五話 暗転
◇
誰かが、いる。
走って来たから霊の類ではないのは分かるが、だとしたら生身の人間様がこんなひと気のない林の奥に何の用だろうか。
その人物に見つめられたまま、楓は困り果てていた。
蛇に睨まれた楓は、ただただ立ち竦むしかなかった。
今しがた怨霊と成り果てた女性の霊体を成仏させる事に成功し、ちょうど一安心していた所。
楓の想定よりも事はスムーズに運んでくれ、難なくそれをこなせた訳であるが。
対人関係となるとまた、別の形の難易度がやってくるというもの。
酷く高い壁が見える様で、楓は目をパチパチさせてその形を歪める。
だがよく考えてみたら今、楓は霊装状態だ。
ならば一般人に自分の姿が見える筈もなく、その考えに行き着いた途端にほっと胸を撫でおろす。
でも、何故だろうか。
先程からずっと、一ミリもブレる事なく目が合っているように思えるのは。
随分と顔立ちの整った綺麗な女性、そんな印象を受ける。
特に瞳の紫色が吸い込まれそうになる程、美しく感じた。
歳は近いような気もするが。
すると前置きもなく向こうから声が掛かる。
「……あんた、何者?」
(ああ、やっぱり……)
と楓は相手が見える人だと認識させられてしまった。
話し掛けられて無視できる程、楓の神経は豪胆ではない。
ならば返答しなければならないのだが、何者かと聞かれても何と答えればいいのやら。
楓は脳をフル回転させて答えを導き出すよう努める。
キュルキュルキュル……!と頭から音がしてきそうなほど必死になって考え込む。
そこで、ついに名案が浮かんだ。
楓は表情を明らめて、その思いついたナイスな返答をする。
「……は、初めまして。私は、夜御坂楓です。今日はいい天気ですね」
……。
だが相手からは何の反応もなかった。
おかしい、何かがおかしい。
初めて会う人に対しての模範的な挨拶をしたというのに、反応がないなんてイレギュラーが起こり得るのだろうか。
何かを間違えた?暗めの林にいるから効果を発揮しなかった?
鬱蒼とした空気感に呑まれたのか、楓は少し泣きそうな気分になり始めていた。
けれどまたしても相手側から沈黙を破ってくれる。
「私は白百合芽唯。でも天気の話なんてどうでもいい。夜御坂って何処の管轄の家系?聞いた事なかったけど」
そうか、どうでもいい話だったのか。
確かに言うまでもなく天気はいい、見れば誰でも分かる。
模範とは一体何の為にあるのだろうか、楓は少しショックを受けていた。
だがそんな事よりも分からないワードが飛んできた事が気掛かりである。
管轄とか家系とか、聞いた事がないとはどういう事だろうか。
今初めて名乗ったのだから知らなくて当たり前ではないのだろうか、と。
そろそろ脳のフル回転が稼働時間の限界に達する。
楓は辺り障りないよう努め、頑張って返答する事にした。
「えっと……。住所は〇〇町の〇―〇〇です。町内会の管轄でしょうか?今、従兄の家にお世話になってまして」
持てる知識を最大限に発揮した精一杯の回答がこれだった。
そんなプライバシーを代償にした自己報告が、果たして吉と出るか凶と出るか。
固唾を呑んで相手の出方を伺うのであった。
◇
夜御坂楓、聞いた事がない名前だ。
芽唯はそう思いいくつかある家系の名前を浮かび上げるのだが、やはりどれも合致しない。
そもそも四世家の一角である白百合の名前を出してもピンと来ていない様子だった、それもおかしな話である。
魂鎮メの人間であれば知らない筈もなく、だとすれば考えられるのはそもそも家系の人間ではない。
野良の除霊師?
それにしても我々のやり方と酷似し過ぎているし、霊装なんて血筋の人間にしか出来ない技だ。
ならば少なくとも血は引いている、知識がないだけ。
誰かの隠し子か、或いは意図的に魂鎮メの存在を隠されているかだが。
何にせよ聞いてみなければ分からない。
と思ったが故の質問だったのだが、返ってきたのは町内会についてだった。
想定を遥かに超えた回答、いや珍回答。
当の本人は頭上にクエスチョンマークが浮かべられており、こちらの意図をまるで理解していないようだ。
自分が霊装状態の姿を見られている時点で、普通はそこ関連だと思わないだろうか。
芽唯は珍獣に出くわしたような気分になった。
「……はぁ。ま、いいや。ちょっと場所を変えてから話しましょ。この後って時間ある?」
「は、はい。時間は余る程ありますが」
「じゃ、ついてきて」
芽唯はそう言って元来た道を引き返す。
それに倣って楓もまた霊装を解除して素直について来た。
自分から発案した手前あれだが、普通見ず知らずの人間に警戒心もなくのこのことついて来るか?それにさっき住所まで言ってなかったか?
