9対9

 江藤百合香は混乱していた。


 謎の、氷でできた野球グラウンド、少なくともそうとしか呼べない空間に足を踏み入れ、ここは何なんだと考え込んでいると、左右から氷の戦士たちが現れたのだ。


『油断しすぎでしょ!こんな堂々とど真ん中まで来るから』

 頭の中で瑠魅香が、相棒の不用心を嘆く。

「うるさいわね!全部片づければ同じ事でしょ!」

 瑠魅香と低次元の言い争いをしながら、百合香は自分達を囲んだ戦士たちを見た。ざっと、20体くらいはいそうに見える。どれも人間サイズであり、いまの百合香ならそこそこ余裕で勝てそうには見えた。


 だが、数や大きさ以外の要素が、百合香を混乱させた。


 中世ヨーロッパ風の城に侵入して、最初に遭遇した敵たちは、古代か中世ヨーロッパ風の剣闘士といったスタイルがほとんどだった。なので、「氷騎士」なる幹部の配下も、似たような恰好をしているのだろうと思っていた。

 いや、確かに今、目の前に現れた敵と思しき集団も、それらしい姿をしてはいる。西洋の甲冑ふうの防具をまとっており、それだけを見れば今までと変わらない。だが、手に持っている武器がおかしい。


『あれ、何?』


 百合香の頭の中で、瑠魅香が訊ねた。百合香は、敵が持っている物体の呼称を知っている。知っているだけに、答えることに違和感がある。


 目の前に整列した氷の騎士団が手にしている武器。それは、野球のバットやボール、グローブであった。



「待っていたぞ!侵入者!!」



 その、全く予想外の大声に、百合香は二重の意味で驚いた。まず、今までこれほどハッキリと言葉を話す敵がいなかった事と、自分が侵入者、そして城から見れば侵略者である事が、見事にバレている事であった。

