本編 #02 - 「黄昏の影」
「時に狩人様…なぜ私がこの里に足を運ぶことになったか、お話ししてもよろしいでしょうか?」
藁のマットの上で正座しながら、スジャータが言った。アタルヴァは動物の毛皮で作ったクッションに寝転びラゴ族の青年と少女を抱き寄せながら、話半分とばかりに聞いていた。彼女とその僕らは、ケシの花で作った葉巻を燻らせていた。花の芳香とミントの様な鼻の奥を突く香りが藁葺きの寝室に漂っている。
「ああ、話してみろ」
「今、ペルズで混乱で広まっております。人々はもはやリグの教えを信じず、ペルズの王に対する畏敬も忠誠もありません」
「あのオジ様がポックリ逝ったからだろ?良いザマだな」
アタルヴァにはペルズの国王に対する忠誠心は毛頭なかった。そうでもなければ戦士の特権とともに国を捨てることはなかっただろう。
「私がまだ戦士だった頃、あいつはもう手足をプルプル震わせてたよ。いつ死んでもおかしくない状態だったがね」
「ペルズの王はリグへと還ったのではありません。処刑されたのです」
「何?」
アタルヴァは舐め切った態度を改め、背筋を立てて趺坐の姿勢をとった。彼女がハベらせている狩人たちは彼女の腿を枕にしながら話を聞いた。
「人々が国王への不満を募らせたのはあの王墓の建設…」
巨大な王墓の建設… それは数年前から始まりペルズが国を挙げて行っていた一大事業だ。王墓は空高く積み上がり、そのシルエットは白き悪魔の里からも水平線を超えて伺うことができた。それが完成すればリグスの神聖皇帝が住まうアヌ神聖宮をも上回る巨大建築となるはずだった。
「王墓の建設に携わる庶民と奴隷、そして大量の石… それらがあれば荒地に道を引き、田園を耕し、砂漠に水を敷くこともできたはずです」
「フッ… オジ様に助走をつけて斬りかかるヤツが現れてもおかしくなかったワケだ」
黄昏に影を落とす巨大な三角形。それは空前絶後の搾取と階級差別の象徴でもあるのだ。
「やがて王墓の建設を是とせず、民衆を率いて王に叛しものが現れました。彼の名はラザ、遊牧民の末裔です」
「羊飼いが王を殺すとは、 禁書物でもなかなかお目に描かれない展開だな。で、その話の結論は何だ?『真なる王・ラザ様を讃えて新たな神聖皇帝としましょう』とでも?」
アタルヴァは落ち着きを取り戻してそう言った。ペルズの国王、その娘と子供も見知った顔ではあった。だが今となっては古い宗教に縛られている“文明社会”の住民に過ぎない。
「それとも『今こそ戦士の務めを果たし、にっくき朝敵を討ち滅しましょう』とでも?」
ラザという男には若干の興味が湧いた。大した奴だ。だが易姓革命を試みる志高き若者の末路は歴史が証明している。所詮は毒蛇と毒蛇の戦い、ウサギにとってはどちらも蛇だ。
「狩人様… 私は求道者様より予言をいただきました。その予言の内容はこうですー」
大地で悪政が施されし時
草原の民が血塗られし時
手の無き奴隷の子がリグに還りし時
王の末裔が蛇と成りし時
死の穢れ払う魂の狩人が生まれし時
命の輝きが闇より目を覚まし、世界の命運が死の悪魔に託されるー
「見事な詩だな、求道者サマには吟遊詩人の才覚がある。で、その意味するところは何ぞや?」
「遊牧民の子、ラザは民衆の希望の光であると共に死の影でもあります。血塗られし草原の民、それは光と影… 彼の落とす光と影は星をも飲み込むでしょう」
なるほど、この予言というのはリグの教えが効力を失い唯物論者が跋扈することを詩的に表現している。スジャータの師とやらは時代の変化を敏感に感じ取ったのだろう。求道というのはあながちいい加減なペテンでもないらしい。
「彼の光では救われぬ人々を救いたいのです。それこそが求道者様の説うた『命の輝き』です」
「ぷっ」
アタルヴァは思わず吹き出した。救いたい、助けたい、命は大切。やはりこの小娘、わかっていないな。そのような偽善こそがペルズの狂王や易姓革命に燃える青年を生み出すというのに。
「で、救うためにやるべきことが白き悪魔への布教か?」
「はい」
「私に何をしろと?」
「ペルズからやがて戦禍に追われた人々が移動してくるでしょう。彼らはあなた方の嫌うリグの信徒です。しかし彼らにも、大地の恵みを分け与えていただきたいのです」
「嫌だね」
アタルヴァは無下に断った。狩りとは命の凌ぎ合いであり、獲物や他者に慈悲をかける暇はない。ましてや貴重な肉や収穫物を居付きもしないよそものに分け与えるなど、もっての外だ。
「やりたいなら自分の所有物で好きにやるが良い。色々あるだろう?お前が持ち込んだ食料に水、玄米や野菜の種、それから上着に下着。難民どもに全部分け与えてやれ」
「…そのようにします。しかしそれでは足りないでしょう。皆さまから荒野で命を殖やし、生き抜く術を学ばせていただきます」
「その対価に、我々は求道者様のスバラシイ教えを学べるってワケか?いいだろう」
アタルヴァは感心していた。長らく変化の起きなかったリグの教えの世界が大きく変わろうとしている。そこにリグでも唯物論でもない奇矯な思想を引っさげた少女が現れた。これこそ彼女が望んでいた動きのある世界だ。
黄昏の時が終わり、世界が夜に包まれようとしている。狩人達にも彼らなりの生活と習慣がある。日没は彼らの「儀式」の合図だ。アタルヴァは自分の腿の上に寝そべっている狩人の頭を撫でながら、号令をかけた。
「キヴィー、シーシャ、時間だぞ。みんな広場に集まれ」
「狩人様、これから何を?」
「狩人のヒミツの儀式さ。どうせならお前に説教する時間もやるよ」
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