11話「天使VS悪魔」

 さてさて、俺は大ピンチである。


 俺の嘘が、薫にバレてしまったのだ。

 

 ミチルが親戚の子ではないということが、バレた。

 俺が彼女をたぶらかしていることが、バレた。

 

 俺が女児をいいようにもてあそぶ卑劣なロリコン野郎であることが、バレた。

 いやしかし、それは誤解なのだ!

 

 俺は断じて、ロリコンではない!


「五月~、あたしを見なさいよ」


 俺はカラクリ人形のようにぎこちなく首を動かし、薫を見る。

 

 薫は満面の笑みを浮かべていた。


「ひ!」


 怖い!

 薫が満面の笑みなんて、普通ならあり得ない。

 つまり今は、普通ではないということ!


「どうしたの? 幽霊でも見たような声出しちゃって」


「いや、その……」


「さっきの話はどういうこと? ミチルちゃん、親戚の子じゃないって言ってたよね?」


「それは……」


 すべてを白状してしまいたい衝動に駆られる。

 いやダメだ。薫に流されるな。薫のペースに流されたら最期さいご、それこそブラジルあたりに漂流ひょうりゅうすることになる。


「か、か、か、彼女は、その、あの」深呼吸。「俺に、その、惚れているんだよ……」


「は? 答えになってないわよ。あたしが聞きたいのは……」


「ミチルは俺に惚れているんだ! でも、彼女は親戚の子なんだ。本当なんだよ。ただ、彼女は、一人の女性として自分を見てほしいあまりに、親族じゃないと嘘をつくんだよ。そういう設定なんだよ。そう、設定なんだよ。そういう設定の、いわばおままごとみたいなものなんだ。俺は未来の旦那さんっていう設定なんだ。だから、薫、ミチルの前では、そういうことにしておいてくれないか?」


 俺はいっきにまくしたてた。

 むろん、トイレのミチルには聞こえないように、声のボリュームは調整した。


「そうだったの」と言って、薫は腕組みをする。そして目を閉じた。「なるほどね。要は、五月はミチルちゃんの遊び相手になってあげているってことなのね」


「そうなんだよ!」


 と、まぁ、こんなかんじで、一応の危機は回避することができたのだが……。


***


 一時間後。


 ミチルと薫の雰囲気が険悪に……。


 どうしてだろう?


 とりあえず流れを整理してみよう。

 まず、薫がミチルをからかうために、俺にベタベタ触り始めた。

 するとミチルが「私の未来の旦那さんにえっちなことしないで下さい」とちょっと不機嫌に。

 薫はその言葉をどこ吹く風と受け流し、あろうことか手つきがイヤラシクなる。

 俺のジョニーはダークサイドに堕ちる。って、俺のことはどうでもいい。

 さて、薫の悪ノリはエスカレート。ミチルは更に機嫌が悪くなる。

 ついに二人は俺を挟んで睨み合いを始める。


 そして現在に至る。

 キューバ危機ばりの一触即発いっしょくそくはつ具合である。


 ミチルはいいにしても、薫はそこまで本気にならなくてもいいじゃないか。普段のクールビューティっぷりはどこに行ったんだ?


「薫さん、あなたという人は……人の旦那さんを奪い取ろうとする悪党です」


「奪うもなにも、初めから五月はあたしのモノだけど?」


 オイオイ、悪ノリし過ぎだぞ薫。変なところで子供なんだよなぁ、薫のやつ……。


 二人はバチバチと視線を戦わせる。間にいる俺を焼き殺す勢いで。


 はたから見れば、俺はモテ期到来のハッピー青春ハーレムラノベ野郎だ。

 しかし、ミチルは誤解ゆえに好意をもってくれているだけであり、薫に限っては俺を暇つぶしのオモチャとしか見ていない。


 とにもかくにも、この場は俺が収めるべきだろう。


「こらこら、もう二人ともやめようぜ。仲よく仲よく!」


 俺は手を叩きながら仲裁ちゅうさいに入る。


「誰のせいだと思っているのですか!」

「誰のせいだと思ってるの!」


 二人が同時にどなる。


 なんで怒られたの俺……?