 声の主は、百合香よりも頭ひとつ分くらい背の高い、ライオンのたてがみのような装飾のついた兜を被った、大柄な氷の闘士であった。やはりバットを地面に突き立てている。

「あなたは、誰!?」

 百合香も驚きを隠すため、精一杯の声を張り上げる。

「うむ。いい声だ」

 相手の声は野太い。

「我が名はサーベラス。この氷巌城第1層を守護する、誉れ高き氷騎士の一人である」

 正直言って、百合香は恐怖や焦りなどよりも、困惑の方が勝っていた。これほどまでに明確に知性を持った相手は初めてだからだ。

『なんとまあ。まさか、のっけから幹部がおでましとはね』

「…何か企みがあるのかしら」

『ないんじゃない?直球バカ系だと思うよ』

 瑠魅香も瑠魅香で、なぜそんな日本語を知っているのだろう。それはともかくとして、百合香は訊ねた。

「では、あなたは氷魔皇帝ラハヴェの配下なのね」

「ほう、すでにわが主の名を知っていたか。さすがは侵入者」

「悪いけど、ここは突破させてもらうわ!」

 百合香は瞬時に金色の鎧をまとう。サーベラスと名乗った氷騎士の部下たちは、その輝きに怯んだようだったが、サーベラスは微動だにせずそれを見ていた。

「行くわよ―――!!!」

 先手必勝とばかりに、百合香は剣を両手で構えて突進する。しかし、


「待てぇぇぇい!!!!」


 その、グラウンド全体を揺るがさんばかりのサーベラスの一喝に、思わず足を止めてしまった。

「な…なに!?」

「何、ではない。まずは侵入者、きさまの名を教えてもらおう!名も知らぬ相手に戦いを挑むほど、このサーベラス、礼を知らぬ戦士ではない!」

「ななな…」

 百合香は、相手が何を言っているのか一瞬わからなかった。ただ戦って決着をつければ、それで済む話ではないのか。これではまるで、部活の他校との試合だ。

 だが、氷の化け物に無礼者扱いされているようで少々頭にきた百合香は、剣をドカッと突き立てて名乗った。

「私は百合香!みんなの命を救うため、この城に戦いを挑む!」

「ユリカ!よい名だ!」

 なんだこいつは、と百合香も瑠魅香も思った。聞いた事ぜんぶ「良い」と返すつもりなのではないか。

「さあ、挨拶は終わったわ!いざ尋常に、勝負しなさい!!」

 言いながら、なんだか自分も時代劇じみてきたなと百合香は思った。すると、サーベラスはだいぶ予想外の行動に出た。


「よかろう!では、貴様に8名の選手を貸してやる!」


「は?」

 百合香の脳内に、ざっと数えて1億個のクエスチョンマークが浮かんだ。お前は何を言っているんだ。


 サーベラスの命令で、百合香の両脇に4名ずつ、計8名の氷の戦士が並ぶ。百合香を入れれば9人である。そして、向こうはサーベラスを入れて、やはり9人であった。

「ま…まさか」

『何なの?』

 何となく察しがついた百合香と、人間界の情報に乏しい相方との温度差がすごい。百合香が冗談だろうと思っている所へ、サーベラスがとどめを刺した。


「さあ、ユリカ!貴様と私で、ソフトボールの勝負だ!!」

「なんでよ!!!!」

 百合香は、今年に入って一番のツッコミを、目の前の氷騎士に向かって投げつけた。

「あなたは騎士でしょう!?私はこの剣で戦うわ。17体1でいいわよ、かかってきなさい!」

 そう叫んで、剣を構える。こんな所で、呑気にソフトボールに興じているヒマはないのだ。しかし、サーベラスは予想外の答えを返してきた。

「ほう、なるほど。せっかく私が、貴様に生き残れるチャンスを与えようというのを、無視するのだな」

「なんですって?」

「いいだろう。剣で戦いたいというのなら、向かってくるがいい。だが、私が勝てばソフトボールで対決してもらうぞ」

「ば…バカにしないで!」

 百合香は、サーベラスに向かって聖剣アグニシオンを構える。サーベラスはバットをドスンと落とすと、素手で何の構えもなく百合香に向き合った。

「何のつもり?」

「どうした。向かって来んのか」

「くっ!」

 煽られた百合香は、これ以上話をしてもラチがあかないので、今度こそ突進した。剣にエネルギーを溜め、一気に斬りかかる。


「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」


 巨大な炎の刃が、サーベラスに襲いかかる。それを、サーベラスは真っ正面から胴体でまともに受けた。グラウンドに炎のエネルギーが飛び散り、配下の戦士たちが恐れをなして後退する。しかし。

「ほう。なかなかの強さだ」

「な…」

 まともに入った剣撃に、サーベラスは微動だにしていなかった。それどころか、傷ひとつついていない。

「お前の強さは本物だ。それは認めてやろう。ただし」

 そう言って、サーベラスはアグニシオンの刃をガッシリと握り、ひねるように下に強引に降ろした。

「あっ!」

 百合香は思わずそれに引っ張られて姿勢を崩す。がら空きになった百合香の右上腕を、サーベラスは軽く腕で横に払った。

「きゃあっ!」

 百合香はアグニシオンと一緒に、地面にあっけなく投げ出された。

「最初に私に相対したのは運が悪かったとも言えるし、良かったとも言える」

「うっ…」

 百合香は、目の前にいる氷騎士の実力を肌身で感じていた。


 勝てない。絶対に。その事実に、愕然とする。これまでの敵などとは、全く次元が違う。


「ユリカと言ったな」

 サーベラスは、地面に情けなく腕をつく百合香を見下ろして言った。

「これから先にお前が進みたいと思うのなら、お前はソフトボールで私に勝たなくてはならない」

「何を…」

「私の言っている意味がわかるか」

 何を言っているのか。百合香は、本気で疑問に思った。

「あなたは、私を排除できれば、それで任務達成の筈でしょう…なぜ、こんな周りくどい事を…?」

 言いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「まるで、私にこの先に進んで欲しいとでも思っているみたいだわ」

