16話「敗北を教えて」

 ――なかった。


 そこに俊吾と玲はいなかった。


「は? え? えええ? ど、どういう……」


 どういうことだ? なんだ? え? え?


 覆面の下から現れた顔は、俺の知らないものだった。

 

 ……えっと。誰すか!?


 覆面の男たちは俊吾と玲じゃなかった。

 二人よりもずいぶんと年下に見える。顔にはあどけなさが残っている。おそらくまだ高校生くらいだ。

 しかし髪は二人とも金色に染まっていて、耳にはド派手なピアスがくっついている。かもし出す雰囲気からして、授業をまじめに受けてクラスメイトと仲良く弁当をつつき合う人種じゃないことは確かだった。


 ……いったい何者なんだ?


「俺たちゃ、さっき作戦をしくじってむしゃくしゃしてんだ。ちょうどいい、ガキをボコってストレス解消といくか」


「ああ、そうだな。てか、このガキの彼女、めっちゃかわいくね?」


「お前相変わらずロリコンだな!」


 俺は、以前にテレビでやっていたコンビニ強盗のニュースを思い出した。覆面姿の、二人組の男――。


 なんてことだ! 

 やつらは本物の、強盗帰りの犯罪者だ!


 まさか犯人が高校生くらいの少年だったなんて……。

 少年犯罪。


 どうしよう、このままじゃ、このままじゃ……。


「な、なんだよ、お前ら、俊吾さんと玲さんじゃないじゃないか……」


 ナンバー2の表情から余裕が蒸発していく。

 とうぜんだ。本物の犯罪者と遭遇してしまったのだ。いくら頭が良くても、精神的に成熟していても、しょせんは小学生。相手は、小学生からしたら大人も同然。勝ち目なんてあるはずもない。


「あ? シュンゴサン? レイサン? なに言ってんだこのガキ?」


「とにかくさ、とりあえず一発殴らせろよ――と言いたいところだが、まずは、そっちのかわいこちゃんが先だな」


 少年がミチルに手を伸ばす。


 やめろ。


 どうしよう、俺は、俺は――。


 少年がミチルの手を掴む。


 やめろ。


 ナンバー2は恐怖で動けない。


 落ち着け、落ち着け……そうだ、メントスだ、メントスを食べて心を落ち着かせるんだ――。

 俺はポケットを漁ってメントスを取り出す――。


「あ」


 手が震えてメントスを地面に落としてしまう。


 少年たちの愉快そうな笑い声が聞こえてくる。


「やめてください!」

 ミチルの悲鳴。


 やめろ。


「怖がんないでよ。傷つくなあ。べつに乱暴しようってんじゃないんだからさ」


 やめろ。


 俺は、なにも、なにもできないのか。


 足が動かない。怖い。ものすごく怖い。


 やめろ。


 助けなくちゃ――でも、殺されてしまうかも――。


 ナンバー2は恐怖でへたり込んでしまう。


 俺も恐怖で動けない。相手はガキンチョなのに!


 ミチルは必死で抵抗しているが、長くもちそうにない。


 俺はただ、ミチルが傷つくのを黙って見ているしかないのか?


 ミチルは大粒の涙を流している。


 やめろ。やめてくれ――。


「あ、泣いてるよこの子。そんなに怖がることないじゃん」


 やめろ。やめろやめろやめろやめろ……。


「五月くん……」

 ミチルの悲鳴。


「やめろォォォォォォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は走り出した、ようだ。


 もうなにがなんだか分からない。足が勝手に動く――前に、前に前に前に前に前に!


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺は絶叫する。そして飛びかかる。


 少年二人の驚愕の表情が網膜もうまくに焼き付く。


 脳みそが熱い。こんな感覚、生まれて初めてだ。


 これは怒り? 恐怖? どっちも?


 俺はムチャクチャに両手を振るう。


「このやろぉぉぉぉぉ! ミチルは俺の嫁だ! 汚い手で触るな!」


 もうワケが分からない。俺はいま、なにをしているんだ?


 目がしらが熱い。ぐしゃぐしゃだ。光が妙な角度で屈折している。泣いている。俺は泣いている。


「な、なんだよコイツッ!?」


「頭やべぇよコイツ! 逃げようぜ!」


***


 しばらくの間、何がどうなったのか分からなかった。

 気が付くと、ミチルが俺の胸に顔をうずめて泣いていた。Tシャツが涙で湿っていく。


 ナンバー2は地面に尻もちをついて放心している。


 俺はぜぇぜぇと息を切らしている。


「五月、さん……。すみません、僕、その……」

 ナンバー2が、泣きそうな表情で声を絞り出す。


「いや、なにも、言わなくて、いいよ。大丈夫、なんにも、問題、ない」

 俺はナンバー2の言葉を遮った。


 時間の経過に伴って、息が整っていく。

 激しい鼓動が静まっていく。

 脳内で渦巻く歪な記憶が鮮明になっていく。ノイズが晴れ、過去の行動が現実に追いついた。


 ああ、そうだ。俺は強盗に飛びかかったんだった。そして、運よく撃退できた。


「五月くん……! 五月くん!」

 ミチルは俺の名前を叫びながら泣き続ける。


「ごめん、ごめんねミチル……」

 たまらず俺も号泣。


 なんてザマだ。二十歳にもなった野郎が……。

 昔から俺は泣き虫で、それは大人になれば治ると思っていたのに。だめみたいだな。

 俺は相も変わらず、泣き虫で弱虫だ。


 と、ここで、男の声が聞こえてきた。

 それも、二人分の――。


 まさか、さっきの連中が戻ってきたのか!


