36話「嘘つき」

 翌朝。

 俺は目を覚ました。


 二つの布団を繋げ、そこに三人で川の字で寝ていたのだが、すでに薫は消えており、川の字は「=」の字に姿を変えている。


 ミチルを起こさないように、俺はゆっくりと立ち上がり、台所へ向かった。

 冷蔵庫にメモがマグネットで貼り付けてあった。そこには「冷蔵庫の中に朝ご飯入れておきます 薫」と記されている。

 

 冷蔵庫を開くと、オムライスが二人分置いてあった。

 薫に対して申し訳ない、そしてありがたい気持ちになった。

 オムライスをレンチンして、モクモクと食べた。おいしすぎて泣きそうになる。ほんと薫は料理がうまい。

 

 匂いに誘われたのか、ミチルが夢の世界から現実へ帰ってきた。


「五月くん、おはよぉ」


「おはよう」


 俺はミチルの分のオムライスもレンジに入れて温める。


「薫さんはどこに行ったのでしょうか?」


「薫は勤勉だからな。図書館にでも行ったんじゃないかな」


 と言ってみたが、おそらくそれは違う。薫は気を遣ってくれているのだ。俺とミチルを二人きりにして、嘘を打ち明ける機会を作り出してくれている。


「おいしー!」

 ミチルも薫のオムライスに感動している。


 テレビをつけると、台風が予想を上回る速度で接近していると、天気予報は言っていた。

 窓の外を見てみると、空はどんよりと曇っていた。


「今夜には、関東に上陸だろうな」


 朝食を終えると、ミチルが出かけたいと言い出したので、とりあえず着替えた。


「台風くるから、遅くなる前に帰るんだよ? 昨日の約束覚えてるよね? ちゃんとお家に帰るっていう」


「はい。夜になったらきちんと帰ります」


 タイムリミットは今夜の二十時だったな。余裕をもって行動しよう。


 どこに行こうか迷っていると、テレビ番組でメルシーランドを特集しているのが目についた。

 ミチルは目をキラキラと輝かせ、特集に見入っている。


「メルシーランドにでも行く?」


「え!? いいんですか?」


「いいよ。結構近いし。いま俺、リッチだし」


 むろんぜんぜんリッチではない。相も変わらずド底辺プロレタリア街道まっしぐらである。しかし、もはや金などどうでもいい。俺はミチルのために何かしてあげたくてたまらないのだ。償い、みたいなものかもしれない。

 

 今日俺は、ミチルに罪を告白しなければならない。


 瑞樹先輩が「後悔するな」と言ってくれた。薫が『なんでも言うこと聞くチケット』を行使してくれた。

 二人が優しく背中を押してくれたのだ。彼女たちの優しさに報いるためにも、俺はここで決してチキってはならぬぞ!


 電車に乗り、メルシーランドを目指す。

 聖地が全容を露わにし始めると、ミチルはキャッキャとはしゃぎ始めた。彼女は初メルシーランドだそうだ。

 平日であることに加え、台風接近のおかげで、場内は空いていた。ファストパスを駆使して回り方を工夫すれば、アトラクションの待ち時間は驚くほど短くて済んだ。

 ミチルは絶叫マシンが初めてらしく、多大な興味を示した。


「初めての子って怖がるものだと思ってたけど、ミチルは興味津々だね」


「食わず嫌いはいけないと、先生が言っていました」


 そんなこんなで、複数の絶叫アトラクションにチャレンジ。ミチルはお気に召したようで、「また後で乗りましょう!」とはしゃいだ。

 喜んでもらえたことは、アトラクションのスポンサー諸賢に代わって感謝申し上げたい。しかし俺は絶叫マシンが苦手だ。できればもう絶叫系は勘弁していただきたかった。

 

 蒸し暑さと絶叫マシンの恐怖で滂沱の汗を流しながら、俺はミチルに手を引っ張られて場内を駆け巡った。二時ごろ昼食を食べ、また駆け巡った。

 ミチルにとっては全てが初体験だ。全てにおいて新鮮なリアクションを見せてくれて、俺も楽しかった。


 夕方六時前、「まだ遊びだい!」と駄々をこねるミチルを引っ張って聖地を後にした。


「また連れてきてあげるから。次はパレードも見よう」

 

