5話「パーフェクト・プラン」

 俺は帰路をたどっているが、ほねほね公園による必要がある。

 俊吾と玲との合同作戦があるからだ。作戦がなくても、ミチルと会うためによっていただろうけど。


 ミチルは一人でブランコに揺られていた。

 俺が声をかけると、彼女は目が潰れるくらい輝かしい笑顔を見せてくれた。


 俺はミチルと会話しながらも、公園を囲む灌木かんぼくの奥からひょっこり頭を出してこちらをうかがっている俊吾と玲との目配せを怠らない。

 作戦開始のタイミングを、彼らは今か今かと待っている。


「私、将来のために頑張ってお勉強しているのです」

 ミチルは言った。


「へぇ、なんの勉強?」


 ミチルの夢はなんだろう。

 幼稚園の先生とかお花屋さんとかが似合う気がする。


 ミチルはえへへと照れ笑いを浮かべながら、ランドセルから『ゼクシィ』を取り出した。


「!! ……あ、ああ……ミチルは、雑誌を作るお仕事に就きたいのかな?」

 俺は声が裏返ってしまった。


「違いますよ。なに言っているのですか五月くん。お嫁さんに決まっているじゃないですか。五月くんと結婚する日までに、いろいろ知っておかなくちゃならないので、本を読んで勉強しているのです」


 ジーザス! 罪深き我を許したまえ……。


 俺はメントスを食べて心を落ち着かせようとするが、いまだかつてメントスを食べて心が落ち着いたことはない。


 ミチルよ。どうして君はそんなに純粋なんだ? 君の両親はどんな人なんだい? ちゃんとした教育を受けさせてもらっているのかい? ああ、俺は心配だよ。知らないおじさんがお菓子をくれると言うだけで君はフォイフォイとついていくだろう。ああ、俺は心配だよ。心配できるような立場じゃないけど、それでも心配だよ。


 ミチルは『ゼクシィ』の一ページを俺に向ける。

「このドレス素敵じゃないですか? 私これで結婚式したいなぁ……。あ、でも、五月くんに無理をさせるようなことはしませんよ! お金がなかったら籍を入れるだけでもいいのです。私、面倒な女にはなりたくないのです」


「……あ、ありがとう」


「だから、結婚式は無理してやらなくてもいいですからね?」


「いやダメだ。ちゃんと式は挙げよう。お金のことは心配しないでくれ。そのドレス、きっと似合うよ」


 馬鹿か俺はぁぁぁ! なぜ罪を重ねるんだぁー! 


 ついに引き返せないところまで来てしまったか。


 ――いや、諦めるにはまだ早い。


 俺は天に向かってグっと背伸びをした。

 これが作戦開始の合図である。


 俊吾と玲が動いた。

 公園の入口からこっちに向かってくる。


「んっふっふっふっ。ついに追い詰めたぞ五月くんよぉ! 今日という今日はキッチリと耳揃えて金返してもらうぜ(棒読み)」


「兄貴ィ、コイツ、いっちょ前に女連れてますぜぇ? 女と遊ぶ余裕あんなら働けって話っすよねぇ(棒読み)」


 俊吾と玲は台詞を忘れないよう、手の甲に書き記された文字を見ながら喋っている。とんだトーシロだ。


「くっ……! しつこいやつらだ! わざわざ未来から追ってくるとはな!」


 俺はプロ顔負けの迫真の演技をする。

 あまりに上手すぎて、俊吾と玲は笑いをこらえるような表情になっている。


「ぷ、ぷふふふ……。と、とにかくだ。未来も過去も関係ない。金は金なのだ。過去に来たからって利子が減るわけではないのだよ。分かったらとっとと金を出すんだ(棒読み)」

 俊吾は言った。


「ない! 金は一銭もないね!」

 俺は答えた。


「ジャンプしてみぃ、ジャンプ(棒読み)」と玲が言う。「お前の借金はもはや五億まで膨れ上がってるんだぜぇ? 生命保険じゃまかないきれないぜぇ? 奥さんにもあの世にいってもらうことになるぜぇ? はっきり言っておくが、お前は奥さんを一生幸せにすることができない人間のクズさ。奥さんに苦労しかかけない、正真正銘のクズなのさぁ(棒読み)」


 作戦はシンプル。

 ミチルに愛想を尽かしてもらうのだ。

 俺が借金まみれのド底辺男で、なおかつ強面こわもて(?)の借金取りに日々追われる生活を送っていると思わせれば、さすがにミチルも怖気おじけづいてくれるだろう。


 俺は、ミチルにすべてが嘘だったと言う勇気はない。

 だから、せめて嫌われることで、この件を解決しようと決めた。三人で話し合って決めた。

 