「そう思うか」

 またしても、百合香は困惑した。このサーベラスという戦士は、圧倒的に強い。他の戦士がこのサーベラスと同等、あるいはそれ以上の力を持っているというなら、どう考えても百合香には絶望しかなさそうだった。

「ソフトボールのルールは知っているな」

「も…もちろんよ」

「さっきの約束だ。私はいま、お前に勝負で勝った。言う事は聞いてもらう」

 そう言って、氷のバットを百合香に押し付ける。百合香は、しぶしぶそれを受け取ろうとした手を止め、次のように言った。

「打球を打てればいいんでしょ。これをバットとして使わせて。炎の技を発したりだとかの反則はしない、約束する。いざという時に武器がないのは、ごめんだわ」

 そう言って、百合香はアグニシオンの側面をサーベラスに示した。サーベラスは頷く。

「ほう。いいだろう。試合開始だ。私のチームが先攻とさせてもらう」



 ご丁寧に、グラウンドにはベンチまで用意してあった。徹底的に模倣しているらしい。そして、百合香はひとつ気付いた事があった。

「このベンチのデザイン…どこかで見覚えが…」

 そのベンチの脚は、横から見るとアルファベットの「A」が丸くなったようなデザインをしていた。どこかで見た事がある。そして百合香は、ハッと思い出した。

「学校のグラウンドのベンチだ…」

「カントク、打順はどうしますか」

 唐突に、氷の戦士の一人が百合香に訊いてきた。

「は!?カントク!?」

 何なんだ。どうして、ナインの一人が監督なのだ。そう思ったが、9人しかいないので仕方がない。それよりも問題は、他の8人の区別がつかない事だった。同じレーシングスーツで同じヘルメットのレーシングドライバーを区別しろ、と言っているのと同じである。

「……」

 百合香は本気で困っていた。自分はバスケットボール部員である。バスケのポジションを決めろというなら、やってやれない事はない。しかし、野球やソフトボールのポジショニングは完全に専門外だ。同級生の、ソフト部の里中さんならどうするだろう。

 仕方がないので、百合香は「強いバッティングに自信がある人」と訊ねた。すると、二名が手を上げる。他は自信がないのかと内心で憤りながら、「あなた4番、あなた8番ね」と指名した。

 その後も、足に自信がある人、小技が得意な人、などと訊ねて、素人なりにどうにか打順は決める事ができた。ちなみに百合香は1番である。とにかく足で出塁しようという、バスケット選手なりの考えだった。


 しかし問題は、何やかんやで百合香が先発投手を務める事になった点である。中継ぎ、抑えは例によって区別がつかない。


「……」

『ねえ、百合香』

 久しぶりに瑠魅香が声をかけてきた。

『さっきから、みんなで何を言ってるの?あたし、理解できないんだけど』

「大丈夫。わたしも理解できてない」

『今から何が始まるわけ?』

「試合」

『誰と誰の?』

「チームとチームの!」

 若干キレ気味に百合香が立ち上がる。

「やるからには勝ちにいくよ!!!」

 おー、と氷の戦士ならぬ選手たちが応える。瑠魅香はその様子を見て、素っ気なく言った。

『よくわかんないけど、頑張ってね』



 そんなこんなで、プレイボールである。百合香は、いつ以来なのかわからない、ピッチャーマウンドに立った。比較的体格のいい戦士が、キャッチャーを務めてくれている。


 百合香は、改めて困惑した。なぜ、氷の戦士たちがソフトボールに興じているのか。その時思い出したのは、ガドリエルから説明された、氷巌城は人間の世界を「模倣」して生まれる、という事実だった。

 そして、なぜ彼らは「野球」ではなく「ソフトボール」を選択したのか。


 その時、百合香に電流が走った。


 ガドリエル学園には、ソフトボール部はあっても野球部はない。

 つまり、この城はガドリエル学園がベースになって誕生したのではないのか?



