ハナマル

千桐加蓮

第1話 春の肖像画

 俺が通っている高校で、美少女として名が上がる相馬恵菜あいばえなと仲良くなったのは、高校一年の春だった。

 同じあ行の苗字で、彼女が前で、俺が後ろの席に座っていた。


 彼女が振り返って俺に話しかけてきた時には驚いた。

 細身ではあるが、健康的な体。白い肌。ぱっちりとした二重の目で、笑顔が可愛い。長い手足に女性の身長ではやや高めの背丈。

 俺は、それらを知っている。自分とは一生関わらないであろう美貌を持つクラスメイトに「仲良くしてね」と、花の香りがする自分の髪を触りながらそう言ってきた。

 正直、そんなことを言わなくても、相馬は周りに興味を持って集まってくる人たちなんかが、たくさん来ると分かっていたようなものだし、半分交流関係を広めるための策だと思っていた。

 その後、彼女は案の定一軍の女子に目をつけられて、隣を歩くようになった。一軍の女子なんかより、相馬の方が、気遣いも態度も良い。一軍女子が悪いというわけではないとは思うが、何故だか勝手にイライラしはじめていた。

 

 数ヶ月が経ち、文化祭準備期間のことだった。お化け屋敷をやるのだが、内装係だった俺に買い出し係の相馬が、俺の連絡先を追加してきたのだ。

 何か買うものがあるかのメッセージを送った後、ゆるふわなうさぎのスタンプが送られてきた。

 女性らしい文脈だなと、自分の部屋のベットに寝転がりながら、そのメールをしばらく眺めた。

 

 それから、学校で話すことはあまりなかったが、メールでの連絡はしていた。毎日のように顔を合わせるのに、会って会話をするのではなく、文でのやり取りだけでも彼女と関わりを持てるのが嬉しかった。

