バーニング・フィスト
その巨大な人形は、今しがた片付けた多数の人間大のものより、いくぶん手足のバランスがスリムに見える。2体で広いホールのスペースいっぱいに距離を取り、瑠魅香とマグショットを挟んだ。
問題は手にしたバトンで、長さはざっと2メートルはある。あんなものの直撃を受けたら、鎧を装備していない瑠魅香ではダメージが不安だった。
『瑠魅香!』
迷う事なく、百合香は表に出て来て身体を瑠魅香と交替する。黄金の鎧の百合香が、ホールに姿を現した。
「便利な奴らめ。来るぞ!」
マグショットが警戒を促すとほぼ同時に、2体の巨大な人形が2人に向けてバトンを投げた。バトンは恐ろしい速度で回転し、地面を這って襲いかかってきた。
「はっ!」
「うわっ!!」
マグショットは難なくそれをかわすが、百合香はギリギリだった。
「遅いぞ!」
「そ、そんな事言ったって!」
「足手まといだ、下がっていろ!」
そのマグショットの一言が、百合香の闘争心に火をつけた。
「ナメないでよ!!!」
続けざまに飛んできた巨大なバトンに、百合香は思い切り聖剣アグニシオンを叩きつける。バキン、と痛快な音がして、真っ二つに折れたバトンの片割れが人形めがけて飛んで行った。
「む…」
「サーベラスとの激戦の成果よ!!」
「奴に会ったのか!」
飛び交うバトンをかわし、弾き返しながら、マグショットは訊ねた。どうやらサーベラスとは、すでに接触していたらしい。
「でぇやーっ!」
百合香は、バトンを弾くのに合わせて炎の弾丸を剣から発射した。巨大な人形はそのぶん的が大きく、動きが素早くても何発かは命中し、バランスを崩して脚をついた。
かたやマグショットは、飛んでくるバトンをキャッチして投げ返し、そのバトンの背後に続いて人形とのリーチを一気に縮めるという、およそ常識を超えた離れ業を披露してみせる。
『あんなの反則じゃん』
百合香の脳内で瑠魅香がぼやく。返って来たバトンを人形はキャッチするも、その直後に眼前まで接近を許したマグショットの飛び蹴りを、真っ正面から胸に喰らって背後の壁面に叩きつけられた。
「こっちも行くぞ!」
百合香はアグニシオンを水平に構え、俊足で人形の懐に飛び込んだ。
「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」
たびたび用いるその剣撃を百合香は放った。巨大な炎の刃が、人形の胴体を直撃する。巨大ではあるが、その硬度はサーベラスより数段劣るらしく、ほぼ完全に切断されたのち、かろうじて残った部分がバキンと折れてそのまま崩れ落ちた。
『やった!』
「どんなものよ」
『その技、毎回使ってない?』
「うん、なんか使い勝手がいいんだ」
家電のレビュー並みの口調で言いながら百合香が振り向くと、マグショットの足元にはすでに、人形の首が情けなく転がっていた。
「俺の方が先に倒したな」
「だんだん子供じみてきてるわよ」
百合香は笑う。マグショットは「ふん」と腕組みして、倒れた人形の胴体に座り込んだ。
「いいだろう。それなりに力がある事は、認めてやる」
「それはどうも」
「だがしょせん、その剣の力を借りたものにすぎん」
マグショットは、百合香自身が自覚していたポイントを突いてきた。
「俺の邪魔をせん限りは、俺も手を出さん。ただし、これだけは忠告しておく」
トンと地面に降りると、百合香をじっと見据えて続けた。
「さらに上層に行こうと思うのなら、お前は自分自身の力を磨かねばならん。剣に頼るな。いや、言い方を変えよう。その剣の力を引き出すためには、まずお前自身が強くなれ」
そう言って立ち去ろうとするマグショットに、百合香は「待ちなさいよ」と言った。
「共闘しないって、あなた言ったけど。もう、今ここですでに共闘の既成事実ができたんじゃないの?」
「いかにも人間らしい方便だ」
「方便なら方便でいいわよ。じゃあ今回みたいに、なし崩しで共闘しちゃうなら仕方ないって事ね」
マグショットは、しばし黙ったのち口を開いた。