 ミチルは相当疲れたらしく、電車の座席で眠ってしまった。俺に寄りかかって、時折「しらこ無双……」と謎の寝言を発する。


 俺はメントスを噛みしめて、駅に着いた後のシナリオを考える。

 脳内の「ミチル対策本部」には各国首脳が集まって会議をしている。会場は大荒れだ。議長は匙を投げてオレンジジュースを飲んでいる。

 

 シナリオを考える必要なんてない。言うべきことを言う。それだけだ。そう気付くのと、アナウンスが駅到着を予告するのは同時だった。


「ミチル、起きて。ミチル」


 俺はミチルの肩を優しくゆすった。彼女は小さく唸った後、「おはようございます」と言った。


 電車から降りて、白羽家へと向かう。十九時には着けるだろう。


「今日は楽しかったです!」

 ミチルは俺を見上げてそう言った。お手本のような笑顔で、俺を見た。


 いよいよミチルの家を肉眼でとらえたころ、俺は意を決した。


「どうしたんですか五月くん? 急に立ち止まって」


「ミチル。話があるんだ。真剣な、話なんだ」


「真剣な話? えっと、もしかして……」

 ミチルは頬を赤らめ、モジモジし始める。


「ミチル。俺は君に、ずっと嘘をついていた」


「……へ?」


「俺は、未来から来た旦那さんなんかじゃない。未来人なんかじゃない。あれは全部、嘘なんだ」


 嘘。その言葉を聞いても、ミチルはとくに感情を表さなかった。

 もしかしたら、ミチルは全部承知の上だったのではなかろうか? 俺が嘘をついていることなんて百も承知で、仲良くしてくれていたのではなかろうか?

  

 でも、そんなはずはなかった。彼女はただ、あまりにショッキングな告白に、戸惑っているだけだった。


「……嘘、だよね? 嘘なのが、嘘、だよね?」


「ごめん。俺のいま言ったことは、本当なんだ。嘘なのが、本当なんだ」


「そんな……だって、だって……」


 俺はもう耐えられなかった。

 この期に及んでミチルは、俺の嘘をねつ造して真実に変えようと努力している。そんなミチルの哀れな姿を、これ以上見ていられなかった。


「ミチル! タイムマシンなんてあるわけないだろう! そんなこと幼稚園児でも分かるよ!」


「でも……でも……」


「俊吾も玲も、未来人なんかじゃない。彼らもグルなんだ! 俺がそうさせたんだ!」


「……五月くん……どうして」


「からかっただけなんだ。初めは、君をからかってみただけなんだ。なのに君は信じてしまった。馬鹿みたいな嘘を、信じ込んでしまった!」


 どうして俺は怒鳴っているんだ? 

 立場が逆だ。本来なら、ミチルが怒鳴って、俺はそれを黙って受け入れる。それが正しい世界の在り方だ。


 俺はなんて愚かで幼稚なんだろう。自分への怒りが制御できなくて、ミチルに当たり散らしている。

 これじゃあ、どっちが大人でどっちが子供か分かったもんじゃない。


「……分かりました」とミチルは言って、顔を伏せた。「五月くんの言いたいこと、よく分かりました」


「……ごめん」


「……」


「……ごめん。本当にごめん……」


 そうだ。

 それでいいんだ結城五月。

 謝るんだ。

 何度も、何度でも、謝るんだ。


「……ごめん……ごめん……」


「もういいです」

 

 ミチルは言葉を遮り、伏せていた顔を上げた。

 そして俺に一歩近づいた。


「……ミチル」


「……五月くん」


 パァァァァン!


 俺はなにが起きたのか分からなかった。

 いや、分からなかったというのはおかしい。分かったけれども、理解したけれども、心が受け入れるのを拒否したのだ。

 

 ミチルは俺を睨み上げている。

 そして、俺の頬を張った手をゆっくり引いていく。


「……ミチル、あの、その、本当にごめ……」


「嘘つき」


 そう吐き捨てて、彼女は俺に背を向けた。


「ミチル……」


「もう大丈夫です。一人で帰れますから……。さようなら」

 

 ミチルは家の方へ歩き出した。


 彼女の姿が曲がり角に消えた後も、しばらく俺は動くことができなかった。

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