 放課後は美術部に所属しているというのもあり、部室で作品を仕上げているか、画塾に通うかのどちらかであったため、俺は俺なりに忙しい毎日を過ごしていた。

 高校二年生になると、八クラスもあるというのに、また相馬と同じクラスになった。始業式から、しばらくは相馬が俺の前の席にいる。

 活発な性格ではないが、話しやすいのもあって、高校一年生の時より会って話すことが多かったと思う。

 主に、彼女が俺について質問をするか、学校での話がメインである。


 桜が舞い散るのを眺めていると、彼女が俺の机を軽く叩いてきた。

「何?」

 鎖骨らへんだった髪の長さが、一年で伸ばして整えたのか胸下で整えられている。

「将来、どうするの?」

 通っている高校は、三学期制でゴールデンウィーク明けに中間テストがある。その後に一度、二者面談が行われるのだ。

「相馬は、成績悪くないんだから、どこにだって行けるよ」

阿尾あおだってそうじゃん」

 俺と相馬は、どんぐりの背比べのように、どちらも同じくらいの成績なのだ。違うところを挙げるとするなら、俺の方が美術の点が高く、彼女の方が英語の点が高い。

「俺はもう、美大」

「もう、ってさぁ。なんか、諦めたの?」

 休み時間なのもあり、クラスメイトが喋る声や、廊下の声と混ざり合って、彼女の声が俺の耳に聴こえる。

「んー、子供らしさとか?」

「何で疑問形なの」

 彼女はクスッと笑って、俺の机をまた軽く叩いた。その反動で、相馬の近くに置いてあった俺の消しゴムとシャーペンが、ガタンと音をたてた。

「阿尾ってちょっと融通が効かないよね」

「相馬は、知識があるんだから、それを活かした職業を探せばいいじゃん」

「私の絵は壊滅的ではあるけど、芸術性はあるよね。だから、阿尾の整ってる感じの絵好きなんだよね。構図にこだわったりとか、テクニカルなところ」

 春風が廊下側の窓から空いているドアから入ってくるのか、教卓の近くの棚に置いてある、プリントが何枚か床に落ちた。

 俺は、曖昧に返事をしてプリントを拾った。

「次の授業が終わった後にある美術ね、相手のことを描くんだって。席順で、縦にペア作るから阿尾は、私とペアだね」

「ふーん」

拾ったプリントをトントンと棚の上でまとめる。相馬に興味がないわけではない。

 ただ、今は、自分の決められているような将来に反抗するべきか迷っているのだ。余裕があるわけがない。

 春風は、頬を撫でて、俺の短髪の髪を靡かせた。


 確かに、相馬が言った通りのペア構成で相手の肖像画を、描くことになった。

 写真がなかった時代。上流階級の人達の肖像画が多く残る中、市民が戦地に行く恋人を忘れないようにと肖像画を描かせたという記述がされた資料を少し前に読んだことがある。

 そうやって、文化が紡がれていくのだなと、密かに感動していた。

 俺の祖母の一番上の兄が戦地に行くとなった時も、肖像画を頼んで描いてもらったらしい。

 この授業を含めて、色塗りをして提出するまで八コマの授業があるという説明を受けて、相馬と向き合う形で席に座った。

「この教室に座っているペアの子でも、動物を持っているペアの子を描いてもいい。なにをしていてもいいです。ただ、相手が嫌がるようなことをしている絵はやめましょうねー。正面でも横顔でも構いません。でも、後ろ姿はやめてほしいかな」

女性講師の美術の先生がいくつか付け加えて言う。

「見たままを描かなきゃいけないんですか? ピカソみたいなのはダメですか?」

「相手が許可すれば、それはそれでいいアイデアだと思いますよ」

俺の隣の席に座っている一軍女子の一人が質問をして、先生はそれに答える。

「阿尾は、何をしてる私を描いてくれるの?」

「リクエストに応じるよ、何してる相馬を描けばいい?」

「美大生になるんだったら、自分でモチーフ見て描くやつとかもやるんじゃないの? 画塾にも通わせてもらってるんでしょ?」

「半強制みたいなもんだけどね」

「意外、好きで通ってるんだと思ってた」

キャンパスに向かって相馬は、鉛筆を動かしていった。俺はそんな相馬を、ずっと見ている。

「じゃ、印象残るやつ描いてよ」

「難しいリクエストだな」

「あえてだよ」

 そう言ってキャンパス越しにウィンクする相馬を見て内側に唇を噛んだ。

「話しながら描こ! リラックスリラックス!」

相馬は小さな花が咲いたような笑みを浮かべた。

「美大、行きたくないの?」

俺は、言葉を選んだ。鉛筆を握るは膝の上で止まる。しばらくの間は、会話をしながら作品を作っていく生徒の話し声と美術の先生の声が遠くから聞こえてくる。自分だけが、この教室に取り残されているような、どうでもいいような扱いを受けた時のような気持ちになる。

 相馬は、興味を持って訊いてくれているのに、俺は自分の思っていることを素直に言えずにいる。

「認めてもらえないかもしれないから? 共感してもらえないかもしれないから、言えないの?」

 少し、咲いたばかりの花が、全てを理解しきったように、たくましく咲いているような感覚。相馬の今の顔はそれに切ない表情がプラスされている。

「絵を描くことが嫌いなの?」

「……わからない」

ようやく発することができた声は、ポタポタと蛇口から出てくる水のように弱々しい。

「自分を見てほしいから、絵を描くのをやめようって思ってたり?」

「そう、かもしれない。でも、本当にわからないんだよ。突然、絵を描くと自分が苛立っていると思う時がある。多分、自分の環境に苛立つんだと思う」

「コネがあるのに?」

「それで成り立っているような気がして嫌なんだよ」

「じゃあ、内面に怒りを溜めている阿尾の肖像画を描くね」

「……どうぞご自由に」

「阿尾も、決めてね。授業の三分の一は過ぎたよ」

俺は時計を見て、もう一度相馬を見た。

 何かか思い浮かぶわけでもないのに。

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