ルチル姫の謀略
「ふふ……これで、準備はばっちりですわ!」
「香炉の確認、終わりました」
側近と思しきエルフは無表情で、香炉のふたを閉じた。
「媚薬入りのキャンディーもばっちりね」
ルチル姫は、キャンディを一つ摘まみ上げた。
「これで、あの人間もイチコロでしょう。次の死刑囚は奴で決まりですね」
「所詮汚らわしい人間なんて、エルフのため以外に生きる価値などないのですから。セドナとやらも、エルフのために死ねるなら本望でしょう」
「え、ええ……」
ニヤニヤと笑みを浮かべる側近の表情とは裏腹に、ルチル姫の表情は暗い。
その様子を見た側近は半ばたしなめるように付け加えた。
「姫様はむしろ、良いことをなさっているのですよ?人間一人ごときの命と引き換えにわれら誇り高き弓士団に何人か雇ってあげたのですから。」
「そ、そんなことは言われなくても分かっていますわ!」
にやり、と笑う側近二人にルチル姫も悩みをかき消すように叫んだ。
ルチル姫は、悩んでいた。
ここ数年ほど続く慢性的な食料不足……飢饉が原因とロナからは聴いている……のせいで、国民の怒りは爆発寸前であった。
このような時には「怒りの発散」がガス抜きになることは、ルチル姫も知っていた。
その為、死刑囚に対し「詐欺」「横領」と言った罪状を捏造した上で「自分たちの直接の敵」と言う認識を持たせたうえで、公開処刑を行っていた。
捏造のいかんに関わらず、死刑を免れない身だ。罪状の捏造については、誰も気づくものはいなかった。
そうやっていくうちに、自分に「首狩り姫」と言うあだ名がついていたことも、皮肉にも「首狩り姫」に対する恐怖心が暴動を遠ざけていたことも知っていた。
むろん、これが間違っていることはルチル姫も知っている。
しかし、食料不足に対する根本的な打開策が見つからない現状では、市民の暴動を抑える方法はこれが一番効率的であった。
だが今月、ついに死刑囚のストックがなくなってしまった。
他に暴動を防ぐ方法が見つからない中、ルチルは側近から、ある提案を行われた。
……犯罪者がいないなら、作ればいい、と。
そして、それはエルフから嫌われている種族であればあるほどいい、と。
「……この謁見でセドナ様が姫様に抱き着こうものなら……」
「そう、それを罪状に処刑することが出来ます。団長が証人なら、冤罪を疑う者もおりません」
「……はあ……」
元々エルフから疎まれている人間であれば、処刑したとしても反発の声は小さい。加えて、栄光ある謁見の場で、こともあろうに姫様に狼藉を働いた、となれば猶更だろう。
即ち弓士団が他種族の雇用を始めた本当の理由は、一人の「治安維持のためのスケープゴート」を作ることが目的だった。
「しかし、団長たちにバレずに進めるのは大変でしたね……」
「ええ。……そなたたちも、他言無用ですわよ」
「存じております」
その為「男性」であり「人間」であり、なおかつ謁見室に招くだけの実力を持つセドナに血塗られた白羽の矢が立ったのである。
むろん、この話は今ここにいる側近の他数名、そしてルチル姫が最も信頼している部下「ロナ」しか知らないことだ。
いずれも、ルチル姫の前であっても人間の悪口ばかり言うほど、人間を嫌っている者たちだ。
彼女たちが人間の公開処刑に異論を唱えることも、情報を漏らすこともない……と、ルチル姫は考えていた。
一通り確認が終わった後、ルチル姫は少し意外そうな表情でつぶやいた。
「けど、本当はセドナ以外の人間を『スケープゴート』にしたかったのですが……妙に受験者が少なくありませんでした?」
「確かに。会場に来るまでは結構人間が居ましたが……。途中で帰ってしまった方が多いようです」
「なんでかしらね。まあ、そこは今度ロナに聴いてみるとしましょう。全く彼女ったら昨日も定時で帰って……。おかげで、準備が大変でしたわ!」
ブツブツと文句を言いながらも、落ち着きのない様子でセドナ姫は足踏みをしていた。
「あ、来ましたわ。セドナです」
「団長たちも来たようですね。それでは私たちは下がります」
そう言って、側近たちは下がっていった。
「こんにちは、ルチル姫。本日はお呼びいただき光栄です」
そうさわやかに笑うセドナに、ルチル姫は顔を赤くした。
(な、なんですの、こいつ……。改めてみると、やっぱり……良い顔なのね……)
頭ではそう思いながらも、何とか威厳を保とうとするルチル姫。
「え、ええ、あなたには一番期待しておりますからね」
そう言って、ルチル姫は引きつった笑顔を見せた。
(さあ、この最強の媚薬で、狂うと良いわ……)
香炉の中は、男性にのみ効果を及ぼす、強烈な媚薬が入っていた。それを会話を引き延ばしながら、少しずつ部屋の中に充満させる。
むろん、謁見室にいるエルフは側近も含め全員女性だ。媚薬に巻き込まれないように、理由を付けて男性は遠ざけている。
「それで、あなたはどうして弓士団の試験を受けたのですか?」
質問自体に意味はない。単に時間を引き延ばすための内容だった。だが、セドナはそれを知らず、ほほ笑みながら答えた。
「ええ。……それは、俺の大事な人を守るためです」
「大事な人?」
「俺が困っているときに世話を焼いてくれたチャロ、王国語を教えてくれたおじいさん、それに……」
そこでセドナは一呼吸置いた。
「それに、なんですの?」
「俺たちに機会をくれた、ルチル姫のために、です。……あの、どうされました?」
(……フン!人間の癖に、面白いことをいいますわね!)
