第24話

 約四時間後、時刻は午後十三時半になろうとしている。勉強にひとくぎりをつけて、ふたりは昼食を取ることにした。

 

 直は、持参した弁当をダイニングテーブルの上に置く。頭脳疲労もどこふく風、にやにや嬉しそうである。不気味に微笑む直と目が合った真は、「君、弁当が好きだよね」と視線を逸らした。


「真から開けてみて」 

 

 真は、前回のようにとつおいつせずに蓋を開けた。そして彼の視線は小刻みに動いた。

「ねぇ、毎回こんなてのこんだもの作るの?」

「てがこんでるって。お弁当作りは時間との勝負だよ」

「卵焼きが、なんか赤いんだけど」

「それ紅生姜入りなの」

「卵焼きに、紅生姜?」

「うそ、食べたことないの!?」

「ない」 

「えー!!」

 直に激しく推されて、真は朱色の模様が美しい卵焼きを食した。すぐに彼は、どうしようもないという顔で破顔する。


「直は、どこで料理を覚えたの?」

「小学生のときかな。お母さんがちょっと大きい病気になって。手術で入院したんだけどね。そのあいだのご飯を自分で作ることになって」

 突拍子もなくでた母親の話に、真の表情が真顔になった。

「お母さんが入院してるあいだに料理を覚えて、退院したらびっくりさせようと思ったの。それがきっかけで、料理するようになったんだよね」

「それは、さみしかっただろう」 

 真は、声を低くしてつぶやいた。直は首を横にふった。

「お母さんは元気になって帰ってきた。私は、料理ができるようになった。なにも不幸なことなんてない」

「そうか」 

 うん、とうなずいた直は「いただきます」といって、同じ紅生姜の卵焼きを食べた。

 

 それにしても、直はいつも気持ちのよい食べっぷり。しかも、むちゃぐいな印象とか行儀の悪さがない。現に真は「直は、食べ方がきれいだ」と指摘した。彼女は、耳の先が赤くなって恥ずかしんだ。

  

 弁当を完食したあと、「真は料理するの?」と直は対話を持ちかけた。

「するよ」

「ほんとにっ、なにをっ、なにを作るの?」

「卵かけごはん」といって、キッチンに置かれてある炊飯器を指差した。

「それ、料理っていわない」

「立派な和食だよ。かつ、食糧自給率に貢献してる。米と鶏卵は自給率ほぼ一〇〇パーセントだよ」と理屈をこねる。

「おなかこわさないでね。私、生卵であたったことあるよ」

「胃が丈夫だから平気」

「そうなの。栄養、ちゃんと摂ってる?」

 お世辞にも健康的とはよべない真の細い体が、直は以前から気がかりだった。

「サプリ飲んでる」

「サプリメントで補うのは、悪いことじゃないけど、食事の代替にはならないってお母さんがいってた」

「そういう仕事してるの?」

「薬剤師だよ」

 真は、そうかとつぶやいて「安心して。ちゃんと食べてるから。でなきゃ脳が働かないだろう」と教えてくれた。

 不安のやわらいだ直は、コップの水を一口飲んだ。

「直のほうこそ」 

 彼女は、まばたきをして首をかしげた。

「え? あぁ。私は、家族みんなそう。親の遺伝と胃下垂なんだよ」

「なるほど」

「真は納得してくれるんだね。カウンセラーの田中先生は、過食嘔吐してるんじゃないかって思ったみたい」

「過食嘔吐してる人は、外見やふるまいでわかる。僕から見て、直は、そうじゃないって思ってたけど」

「だけど……私のこと、やっぱり、やせてると思う?」

「あぁ、思う」 

 真はためらわず即答した。直はうつむく。彼は、「ごめん。気にさわった?」と訊く。

 直は頭を左右にふって否定すると、中学時代について語り始めた。

 

「走るのが好きだったから中学一年のとき、陸上部にはいった。入部してすぐ、『細いね。うらやましい』って先輩たちにいわれたの」 

 直は言いにくそうに黙る。真は続きを待った。

「それからすぐに『痩せすぎて気持ちわるい』に変わった。先輩たちの前を横切ると、足をひっかけられるようになって。ユニフォーム着ると『みすぼらしいから、大会までに五キロ太れ。できなかったらクビにする』とかいわれたりね」

「中学生でそんな稚拙なことやるのか」

「……はじめて出場した大会のお昼休みだった。先輩たちに連れていかれて……おさえられて……口の中に菓子パン押しこまれた……」

「まてまて。完全にいじめじゃないか」

「うーん。人間関係めんどくさくなって。一年で退部しちゃった」

「だれにも相談できなかったの?」

「友達には、少し話した。そしたら、ケンカになった」

「どうして」

「友達は、太ってることが理由でいじめられたことがあったんだって。その苦しみにくらべたら、私はずっと恵まれてるって」

「そんなの価値観と劣等感の押しつけだね」

「現実は、共感してもらえなかったら手を差しのべてくれるひともいない。そうわかった。だからあのときは、助けを求めるのもあきらめたんだ」

「でも性的アイデンティティのことでは、あきらめなかったよね。研究室にしつこく通ってる」

「それは……丸汐研の雰囲気が好きだからだよ。路頭に迷ってた私に道をしめしてくれたよ。だからこうして頑張って勉強してる」

「あそう。でもいまのままじゃ確実に落ちるよ」 

 さらっと、むごい現実を突きつけられた直の首から力が抜け落ちたのを見て、真は肩で笑った。

「大丈夫。まだ時間は十分ある」

 真は控えめにはげました。彼からそういわれると、直は手に余る困難も乗り越えることができるように思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る