 百合香が疑問を持つ間もなく、試合は始まった。いちおう、審判役はいるらしい。


 実はこの時点ですでに、百合香はひとつの大ピンチを迎えていた。

「投げ方、スリングショットしか知らないんだけど」

 ブツブツ言いながら、とりあえず様子見に第一球を投げる。バッターは中途半端にスイングし、なんとか無難に1ストライクを取った。

「こんなもんか」

 どうも、バスケットで慣れた身に、ソフトボールのリズム感は慣れない。


 ストライク。ストライク。三振、バッターアウト。


 なんだか気の抜ける出だしである。しかし、ここで「なんだ、意外に行けるじゃん」と油断する百合香ではない。種目は違えど、スポーツ選手である。油断が命取りになる事は知っていた。


 その予感は的中した。相手の2番打者が予想外に強打者で、レフトの上手いポイントに見事に流し打ちを決められてしまい、結局二塁への出塁を許してしまった。

「あちゃー」

 百合香は天を仰ぐ。だから私にピッチングなんて無理なんだ、と頭の中でぼやいた。ウインドミルという投法は知っているが、投げ方は知らない。

 そう思っていると、まったく意外な人物が百合香に声をかけた。

『百合香。わたし、その投げ方知ってるよ。いま、頭の中で思い浮かべたでしょ』

「は!?」

 突然の瑠魅香の申し出に、百合香はマウンドのど真ん中で一人で驚いた。

「たっ…タイム!」


 百合香は、瑠魅香に確認する。

「あんた、この場面で冗談言ってるんじゃないでしょうね」

『冗談なんて言ってない。あたし、学校の窓から、今やってるこのゲームの練習見てたもん。ルールとかは全然知らないけど、投げたり打ったりの動作だけは、面白くてよく見てた』

「そうなの!?」

 つまり、ガドリエル学園ソフトボール部の練習風景を、瑠魅香は見ていたということだ。

「じゃっ、じゃあ…」

『あー、待って。見てたからって、投げられるわけじゃないよ。百合香みたいに、肉体を自在に操る事は私にはできない』

 わかってはいた事だが、百合香は肩を落とす。しかし、と瑠魅香は言った。

『だからさ。私の見てた投げる動きを、あなたに伝える。感覚として。あなたは、その感覚のままに動けばいい』

「そ…そんなこと、出来るの?」

『やってみようよ』

 

 瑠魅香の何の根拠もない提案を信じて、百合香は再びマウンドに立つ。相手の3番バッターも、似たような個体だった。彼らどうしは区別がついているのだろうか。

 百合香が氷のボールを構えると、頭の中で瑠魅香が言った。

『私が、学校で観察してたピッチャーの動きのイメージを送る。それに倣って、投げて』

「…いいわ。やって」

『いくよ』

 百合香の感覚に、瑠魅香の感覚が重ねられる。二人の間に、垣根がなくなった。

 その時感じた感覚に、百合香は目を瞠った。瑠魅香の思考が、自分の手に取るように伝わってくるのだ。いま、自分はソフトボール部員の動きを、細胞のレベルで理解していた。

「これ…」

『いける?』

「やってみる!」

 

 百合香は、まるでそれを以前から知っていたかのように、しなやかに右腕を一回転させてボールを放った。さっきの素人投球とは、まるで違う。無理のない自然体なフォームから、驚くほどの速球が繰り出され、バッターのスイングを完全に制したのだった。


「ストラィーク!!」


 氷の審判の声が響く。百合香の突然変わった投球に、ベンチのサーベラスが立ち上がって驚いていた。


「すごいよ、瑠魅香!いける!」

『へへー、お役に立てた?』

「いけるいける!よーし、この調子で1回の表は片付けてしまおう」


 百合香は力強く微笑んだ。

 油断大敵、という言葉を百合香が忘れていた場面があったとすれば、この時であった。

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