第12章 悪夢

第37話 悪夢Ⅰ

 瞼を開ける。視界は薄暗い。見覚えのある緑色の布団に、味気無い白色の天井、夢の世界から帰ってきたのだ。窓のある方を向いてみると、カーテンが閉められていた。だから、日差しが入ってこないのだろう。

 まるで、何年間も此処を離れていたかのようだ。

 ベッドに横たわったまま、大きく息を吐いた。

 過去を思い出して、一つだけ分かった事がある。私が海を嫌う理由、涙の色だと思ってしまう理由だ。

 カノンが最期に見たあの澄んだ青色――リエルの涙で濡れた瞳の色が、海の色とそっくりだったから。

 知らず知らずのうちに、カノンの想いが伝わってきていたのかもしれない。

 ゆらりと起き上がり、スリッパを履く。そのまま窓辺へと歩み寄り、カーテンを勢い良くスライドさせる。外は雲一つない青空が広がるばかりだ。

 頭痛がする訳でもない。他に身体に不調がある訳でもない。それなのに、こんなにも思考がはっきりとしないのは何故だろう。

 アイリスへの憎しみ、リエルへの愛情、ヴィクトへの友情――私はそれを受け止め、どう接すれば良いのだろう。

 今世で私に親しく接してくれた三人と、百年前の三人、それぞれが混ざり合い、私の中で渦を巻いている。どれが私の気持ちで、どれがカノンの気持ちなのか判断が付かない。

 ふと、窓に映る自分の姿に目を遣ってみる。――瞳の色が魔導石と同じ緑色だ。

 こうなる事を全く望んでいなかったと言えば嘘になる。魔法が使えるようになったとはいえ、複雑な心境だ。

 ぼんやりとしながら窓を開ける。穏やかで涼しい風が部屋の中へと入ってきた。それとは逆に、私の心は晴れ晴れとはしない

 溜め息を吐き、振り返る。その拍子に、脇に置いてあったスツールの上の鏡に、手をぶつけてしまった。


「痛っ……」


 左手を庇いながら、床に転がった鏡に手を伸ばす。

 そして、見てしまった。

 鏡に映る自分の胸元を。そんな事があってはいけないのに。カノンだって否定したのに。だからと言って、現実は変わらない。『それ』から目が離せなくなってしまった。


「嫌あぁっ!」


 弾かれたように、鏡を前方へと跳ね退ける。それはテーブルの脚にぶつかり、破片を四方に散らす。

 足に力が入らず、その場にへたり込んでしまった。


「ミユ!?」


 元から部屋の前に居たのか、三人の声が近くで聞こえる。

 駄目だ。これを見られる訳にはいかない。ドアが開かれると同時に、ケーブルクロスを掴んだ。力任せに引くと、胸元に手繰り寄せた。


「ミユ! 何があった!?」


 三人は険しい顔で部屋を見回す。それをただ呆然と見ていた。


「ミユ?」


 部屋に異変が無いのが分かると、三人の肩から力が抜けていくのが分かった。

 現実を受け入れられない。未来が怖い。もう、何もかも放り投げて逃げ出したい。

 何度か首を横に振る。


「鏡、割っただけか? あんま驚かせんなよ」


 アレクはほっとしたように小さく息を吐く。フレアも安堵の笑みを浮かべるばかりだ。

 ところが、クラウは違った。はっと息を呑み、顔を強張らせる。一歩、また一歩と此方に歩を進める。それがどうしようもなく怖い。胸元で重ねる手が震える。


「ミユ、その手を下ろしてみて?」


 そんな事が出来る筈がない。又、首を横に振る。視線も落とす。


「頼むから。じゃないと……」


 ぎゅっと瞼を瞑る。


「ごめん」


「えっ?」


 突然の謝罪に、驚いて目を開けてしまった。クラウの両手が近付いてくる。

 一瞬で両手を掴まれてしまった。そのまま私の手を引き剥がしにかかる。


「やめて!」


 叫んだところで、既に手は空を掴んでいた。テーブルクロスはたわんで膝の上に落ちる。


「嘘……だ……」


 クラウの目が見開かれ、膝ががくりと落ちる。


「クラウ? ミユ?」


 状況を理解していないであろうアレクとフレアも、恐る恐る近付いてくるのが分かった。

 私の胸元へと視線を落とした瞬間、フレアの顔は青褪める。


「嫌ぁっ!」


「……フレア!」


 逃げ出すように部屋を飛び出すフレアに、彼女を追うアレク――映画でも見るような感覚で、その光景を眺めていた。

 そう、カノンが受けた呪いが、私にも引き継がれたらしい。その証拠に、胸にはカノンと同じ痣が浮かび上がっていたのだ。

 私もカノンと同じ運命を辿るのだろうか。そんなのは嫌だ。


「うわぁぁ~っ!」


 涙が止まらない。止めようとも思わない。恥ずかしいとか、今はそんなのは考えられない。

身体を抱き寄せるクラウに、ただただ縋る。


「怖い……! 私も、殺されちゃうのかな……。やだぁっ……」


「あんな目には遭わせないから! 絶対……!」


 クラウの声も震えている。もしかすると、一緒に泣いていたのかもしれない。そして身体も、お互いに震えていた。


「もう、失うのは……嫌なんだ……」


 耳元で囁かれた言葉が、耳にこびり付いて離れなかった。

 どれ程、痛かっただろう。苦しかっただろう。今の私はクラウの気持ちに気付いてあげる心の余裕も、寄り添ってあげる余裕も備わっていない。

 泣き疲れて頭がぼんやりとしてしまうまで、ただひたすら涙を流していた。 

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