「好きにしろ」
それだけ言うと、もう話はたくさんだとばかりに、ホールの奥にある通路に走り去ってしまった。百合香は軽く溜息をついて、肩をすくめる。
『なんなんだろ』
「さあね」
百合香は、トワリング部の複製だった人形たちが散乱するホールを眺める。
「悲惨なものね」
『楽しくトワリングやってればいいのに』
「……」
その残骸は百合香の胸中に、何か複雑な気持ちを呼び起こしたらしかった。それを振り払うように、百合香は瑠魅香に問いかける。
「ねえ、瑠魅香。マグショットが、自分達は精霊の姿で悠々と暮らしてた、みたいな事言ってたわよね。あれ、どういう意味なの?」
『言ったとおりの意味だよ。私は「元」だけど、氷魔と呼ばれる精霊たちは、この地球に存在する、別な空間で精霊の姿で暮らしている。今もね』
「今もって、どういうこと?」
『それも、言ったとおりの意味。人類が知らないだけで、この地球には精霊が住む、言ってみれば「別世界」が存在するっていう事よ。大昔の人間は知っていたけど、今の人間にそれを知っている人は、1億人に1人いるかどうかってとこでしょうね』
何気ない問いかけから、想像もつかなかった回答が返ってきたせいで、百合香は軽く混乱し始めた。
「別世界って…どういう世界なの」
『人間に説明しても、理解できないと思うよ。私が物理的な世界を理解するよりも、ハードル高いと思う。ただ、人類の”科学”がもっと発達すれば、いずれわかるようになる』
「科学?どういうこと?」
『いまの人類の科学なんて、賢い人もいるでしょうけど、基本的には子供の遊びみたいなものよ。燃やしたエネルギーの後始末も満足にできない。そういう未発達な科学ではなく、真の意味の科学を理解したとき、私たちの存在も理解できると思う』
「……」
なんだか人類がコケにされているようで、百合香は軽く憤った。
「じゃあ、この氷巌城はどうなのよ。城を維持するために世界をめちゃくちゃにするのが、真の科学だとでもいうわけ?」
『そこなの、百合香』
唐突に、瑠魅香は”待ってました”とでも言うような口調で語り始めた。
『私達氷魔は、本来優れた知性を持った存在なの。あなた方の言語をこうして、難なくマスターしてる事から、それはわかるでしょ?』
それは確かにそうだ、と百合香は思った。瑠魅香は続ける。
『だから、氷巌城なんてものを創造する必要が、本来そもそも氷魔にはないの。自分達の世界で、全てが完結して、満足に、平和に暮らしているのだもの。必要ない事を、みんな理解しているの』
「そっ…それじゃ、何のために氷巌城が必要なの」
『サーベラスが言ってたでしょ。”否定の理”っていう、あれよ』
百合香は、サーベラスの言葉を思い出していた。
『まあ白状すると、その理っていうのが何なのか、私には説明がつかない。どうしてそんな理が存在するのか、ね。その点で、あなたにあれこれ解説できるほどの知識はない』
「…つまり」
百合香は、それまでの話をどうにか頭の中でまとめて言った。
「この城を本当に消すには、その”否定の理”が何なのかを突き止めなきゃいけないって事?」
『うん。そういう事になるね』
「どうしてそれを、今まで話してくれなかったの」
『話しても、すぐに受け入れた?』
その言葉に、百合香はハッとさせられた。
『ここまで幾多の戦いを経て、サーベラスみたいな相手と戦って、ようやく理解するための準備が少しだけ整った。そんな気がしない?』
「そっ…それは…」
『まあ繰り返すけど、私にもわからない事だらけなんだよ。百合香が人間の世界の事を私より知っているように、私は私のいた世界の事をあなたよりは知っている、それだけ。だから、それ以上の事を知らないのは、二人とも一緒だよ』
そう言われて、百合香は少しだけ安堵を覚えた。
「…そっか」
『そう。だから、これから二人でここを登る過程で、少しずつわかってくるんだと思う。この城を消し去る方法を』
「二人でね」
「そう。二人で」
百合香は、ホールの奥に続く通路を見た。
「考えても仕方ないか」
『でも、考え込んでる百合香、わたし好きよ』
「何よ、それ」
ふふふ、と二人は笑う。
その時だった。
ドカン、という大きな音が、これから通ろうという通路の奥から聞こえてきた。
「!」
『なんだ!?』
「まさか、マグショット!?」
百合香は、マグショットが何かと戦っているのだろうかと思って駆けだした。
通路の奥に急いだ百合香は、壁か何かの破片が散乱しているのを見つけた。
「なんだ!?」
『きっと、あいつが戦ってるんだよ!』
なおも百合香は走る。ほどなくして、もうもうと砕けた氷の粒子が立ちこめる空間に出た。扉は衝撃で壊されている。中は、それまでとうって変わって梁や柱が張りめぐらされ、壁面には細かな装飾が施され、何か中国風の木造建築のような構造になっていた。
床には、多数の氷の戦士たちが例によって散乱している。その様子からして、マグショットに倒されたのは間違いなさそうである。
「マグショット!いるの!?」
百合香は叫ぶ。しかし、返事はない。
「ここにはもう、いないのかな」
『百合香、あそこ!上!』
「え?」
瑠魅香に言われて百合香が上を見ると、張り巡らされた梁の上に、マグショットが拳法の構えを取って立っていた。百合香が来たことは気付いているはずだが、意図的に無視しているらしい。
百合香は、マグショットの視線の方向を見た。梁で隠れているが、誰かがいる。マグショットと同じように構えを取っているようだった。マグショットは、さきほどの戦いとは段違いの緊張感を伴っているように見えた。
すると、梁の陰にいた何者かが、ふいに語り出した。
「あなたですね、侵入者とかいう輩は」
柔らかいが、トゲのある響きを伴った、カンに障る声だった。どうやら、サーベラスと同じく高い知性を持った個体らしい。
「侵入者ですって?私たちの世界に侵入してきたのは、そっちでしょ!!」
負けじと百合香は怒鳴り返す。
「降りてきなさい!私が粉々に砕いてやるわ!!」
「やめろ、百合香!今のお前ではこいつには勝てん!!」
そう叫んだのはマグショットだった。
「ここは俺に任せておけ」
「ほほう。まるで私に勝てるとでも思っているような口ぶりですね」
「俺なら勝てる」
「では、やってみせて頂きましょう!」
梁の陰に隠れていた何者かが、マグショットとの間合いを一気に詰める。高速の突きが、マグショットの胴体を狙って繰り出された。
「ふん!!」
マグショットはわずかな動きでそれをかわし、ほんの一瞬相手の胸元が空いた隙を見逃さず、掌底を叩き込む。
「ぐほっ!」
敵は大きくバランスを崩し、後退して距離を取る。
そこでようやく相手の姿が見えた。ハットを被った、まるでマジシャンのような容姿である。顔も、いかにもといった風情の仮面のデザインになっていた。
「ふ…レジスタンスに拳法使いがいるとは聞いていたが、なるほど」
「百合香!お前は先へ進め!こいつは俺が倒す!」
マグショットは相手から目をそらさず、下にいる百合香に向かって叫ぶ。
「大丈夫なの!?」
「誰に言っている!早く行け!!」
『あーあ。どんな状況でも態度でかいのね』
瑠魅香は呆れたように言う。
「ははは、折角ここまでいらっしゃったのです。おもてなしもせずお通ししたとあっては、当館の品格が疑われるというもの」
そう言って、ハットの格闘家は手をパンと鳴らした。すると、部屋の左奥からドスンドスンという振動が近付いてくる。
「なんだ!?」
『来る!』
百合香が警戒態勢を取ったその瞬間、左側の壁の扉を突き破って、大柄な氷の戦士が現れた。その体格はプロレスラーと関取を合わせたようなシルエットで、背丈も百合香より頭ふたつ分はある化け物だった。顔は人間に近いが、野獣のようである。
「こいつは…」
考える暇も与えず、その巨漢は百合香に向かって突進してきた。
『百合香!』
「くっ!」
百合香はアグニシオンにエネルギーを込め、身体をかわしながら剣を叩き込もうとした。しかし、次の瞬間だった。
「ホァッ!」
奇怪な声を上げて、巨漢はその体躯から想像もつかない素早さで百合香の方に姿勢を変え、高速の突きを繰り出してきた。
「ごはっ!!!」
胸の鎧にまともに拳を受けた百合香は、そのまま吹き飛んで背後の柱に叩きつけられ、アグニシオンは大きく弾かれて部屋の隅に投げ出されてしまった。
『百合香!!』
「げほっ…」
『いくよ!!』
慌てて瑠魅香が表に出ると、すかさず杖を構え、巨漢に向かって拘束魔法を放つ。
『このデカブツ、よくも百合香を!!』
雷のロープが、四方八方から伸びて巨漢の身体を封じる。
「うっ…ごほっ!」
瑠魅香は、百合香が受けたダメージに耐え切れず、その場で膝をついてしまう。
『瑠魅香…ありがと』
そう言って、再び百合香は表に出て来た。手元にアグニシオンがない事に気付くと、すかさずそれを取り返しに走る。
だが、巨漢の拳法使いは、瑠魅香の拘束魔法を力任せに引きちぎり、再び百合香に突進してきた。
『そんな馬鹿な!』
瑠魅香は、渾身の魔法が力で強引に破られたことに、ショックを隠さない。
「うああっ!」
振り下ろされた拳をすんでの所でかわした百合香だが、姿勢を崩して床に転げてしまう。
「百合香!」
加勢に入ろうと、マグショットは動く。しかし、その前にハットの拳法使いが立ちはだかった。
「お客様、どうかごゆっくり観戦なさってください。ここは特等席ですよ」
「ふざけるな!」
マグショットの突きがハットの拳法使いに襲いかかる。
「くっ…落ち着きのないお客様だ。良いでしょう、このオブシディアンが直々におもてなしして差し上げます」
オブシディアンと名乗ったハットの拳法使いは、改めてマグショットに向かって構えを取った。
「ぐっ…」
『百合香!代わって!』
「瑠魅香…出て来ては駄目」
百合香は、表に出ようとする瑠魅香を必死で抑えた。
「大丈夫…今までだって、こんなでかいのを何体も倒してきた」
そう強がる百合香だったが、今までとは異質な相手でる事はよく理解していた。明らかに、動きの”質”が違う。このままでは負ける。百合香は、そう覚悟した。
だが、その時百合香はふと、サーベラスとの対決を思い出していた。
サーベラスに対抗するために、百合香は相手の実力をよく観察した。そして、強い相手に対抗するためには、それまでと全く異なる戦い方を身に着ける必要があると知った。
この相手は素早い。この動きに、剣で対抗することはできない。
ならば。
「ウシャアーーーーッ!!!」
巨漢は、再び百合香に向かって突進し、その右腕を高速で突き出してくる。
「百合香!」
『百合香!!』
マグショットと瑠魅香が叫ぶ。
そのとき、百合香に異変が起きた。
「!?」
マグショットは何事かと目を瞠った。百合香の全身が、炎に包まれ始めたのだ。
そして、信じられない事が起きた。百合香が一瞬で立ち位置を変えたと思うと、次の瞬間には、巨漢が大きくバランスを崩して、激しく床に叩きつけられていたのだ。
「なんだと!?」
オブシディアンは驚いて、つい下に視線を落とす。その隙を逃さず、マグショットの蹴りが飛んできた。
「うっ!」
「どうした。おもてなしは」
「おのれ!」
そこから、二人の技の応酬が始まった。オブシディアンは、マグショットの拳法は互角だと感じ始めていた。
百合香は、拳法らしき構えを取っていた。ただしその型は、あってないようなものである。
「わかってたつもりだけど。まだ全然わかってなかったんだ、この力の本当の使い方」
誰にともなく、百合香は呟く。その全身に今、炎のエネルギーが満ちていた。
『百合香、どうやったの!?』
「別に」
あっけらかんと百合香は返す。百合香は、突き出された相手の腕を逆に掴んで、引き抜くと同時に、敵の頭に回し蹴りを叩き込んだのだ。
「拳法なんて知らないわ。私流よ。瑠魅香、あとでこの流派の名前を考えて」
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