 やがて薫が立ち上がる。


「もういいわ。こんなガキんちょ、相手にしてられないわ」


「ガキんちょじゃないです。もう立派な四年生です! 大人の階段のぼっちゃっています!」


 ミチルも勢いよく立ち上がり抗議。薫を睨み上げる。


 二人は今にも掴み合いの喧嘩を始めそうな雰囲気だ。


 ミチルと薫は三十センチ近く身長差がある。この光景、まるで無謀にも虎に挑む子猫である。


「ふん」やがて薫はそっぽを向き、「酒買ってくるわ」と言い残して玄関を出て行ってしまった。


 俺とミチルは取り残される。


「薫のやつ、いったいどうしたんだ? なんであんなにムキになるんだろう……」


 すると、ミチルは呆れたようにため息をついた。


「五月くんって、もしかして鈍感どんかんさんですか?」


「え? それはどういう……」


「なんでもないです。とにかく、薫さんは要注意人物です。五月くんはゼッタイに渡しません」


 俺は何か言おうとした。

 でも、ミチルのかわいらしいふくれっつらを見ていたら、ついつい噴き出してしまった。


「どうして笑うのですか! 私はマジメなお話をしているのです!」


 怒られてしまった。

 俺は「すみません」と謝った。


 薫はビールを十本くらい買って帰ってきた。そして次々と開けてグビグビ飲み干していく。


「ミチルちゃんも飲む? あ、だめだよね。まだおこちゃまだもんねぇ。小学一年生だっけ?」


「四年生です! 馬鹿にしていると私も実力行使でぎゃふんと言わせちゃいますよ!」


 今日の二人はなにかおかしい。

 ミチルも薫も、ムキになり過ぎだ。


 でも、なんだろう。

 ネコの喧嘩みたいでカワイイ。


「ぷふふ……」


 俺がついつい噴き出してしまうと、ミチルと薫が同時に鋭い視線を向けてきた。


***


「――ということがあったんだよ。なんか、もう、本当の本当の本当に、引き返せなくなっちゃったよ……。薫が妙にあおるから、ミチルも更に燃え上がっちゃってさ……。なんか妙案はないのか? 軍師の俊吾さまァ……」


「うむ。今の貴様の話を聞いて一つ閃いたよ」


「本当か!」


「ああ。つまり、八ツ崎薫に協力してもらえばいいのさ」


「薫に協力してもらう? えーと、どういうこと?」


「これはもはや苦肉の策なのだが、まぁ、この際贅沢は言っていられない――。五月、貴様は八ツ崎薫と付き合え」


「! つ、付き合うって、その、お買いものにでも付き合うってことか?」


「貴様頭脳がマヌケか? そうじゃない。男女の関係になるってことだ」


「意味が分からない! それのどこが妙策みょうさくなんだ? そもそも薫は俺のことを……」


 俺はつい声を張り上げてしまったが、いま自分は図書館にいることを思い出し、口をつぐんだ。


 静かに勉強や読書に集中していた人たちが、こちらをジロジロ見ている。

 

 俺は小声で謝罪し、身を縮めた。


「こらこらお二人さん。ケンカなら外でやれだぜぇ」

 近くの席に座っている玲が言う。


 彼はモテたいがためにドイツ語で書かれた本を読んでいるが、あいにく本が逆さまだ。馬鹿なのである。


「とにかく」俺は声のボリュームを下げる。「薫が関わるのはよくない、ゼッタイに」


「そうか。いい策だと思ったんだがな」俊吾は両手を後方に放って、天井を仰ぐ。「貴様が八ツ崎薫に取られてしまえば、ミチルちゃんのことだ、貴様を責めるようなことはしないだろう。自らの力不足を呪うだろうさ。そうすれば、ほら、一応収まるじゃないか。あとは時間が解決してくれる」


「そんなのはダメだ。けっきょくミチルを傷つけてしまうじゃないか」


「五月。このに及んで、あの純粋無垢の権化ごんげの少女がまったく傷つかずに済む方法なんてないのだよ。貴様が彼女に嘘をついてしまった時点で、無傷の道は絶たれたのだ。あとは、そのダメージをいかに抑えるかを考えるしかない。厳しいことを言ってしまって申し訳ないが、これが現実なんだ」


 俺は黙り込むしかなかった。


 そのとおりだ。

 俺はもう、このゲームに負けているんだ。


 もう、綺麗サッパリハッピーエンド、って道は残されていないんだ。

 

 それこそ、本当にタイムマシンでもない限り……。

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