。英雄テセウスも攻略する側だから、ラビリントスそのものを彼が能力として使うのは考えにくい。ダイタロスか、アリアドネか、ミノス大王か……」
「所持者が誰かも問題よね」
「そうだが……過去には特定の所持者がいないアバターも存在する」
「そうなの?」
「ああ、同じ思いを持つものが複数人いて、またその思いの強さも同等であった場合、それぞれに関係はしているものの、アバターだけが独立して存在してしまうケースが過去にはあった。どうも君の見せられていた幻覚から察するに、久鎌井くんとの関係性は、このアバターとは切っても切れないように思えるからなあ……」
「え、それってわたしも関係しているってこと?」
「可能性の話だよ。ただ、わたしたち以外の人間が、ここにいるかもしれない。むしろ高い。それに、ここがラビリントスだとしたら、ミノタウロスがいる可能性が高い。何にしろ、この迷宮を探索するしかなさそうだ。ところで、君は家にいたようだが、制服は来ていたかい?」
鏡谷の言葉を受け、綾香は自分の格好を確認した。
「あれ? 制服を着てる。わたしはもうパジャマに着替えていたはずだけど……」
「わたしはスーツ姿だ。まあ、いつもスーツではあるのだがね……。何にしても我々は、肉体的にとらわれたわけではなく、精神だけを取り込まれていると思ってよさそうだ。そしてその姿はおそらく、このアバターの所持者のイメージで作られているのだろう。それもヒントになるかもしれないな」
「ちょっと待って、時間の進みはどんな感じなの?」
「それも分からんな。今ここでの体感時間が、そのまま外での時間経過と一致するとは思えん。悠長にはしていられない可能性もある」
「じゃあ、ちゃっちゃか行くしかないわね」
「うん、こういう時の君の行動力と判断力は頼もしいね。行こう」
こうして二人は、部屋を出て、不思議さと不気味さの漂う石造りの迷宮への探査に乗り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます