勝利者
真っ白な氷のグラウンドが静まり返る。
サーベラスの左肩、人間でいうと肩甲骨のど真ん中から大胸筋の中央にかけて深い亀裂が走り、その断面からは黄金のエネルギーが燃え盛っていた。
「ま…まさか」
百合香は、手にした聖剣アグニシオンを見る。その亀裂の位置は、試合前に百合香が思い切り剣を叩き込んだ箇所だったのだ。
「サーベラス、まさかあなた…今まで本当は、そのダメージを隠して試合をしていたの!?」
「ふ…」
サーベラスは不敵に笑う。
「お前の言うとおりだ」
そう言って手を亀裂にかざすと、再び亀裂は一時的に覆い隠されてしまった。
「あのとき、お前の一撃で俺の左肩は粉砕されていたのだ。俺は魔力でそれを隠していたにすぎん」
「な…」
「よもや、ユリカ。お前の力がこれほどのものだとは、思っていなかった。しょせん地底の雑魚どもを倒した程度で、俺に敵う筈はないとな。敵を侮っていたのは、俺の方だ」
「あなたは、一体…」
百合香は、サーベラスのその精神力に感服すると同時に、やはり不可解な気持ちを隠す事ができなかった。
「百合香。ソフトボールの試合は7回までだな」
「そ…そうよ」
「俺のこの肩では、もうゲームは続行できそうにない。この最後の一球だけ、勝負してくれ。それで、決着としよう」
サーベラスは、その握ったボールに、青白い凍気のエネルギーを込めた。その余波が、周囲に一陣の風を巻き起こす。
百合香は無言でうなずいて、聖剣アグニシオンに黄金の、炎のエネルギーを漲らせる。その熱風が、サーベラスのエネルギーと干渉して、グラウンド全体に熱風と寒風の渦を形成した。
全ての戦士たちが息を呑んで見守る中、サーベラスの右腕が、勢いよく一回転する。蒼いレーザーのような速球が、百合香のストライクゾーンど真ん中めがけて直進した。
「うりゃあああああ――――――!!!!」
一瞬だった。
百合香はアグニシオンを天高く振り抜いた。その軌跡は不死鳥の翼のような炎の弧を描き、清澄極まる打音が響いた次の瞬間にサーベラスの背後、巨大なグラウンドの高い壁にボールが突き刺さった。
さながら尾を引く彗星のようなホームランボールは、壁に突き刺さると百合香の炎のエネルギーと激しく反応し、壁に巨大な亀裂を形成した。
百合香は、静まり返った氷のダイヤモンドを一人駆け抜け、サーベラスが見守る中でホームインする。
「ゲームセット!勝利、百合香チーム!!」
真っ白な氷のグラウンドに、敵味方入り乱れた歓声が湧く。
百合香は、こんな冷たい氷の城で、忘れていた勝利の感覚を取り戻したことに、驚き、かつ感動して涙を流していた。
サーベラスがゆっくりと歩み寄る。
「見事だった」
そう言って、握手を求める。
「人間たちは、認めあった相手とこのような儀式を行うのだろう?」
「…ええ」
涙を拭ったその手で、百合香はサーベラスの硬い手を握り返す。
「教えて、サーベラス。あなたは、ひょっとしてこの城の消滅を願っているの?」
「俺には答えられん」
サーベラスにしては、歯切れの悪い返答である。
「だが、わからなくなったのだ。俺は戦士だ。戦う事に存在意義を感じる」
「……」
「だから疑問を持った。他者の存在、生きようとする意志を否定する戦いに、はたして価値があるのか、とな。そこにユリカ、お前が現れた。人間なのかは判明していなかったが、俺は人間であってほしいと願っていた」
そのサーベラスの言葉に、百合香はつい笑みがこぼれた。
「あなたの方が人間みたいだわ」
「そう思うか」
少し真剣な調子でサーベラスは言った。再び、肩に亀裂が走る。
「ユリカ。ひょっとしたら、これまでの戦いの中で、人類、いや地上の生命への侵略に、否定的な氷魔と出会ったのではないか」
「!」
百合香は、驚いてサーベラスを見た。
「名前などは言わんでいい。そういう連中がいる事は知っている」
百合香の頭の中で、まさに該当者の一人である瑠魅香はそれを無言で聞いていた。
「教えて、サーベラス。この城を、消滅させる方法はあるの?」
その問いかけに、サーベラスはやや長く沈黙したのち答えた。
「通常であれば」
そう強調したのち、話を続ける。
「この城を生み出した城主を倒すことで、城の礎となる思念の力が消え失せ、城は消滅する」
「やっぱり、ラハヴェを倒すしかないって事か」
「だが、ユリカ」
サーベラスは百合香の目を見て言った。
「何かがおかしい」
「…おかしいって、なにが?」
「俺たちだ」
そう言って、サーベラスは周りにいる部下の戦士たちを見回す。
「過去、幾度となくこの氷巌城は、その時代を鏡としてこの世界に出現した。それは知っているな」
こくりと百合香は頷いた。
「だが、今の俺たちのように、これほど人間に近い意志を持った個体が出現したのは、おそらく氷巌城の歴史において、初めてのことだろう」
「そうなの?」
百合香は驚いて訊ねた。頭の中で、瑠魅香も驚いているのがわかる。
「そうだ。基本的に俺たちは、この城の忠実な配下として生み出される。前回…おまえ達の時間の尺度で、どれくらい昔なのかは知らんが、以前の俺はこのような感情を有してはいなかった。ないわけではないが、もっと冷たい、機械的な心しかなかった。こいつらも同じだ」
「今回が特別っていうこと?」
「俺は戦士だ、そこまで細かい事はわからん。だが、何かがおかしいという事はわかる」
百合香はなんとなく、サーベラスが「試合」にこだわった理由がわかったような気がした。
「ねえ、教えて。どうして、氷の戦士がこんなに、ソフトボールに熱中しているの?」
「わからない。ただ、いつものようにこの氷の城で、氷の身体を持って目覚めた時、俺たちの中に誰かの「記憶」が流れ込んできたんだ。それまで、ソフトボールなどという競技は、当たり前だが知らなかった」
「それって…」
百合香は、自分の推測がいよいよ正しかったのではないか、と思い始めた。その記憶というのは、ガドリエル学園のソフトボール部員たちの記憶なのではないか。それが、どういう理由でかサーベラス達に強く影響を及ぼし、「氷のソフトボール部」が結成されたのだ。
「それは、ただの記憶ではなかった。球を投げて打つという行為に、全てを懸ける精神だ。それが、俺は気に入った。だが、その正体が何なのか、わからなかった」
「あなたは、その答えが知りたかったのね。だから、私にわざわざソフトボールの試合なんていう、回りくどい事を持ちかけたんだわ。人間である私と、接触するために」
「そうだ」
苦笑しながらサーベラスは、地面にどっしりと腰を下ろした。
「だが、それだけではない。お前にも何かを感じ取って欲しかったのだ。心を持った氷魔との戦いの中でな」
「…あなたは、この先に進むには試合に勝たなくては、と言ったわ。つまり、この先も、心を持った氷魔たちとの戦いになる、と言いたいの?」
「そのとおりだ」
だが、とサーベラスは言った。
「人間のお前に言うまでもない事だろうが、心とは複雑なものだ。自分で心を有して、それが理解できた」
「……」
「お前のように、真っ直ぐな心の持ち主もいれば、邪悪な心の持ち主もいよう。今、そんな禍々しい"気"が、この城に満ちている」
「禍々しいって…本来、氷巌城はそういう性質のものなのではないの?」
「違う」
サーベラスはハッキリと言い切った。
「氷巌城は、ある意味では自然の理として誕生するのだ。世界には常に"否定の意志"とでも言うべき思念が存在している。存在するものを否定する意志だ。おまえ達、人間にもそんな奴らがいるのではないか」
百合香は、まさかここで人間論じみた会話をする事になるとは考えてもみなかった。
「氷魔とは、その理に沿った存在だ。在るものを否定し、凍てつかせ、死に追いやる。それは、悪意をもって行われるというよりは、"否定の本能"に基づいて行われるという方が正しい」
「…理解できないわ」
思ったままを百合香は言った。
「本能だろうと何だろうと、私達は、私達を絶えさせようとする存在を、そのまま受け容れるわけにはいかない。本能というなら、私達にだって生存の本能がある」
サーベラスは、黙って聞いていた。
「冷酷な言い方に聞こえるでしょうけど、私はこの城を消さなくてはならない」
「そうだ。お前はそれでいい、ユリカ」
「でも、その時、あなた達はどうなるの」
訊きたかったことを百合香は訊ねる。サーベラスは答えた。
「あなた達も、消えてしまう事になる。それでいいの?」
「俺たちに、厳密な意味では"死"は存在しない。それはお前達も同じ事なのだが、ここでそれについては言うまい」
「…どういう意味?」
「城が消えれば俺たちも消え去る。だが、そもそも俺たちは、お前達が言うところの"精霊"のような存在なのだ。つまり、元の姿に戻るに過ぎん」
「では、私が城を消し去っても、構わないのね」
それを聞いたサーベラスは、大きな声で笑った。
「ははは!この城を落とせるつもりでいるとはな」
「な…なによ!最初からそう言ってるでしょ!!」
いきなり頭から小馬鹿にされた気がして、百合香は憤りを隠さない。
「いや、すまん。最初は俺も、不可能だろうと思っていた。しかし、俺にここまでの深手を、無防備の状態であれ負わせてみせたのだ」
「見込みあり?」
「見込み"だけ"はある」
言い含めるようにサーベラスは言った。
「俺は決して、他の氷騎士どもに引けを取るつもりはない。パワーだけならトップクラスだという自負はある」
「そうなの?」
「そうだ。だが、戦いはそう単純なものではない。俺の半分の力の奴が、三騎で一斉にかかってくれば、どうなる。俺の三分の一の力で、六倍素早く動ける奴がいたら、どうする」
「うっ」
百合香は、どこかで誰かに言われたような話に身震いした。
「それに、上の層に行けば、けったいな技を使う不気味な奴らもいる。氷の城と言っても、そう一筋縄に行くわけではない事は、心しておけ」
サーベラスの言葉は、十分すぎるほど百合香の背筋を緊張させた。このサーベラスからして、あの一撃を受けて深手を負っているにもかかわらず、あれだけ俊敏に動き回っていたのだ。もし、本気で戦っていれば、百合香は手も足も出なかったかも知れない。
百合香が慄くさまを見て、サーベラスはまたも小さく笑った。
「いまさら恐れてもどうにもなるまい。それよりも、このサーベラスにこれだけ深手を負わせたという自信をお前は持つべきだ」
「…それは、あなたがわざと受けたから」
「ばかめ。このサーベラスの身体は、それほどヤワなものではない。俺の装甲を砕けたのなら、理屈でいえば他の奴らも砕けるということだ」
「いいの?信じるわよ」
真顔で百合香は確認を取る。なにしろ、こちらは生命がかかっているのだ。いざ、相手にしてみたらカスリ傷ひとつ負わせられない、などという事態は困る。すると、サーベラスはまた大声で笑った。
「俺は嘘などつけるほど賢くない」
そう言うと、立ち上がって他の戦士たちを呼び寄せる。戦士たちはサーベラスの両脇に立つと、百合香に敬礼のような姿勢を取った。
「俺は勝負に負けた。さあ、先に進むがいい」
サーベラスは、グラウンドの奥に見える門を示す。
「いいの?裏切るような真似をして」
やや心配ぎみに百合香は訊ねる。
「俺のことなど心配するな。俺は負けたから通過された。嘘は言っておらん」
「そういう問題じゃなくて」
「馬鹿にするなよ。俺を処罰しにくる奴がいたら、返り討ちにしてくれる」
そう言って、氷のバットを構えてみせる。まさか、本当にあれが武器なのだろうか。傍目には暴動を起こしているようにしか見えない。
「さあ、行け。また会おう」
今度こそお別れだ、という口調でサーベラスは言った。
「…わかった」
百合香は、落ちている氷のボールを持ち上げた。
「これは、貰っていくね」
「好きにしろ」
百合香の手の上で、氷のボールは光の粒子になり、左腕に吸い込まれるように消えて行った。
「さよなら、みんな。また会おうね」