まるで、自分が媚薬にあてられたようだ……そんな気持ちを抑えながらも、ルチル姫はセドナの方を見る。
(変ね……。男性であれば、もうとっくに効いているはずなのに……。人間にはこの薬、効かないのかしら?それとも……)
ここで仮説を考えても仕方ないと考えたルチルは、次の手段を試みることにした。
「ところで、あなたもお腹がすいたでしょ?キャンディはいかが?」
これは、万が一香炉が機能しなかったときに備えて用意していた、強力な媚薬入りキャンディだ。
ルチル姫は警戒心を解くために一つ手に取り、それを口にする。
「さ、砂糖がたっぷり入ってて、おいしいわよ?」
この媚薬も、女性には効果がないものだ。相手に差し出したキャンディを自分が食べなければ不自然だから、と薬師に無理を言って作らせたものである。
「ありがとうございます。……しかし、よろしければ、これを頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?」
「チャロや、スラム街の子どもたちに差し上げたいと思いますので……」
「ダメダメダメ!それは絶対ダメ!」
「え、どうしてですか?」
媚薬入りのキャンディを他人に食べさせるわけにはいかないから、とは到底言えないルチル姫はあたふたと慌てながら、言葉を選んだ。
「こ、これは新鮮なものだから、夜にでも腐ってしまいますのよ! だから、ここで食べないといけないんです!だから、早く、食べなさい!」
「は、はあ……」
その剣幕に気おされながら、セドナはそれを口にした。
「……はい、おいしいですね。」
「そ、そう? ところで、あなたは昨日、何を食べたんですの?」
必死に場をつなごうとするあまり、おかしな質問をしてしまった、とルチル姫は心の中で恥じた。だが、セドナは特に詮索する様子もなかった。
「昨日は何も」
「え、何も?パンの一つも食べなかったのかしら?」
「パンは、チャロにすべてあげたので」
「…………」
チクリ、とルチル姫の心に良心の呵責が走った。
こんな男をエルフの民のためとはいえ、罠にはめて処刑しようというのだ。
だが、後には引けないと思い、ルチル姫は唇をかんだ。
「そ、そう。……ところで、体が熱くないかしら?」
「そうですね。俺も最近寝るときに体がほてってしまって、困ってるんですよ……」
聞きたいのは、そんな世間話じゃない。だが、その質問で、ルチル姫は気が付いた。
……この男には、媚薬が効いていない。
(ひょっとして、側近が薬を入れ忘れた……?)
どんな男性も確実に虜になる、と薬師から念押しをされたものだ。
(いえ、そんなわけはないと思うけど……。ううん、きっとやせ我慢しているだけですわ!)
そう思ったルチル姫は、思い切って尋ねることにした。
「ねえ、セドナあ……」
「は?はあ……」
本人なりに艶を帯びた声色を出したつもりなのだが、客観的にみて、ただの甘ったるい声にしか聞こえない声。
周囲に居た団長たちも少し眉を顰める様子に、ルチル姫も気が付いていた。
「今、あなたがしてみたいことって何かあるのかしら?私にしてほしいこと、でも良いですわよ?」
これでセドナの理性は崩れ去る……ルチルはそう思っていた。だが、
「そうですか?それでは……。」
セドナは跪き、ルチル姫の手を取りながら、
「夢魔も人間も、すべての人々が笑って過ごせる世界をみんなと一緒に作りたいので、力を貸してください」
そう答えた。
「ほう……」
と、団長が感嘆の声を上げるのを見た。
……通常なら「作ってください」と言うところだが、セドナは「力を貸してほしい」と答えた。
これは「あくまでも何とかするのは自分」と言う強い当事者意識の表れだ、と言うことになる。
「…………」
そこまで聴き、ルチルは自分の期待した回答が恥ずかしくなり、セドナの手を払いのけながら顔をそむけた。
「ど、努力しますわ!……と、とにかく今日はここまでよ!明日から、早速沢山こき使うから、覚悟しておきなさい?」
「はい、いくらでもこの体、使ってください!」
どこまでもさわやかな返答をし、セドナは去っていった。
関係者が居なくなった後で、側近たちは耳打ちした。
「失敗でしたね」
「でも、大丈夫です。次の手はすでに打っていますので……」
「人間など、我々エルフの前では、かごの中の鳥も同然です……。まさか姫様、あのようなものに情を移されたのではないですよね?」
人間への憎しみを隠さずに耳打ちする側近たちに、
「べ、別にそんなわけありませんわ!」
そうルチル姫は相槌を打つのが精いっぱいだった。
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