 マズい!

 さっきは勢いでなんとか撃退できたが、二度目はないだろう。


 俺はミチルの体を守るように抱きしめて、声のする方に鋭い視線をやった。


「おらあ、てめぇこらぁ、白昼はくちゅう堂々いちゃついてんじゃねーぞこら(棒読み)」


「おらおらおらぁ、さっさと金を出すんだぜぇ(棒読み)」


 俊吾と玲だった。


「おらおら聞いてるのかい? こらてめぇ(棒読み)」


「まったく若いっていいぜぇ。暇さえあればいちゃいちゃしやがってぇ(棒読み)」


 どうやら、本人たちはいまから作戦を遂行するつもりらしい。リハーサル通り、凶悪で冷血なチンピラを演じている。


 しかしお前ら、完全に遅刻だ。


「おいおいおい、いつまで抱き合ってんだよ五月くんよぉ……って、あれ? なんで五月がいるんだ? 作戦と違うじゃないか……、あれ? なんで泣いているんだ? あ、ミチルちゃんも泣いているじゃないか! 貴様、ミチルちゃんになにをした!?」

 俊吾が素に戻り、見当違いの怒りをあらわにする。


 まったく、傑作だよ。


 気が付くと俺は、クスクスと笑っていた。涙を流しながら。


***


「正座しろ正座ァ!」


 俊吾と玲は俺の言葉に従い、アスファルトに正座する。


 俺は肺にめいっぱい空気をとりこんでから、

「遅刻してんじゃねえええ! 死ぬところだったんだぞ!」

 どなりつけてやる。


 普段なら、どんなに引け目があろうと反論してくる二人だが、今回ばかりはシュンとして項垂れている。


「す、すまねぇだぜぇ……。俊吾のやつが、煙草を買いたいとか言いだしたもんでよぉ……」


「な! 人のせいにする気か玲! 僕の煙草購入は一分もかからなかっただろう? それより貴様が家のエアコンを消し忘れたとか言って、一回帰ったはいいもののバッチリ消してあって代わりにコンロのガスが漏れていて換気するハメになったことの方がよっぽどのタイムロスだろう!」


 俊吾と玲は言い争いを始め、やがて掴み合いの喧嘩に発展した。国と国が戦争に至るまでの愚かなシミュレーションを見ている気分だ。


「静まれ! お前ら二人とも戦犯だ! 罰としていまから俺とミチルとナンバー2にそれぞれハーゲンダッツを買ってこい。俺はティラミス味だ。ミチルはバニラ。ナンバー2には抹茶あたりを買っておけ。あとメントスも追加だ」


 俊吾と玲は「わ、分かりましたー!」と声を合わせてコンビニに走って行った。


 さてと。


 俺は路地に戻った。

 落ち着きを取り戻したナンバー2とミチルは、二人で談笑している。しかしどうも言葉がぎこちない。ショックを引きずっているのだ。


「なんか五月くんのどなり声が聞こえましたが、どうしたんですか?」

 ミチルが首をかしげる。


「あいつらがメントスの悪口を言うもんだから、ついカチンとしちゃってさ」

 自分でもなにを言っているのか分からない。


 ミチルは、ナンバー2と俊吾と玲は本当にたまたま通りかかっただけだと信じている。


 ナンバー2は平静を装っているけど、まだ恐怖の余韻が残っているのは明白だ。抜群のポテンシャルを誇る彼も、言ってしまえばただの小学生なのだ。


 俺は、ミチルから少し離れたところにナンバー2を連れ出した。そして尋ねた。


「さて、どうする? 今からでも新しい策を考えるかい? それとも、今日のところは一旦退くかい?」


「……はい。今日は、もう、やめておきます。しばらくは、五月さん、あなたにミチル姫を預けておきます。でも、いつかゼッタイに奪い取ってみせます。あくまで一時的に、あなたに預けるだけです。ミチル姫は僕と結ばれるべきなんです」


 それだけ言うとナンバー2は俺から離れ、とぼとぼと歩き去っていく。


「待て」

 俺はナンバー2を呼び止めた。


 彼はピタリと足を止め、気だるそうに振り返った。


「帰るのはまだ早い」と俺は言った。「ハーゲンダッツを食ってから帰れ。俊吾と玲が買ってくる」

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