百合香は、氷のソフトボール選手たちと向き合う。氷のグラウンドに、全員の声が高らかに響いた。
「「ありがとうございました!!!」」
再び真っ白な通路を、百合香は歩いていた。
『百合香。さっきから泣きっぱなしだよ。前が見えない』
「うるさいわね」
手のひらで百合香は涙を拭う。
『でもまあ、楽しかったね』
「…そうね」
百合香は、そう認めざるを得なかった。本当に楽しかったのだ。
「疲れたわ」
『代わろうか』
百合香の答えを聞く間もなく、瑠魅香は精神を交替して表に出てきた。紫のへそ出しドレスをまとった魔女が現れる。
「おー、久しぶりの感覚。やだ、だいぶ臭ってるよ」
『女の子の身体に臭ってるとか言わないの!』
「元気そうだね」
そう言って、瑠魅香は杖を軽く振ると、冷気の粒子を辺りに撒き散らした。
すると、だいぶ通り過ぎた場所に、氷魔エネルギーの"裂け目"を発見したのだった。
「あぶない、通り過ぎるとこだった。百合香、あったよ。例の部屋の入口」
『!』
だいぶ食い気味のタイミングで、再び百合香は表に出てきた。剣を構えると、空間の裂け目にエネルギーを飛ばす。
白い光がおさまると、そこはものすごく久々に思える、癒しの間だった。
「あー、シャワー浴びて寝よう」
『ストップ。また、ガドリエルに話を聞くタイミングなくなるよ』
「あー」
心の底から面倒くさそうな声を百合香が出したので、半透明状態の瑠魅香はため息をついて言った。
『わかった。あなた大変だったものね。いいわよ、私が訊きたいこと訊いておいてあげる』
「…頼みます」
夢遊病者のように、百合香は鎧を着たまま脱衣所に入って、そのままシャワールームに入りかけて我に返った。
「…疲れてるな」
鎧姿を解除して、制服姿になる。よく見ると、脱衣所の脇の棚にはバスローブが畳んであった。
「…やっぱりホテルだわ」
百合香が擦りガラスのシャワールームにいる間、向こうから瑠魅香とガドリエルの話し声が聞こえてくる。どうやら、今日は現れてくれたようだ。
この城にいると、一日という感覚がなくなる。今日、とはいったいいつの今日なのか。身体を流れ落ちる温水を見ながら、百合香は思った。
フカフカのバスローブを巻いてリビングルームに戻ると、瑠魅香が何か四角い箱の前にしゃがんでいた。
「なあに?それ」
近付くと、何か既視感のある、ドアつきの箱だった。
「…まさか」
ゆっくりとドアを開ける。すると中から、冷気がふわっと漂ってきた。中には棚や仕切りがあり、飲み物の瓶が冷えていた。
「冷蔵庫だ!」
百合香の目が輝いた。久しく触れていない、生活家電である。そして、中には見慣れた青いラベルのボトルがあった。
「ポカリだ!」
『あっ、この間言ってたやつ!?』
「そう!」
単なる女子高生に戻った百合香は、喜んでそのキャップを開ける。しかしボトルはガラスであった。
冷えたスポーツドリンクを、百合香は一気に流し込む。久しぶりの味が喉に染み渡った。その感覚に、また少し涙が出てきた。何でもないスポーツドリンクも、一度失われてみると大切なものなのだ。
「あー、美味しい」
『私も!』
「あ、そうだったね。代わるわ」
百合香はボトルを置いて身体を交替する。今度は、バスローブのままの瑠魅香になった。だんだん、交替のしかたが自由自在になってきている。
瑠魅香は、百合香がポカリと呼んでいるそのドリンクの匂いを嗅いで、少し口に含むと、一気に流し込んだ。ごくりと飲み込むと、神妙な顔をして黙りこくる。
『お味は』
「うん。百合香の手のひらの味がする」
『あっそ』
「美味しい」
ちょっと待て。
「ふうん、これが人間の味覚なんだ」
『やや特殊な部類の味だけどね』
そう言って何気なく、百合香はボトルのラベルを見る。馴染みのある書体で、「ポカリスピリット」と書いてあった。
『惜しいんだよなあ』
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