25話「さようなら、愛しのミチル」
ミチル。いままでありがとう。
すごく楽しかった。短い間だったけど、最高の思い出になったよ。最後の言葉が、こんなメールでごめんね。直接会って話したいけど、ごめん、泣いちゃいそうだからさ。
俺は未来に帰ります。長居し過ぎてしまったんだ。もう、ここにはいられない。
俺のことは忘れてほしい。と言っても無理だよね。でも、忘れたことにしてほしい。過去の人物と関わるのは、本当はイケないことなんだ。だから、俺は初めから存在しなかった。そういうことにしてほしい。
ありがとうミチル。
素敵な時間を、本当にありがとう。
結城五月
「――送信、と」
俺はそのメールを送ると、すぐにアドレスを変えた。それからミチルの電話番号を着信拒否設定した。
目の奥に、熱い涙の気配があった。俺はそれを押しとどめるのにいくぶんかの時間が必要だった。
誰かが見ているわけじゃないけど、涙は流したくなかった。
涙の気配がやっと去ると、俺は必要品が入っているリュックを持って家を出た。
鍵は閉めないでおく。まず間違いなく、メールを見たミチルはここにやってくる。その際、ちゃんと部屋の中を確かめてもらった方が、俺が未来に帰ったというストーリーにリアリティが出ると考えたからだ。
「さて、と」
俺は薫に電話をかけた。
薫はワンコールで出た。恐るべき反射神経。
「薫。いまから行こうと思うんだけど、いいかな?」
「うん」
俺は電話を切って歩き出す。薫の家に向かって。
しばらく俺は、薫の家に泊めてもらう。
ミチルと顔を合わせることがないように、薫の家に隠れるのだ。
もちろん、そんなことが長く続くはずがないことは分かっている。ただ隠れているだけでなく、そのあいだに次の策を考える必要がある。
薫と同じ空間で何日も過ごすなんて恐怖でしかないのだが、仕方ない。
初めは、俊吾の家にお世話になろうと考えた。でも、どうやら彼は、先輩からの借金がかさんで、そして返すアテがないため、逃げ回って家に帰っていないらしい。
その先輩は借金取り立てサークル「ブレイカーズ」を雇い、あくまで俊吾を追い詰めるつもりだとのこと。
家の鍵はとうぜん俊吾が持っている。窓を叩き割って住み着くのも手段の一つではあるが、それは文明人として恥ずべき蛮行だ。そんなマッチョな白アリみたいなことは決してしてはいけない。
俊吾がだめなら、玲の世話になろう。初め俺は、そう考えた。
しかし彼の家は奇跡の三畳間だ。よって却下。
消去法的に、薫しかいないわけである。
自分の友達の少なさが悔やまれる。
こんなことなら何かサークルに入っておくんだった……。
いや、一度は入ったのだ。何もかもテンプレート通りに行動することで社会の基本と矛盾を悟ろうと目論む超マニュアル人間集団「テンプレ騎士団」に、俺は在籍していたことがある。
けっきょく精神に異常をきたして一ヶ月で辞めた。それ以来、サークルというものに抵抗感を覚えるようになってしまったのだ。
まぁ、なんだかんだ言って薫には感謝している。しばらく泊めてほしいと頼んだら、理由も聞かずにOKしてくれたのだから。
薫のアパートには、十分もかからず着いた。ご近所さんなのだ。
四〇四号室。八ツ崎薫。
やっぱりいざ会うとなると緊張する。
まだ昼間だ。さすがに酒で酔っていることはないだろう。シラフの薫はやはり恐怖でしかない。
俺は震える指先をドードーと
ぴーん、ぽー……
がちゃ。
インターフォンが一回鳴り終わるより早く、ドアが開いた。なんで?
「お、おはよー薫。朝っぱらからごめんね……。もしかして忙しかった?」
「ううん、大丈夫。友達から借りたアニメ見てた。入って」
薫がどんなアニメを嗜むのか気になったが、よろしくない類のアニメの可能性もあるので、尋ねないでおいた。
整然とした広いフローリング。俺はふかふかのカーペットの上でチョコンと正座して、薫が紅茶を入れてくれるのを待っていた。
薫がトレイを持ってやってくる。
「五月。独りぼっちは寂しいもんな」
「……」
さっきまで見ていたアニメの影響と思われる台詞を言って、薫はトレイを座卓に置いた。
薫は手作りチーズケーキも振る舞ってくれた。
おそらく初めは教授を買収する目的で作ったのだろう。しかし思いのほかデキが悪くて、俺に残飯処理をさせるつもりなのだ。――そう思って一口食べてみると、口内でカンブリア爆発が起こったのではないかってくらい
なんとなく、ミチルが買ってきてくれたチーズケーキに似た味がする。当たり前か。チーズケーキなのだから。
自然と涙がこぼれた。
ダメだ。止まらない。
泣くなよ、みっともないぞ俺。
「ごめん……美味すぎてさ……。気にしないでくれ」
俺は薫から顔を背ける。
「ミチルちゃんと、何かあったのね」
「……」
「図星でしょ?」
「……ああ。やっぱり鋭いな薫は」
「当たり前でしょ。何年のあいだ、五月のストーカーしてると思ってるの?」
薫の冗談が、なぜかすごく心に沁みた。
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