 もちろん、できるなら嫌われたくない。でも仕方ないのだ。嫌われるのは、いたいけな少女を騙した罰として、甘んじて受け入れる。


 そう。だからミチル、君は今すぐ逃げるんだ。

 ド底辺借金ポンコツ男の結城五月ゆうきさつきの元から立ち去るんだ――。


「五月くんをいじめないで下さい!」

 ミチルが俺の前に割り込んで、両手を広げた。

「さっきからお金お金って、そんなにお金が大事ですか? いいです! 私が頑張って働いて、いっぱい稼いで、それをゼンブあなたたちにあげます! だからもう五月くんをいじめるのはやめて下さい!」


「……」

「……」

 俊吾と玲は完全にビビッている。おい、がんばれ。


「……あ、ああん!?」俊吾が設定を思い出し、無理やりすごむ。「こ、このお可憐なお嬢様……いや、このアマァ! このロクデナシをかばうつもりかですかぁ? そうなのかですかぁ?」


「夫を守るのは妻の務めです!」

 ミチルは毅然と答える。


「し、しかしだねぇ、お嬢ちゃん」玲がさとすように言う。「この結城五月という男は、ドブでバタフライでもしているのがお似合いな男なんだぜぇ? こんなやつと一緒になっても幸せになれないぜぇ? 最低な人生を送ることになるぜぇ?」


「五月くんと一緒なら、どんなことがあっても私は幸せです!」

 ミチルは即答する。


 俊吾と玲は黙り込んで、ミチルをじっと見つめる。


 無言が続く。


 ミチルは俊吾と玲を睨み上げ続ける。


 こんなにカラスの鳴き声が大きいと感じたことはない。


 やがて。


「……ふ、ふふふ……あははは……あははははははは! ミチルちゃん、その言葉が聞きたかった!」

 いきなり俊吾が笑いだし、わけの分からないことを言う。


 どういうことだ?


「なるほどなぁ。ミチルちゃんの愛は本物ってことかぁ」

 玲はうんうんと頷いて、俺を見た。そして言った。

「五月ィ、いい人を持ったなぁ」


 ……は? 


 おいおい、なに心打たれてるんだ! 作戦を遂行しろ!


「ミチルちゃん、五月をよろしくお願いします」

 そう言って、俊吾は頭を下げる。


「よろしくだぜぇ。オイラたちは本当は、未来幸福審議委員会の者なんだぁ」玲はドヤ顔で言う。「愛が本物かどうかを調べるために、未来からやって来たエージェントなんだぁ」


 勝手に設定を変えるな! なんのつもりなんだ!


「はい! ゼッタイに五月くんを幸せにしてみせます!」

 ミチルはビシッと背筋を伸ばして答える。


「アディオスアミーゴ!」


「また会おうぜぇ」


 俊吾と玲はひと仕事終えた感じで公園を出て行った。


 俺は放心状態。


「未来には不思議な人がいるのですね」

 ミチルは感心した様子で、俊吾と玲に手を振っている。


 いよいよ、いよいよいよいよ、俺は引き返すことができなくなってしまった。


***


「貴様らぁ! いったいどういうつもりだぁ! ミチルに失望を抱かせるどころか、絆がまた一段と強くなってしまっただろうが!」


 俺は俊吾と玲を家に呼び出し、どなりつけた。


「だ、だってよぉ……ありゃあ本物だぜぇ……。モノホンのラヴだぜぇ。それにしても、本当に天使みたいな子だったなぁ」


「五月よ。僕たちにできることはもうない。僕たちは精一杯やった。ところで五月よ、よく考えてみたまえ。ミチルちゃんだっていずれは大人になる。 すると、おのずと貴様が嘘をついていたことを悟るだろう。その頃になれば、彼女だって大人的な鷹揚おうようさを身に付けているだろうから、きっと笑って許してくれるさ。貴様は、サンタクロースがいないと悟ったとき、両親を憎んだり、フィンランドを爆撃してやろうと思ったりしたか? しなかっただろう? それと同じさ。な?」


 な? じゃねよこの野郎! 貴様らに貢いだケーキを返せ!


「いったいこれからどうすればいいんだ……」

 

 全身の力が抜けていくのを感じる。


「とにもかくにも、今はミチルちゃんを大切にしてやれ。笑って嘘を許してもらえるくらいに仲良くなってしまえ。むろん、ふしだらな行為は許さんがな」


 俺は天井を仰いだ。

 俊吾の言う通りかもしれない。嘘のショックを帳消しにできるくらいまで仲良くなれば、あるいは――。


「ところで五月ィ。今日はケーキないのかぁ?」

 そう言って、玲はニヤつく。


「調子に乗るんじゃない!」


 俺は渾身こんしんのバーストデコピンを食らわした。


 玲は絶叫して畳の上を転げまわった。

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