人を疑う事を知らない騙されやすいタイプだなと芽唯は思った。
海沿いの道に出ると、いくつかの飲食店が並ぶ。
その中でも手短で済むファミレスを選び、そこへと楓を誘導する。
楓は両手でスクーターを押しながらついて来ており、ファミレスに入る事を伝えると衝撃を受けた様な表情を見せた。
何だろう、嫌いな系列だったのか。
或いは財布を家に忘れたか。
まあ金に全くと言っていい程困る事がない芽唯にとって、一食奢るくらい何てこともないので構わず中に入る。
すると駐車場にスクーターを停めた楓が慌てた様子で駆け寄って来た。
「あの……、本当に入ってもいいのでしょうか?私、場違いじゃありませんか……?」
ファミレスに場違いもクソもあるか。
芽唯は内心でツッコみを入れるも、直接言う事は避けた。
ツッコミ待ちのボケなどに反応してたまるものか。
けれど如何せんガチな反応にも思えるから、珍獣とは厄介なものである。
芸能界ではこんなキャラは珍しくもない。
だが楓からは装飾品元い着飾ったような違和感さを感じられないから、逆に反応に困るというもの。
だから芽唯は簡潔かつ的確に返す。
「私たちは客、お金を払うから待遇を得られる。問題ある?」
「いえ、ないです……」
そう渋々納得した楓を引き連れて店員に案内される。
海が良く見える窓際の席に着き、芽唯はメニューを手に取ってテーブルの上に開いた。
至って普通のファミレスは、至って普通の店内だが賑わいを見せている。
少し騒がしい気もするが、これならこれで誰かに話が聞こえてしまう事もないだろう。
ここに来る前にマネージャーには体調不良と嘘をついて今日の仕事をキャンセルしたので、時間は十分にある。
電話越しの声からすると怒っているというよりは心配している感じであった為、大したネックにはならない。
基本仕事を疎かにするタイプではない芽唯は、メンバーには好かれなくとも大人たちには信用されている。
寧ろこういう時、自分のスタンスが強みになると実感していた。
「わあ!凄い、沢山のお料理があるんですね!」
(……おいおい、嘘でしょ?)
連れがまるで初めて外食に来たような反応を示した。
目を輝かせてテーブルに広げられている品書きを、1ページ1ページ食い入るように見入っている。
それはメニューだぞ、カタログじゃないからな。
と芽唯は思わず内心でそう突っ込んだ。
珍獣はどうやら、絶滅危惧種のようだった。
「……はぁ。早く選びなさいよ、混んでるから時間掛かるわよ?」
「あ、すみません。えっと、どれにしようかな……」
再び視線を落として凝視する楓に、芽唯は頬杖を突きながら苦笑いを浮かべる。
結局は一番値段のお手頃な日替わりランチに落ち着いたようだ。
芽唯はまじまじと楓を見つめる。
向かい合う形で座っているから、尚且つ明るい場所に出ているから気づいた事がある。
楓の印象は、何処か自身の母親を連想させるのだ。
芽唯が幼い頃に消息を絶った白百合家先代当主、
だが芽唯にとって母親の存在は厄介なものでしかない。
そのせいで自分がどれだけのプレッシャーを与えられ続けてきたか。
まあそんな事はさておき、今は本題に入る為にさっさと注文を済ませて話を進める。
「それで、夜御坂さんだっけ?あなたはどうして霊装が出来るの?誰に教わったの?」
会話に慣れて来たのか、少しの思案顔を見せて楓はすぐに返してくる。
「はい、従兄の勇太さんに教わりました。霊感体質に悩まされていたので、助かってます」
「勇太?もしかして、藤堂勇太?」
「え、はい。そうですけど……」
なるほど、従兄という事は藤堂家の血筋だったか。
保護者が勇太であるならば、芽唯からの口出しも出来ない。
(ていうか藤堂さん、ファミレスくらい連れて来てあげなさいよ)
そう芽唯は勇太宛てに文句の文面を送信した、届いたかどうかは知らんが。
「勇太さんとお知合いだったんですか?」
「ええ、同業者よ。ま、あなたにはその事、教えてないみたいだけどね」
本当に表情を良く変える。
何か思いついたような顔をしたかと思えば、すぐに思案顔に戻るを繰り返している。
何だろうか、この不思議な感覚は。
天性の何かを楓に感じるのだが、芽唯にはその正体が分からなかった。
と今度は楓から話を振って来る。
「あの、私からも訊きたい事があるのですが」
「なに?」
芽唯は楓の言葉を待つ。
何やら思案顔を浮かべたまま沈黙が続いて、余程躊躇っているのが分かる。
ここでふと、芽唯は何かを感じ取った。
(……ん?あれ、なんだろこの感覚。夜御坂楓の背後に、……何かが、いる?)
芽唯は気付いてしまう。
楓に憑いている、『影』に。
怨霊とも言い難いその何かは、ハッキリとは見えない。
精々薄っすら感じるくらいの微弱な霊力反応。
だがそれが返って不気味さを醸し出しているようで。
急な焦燥感が芽唯を駆り立て、思わず身体が強張り顔が引きつる。
(え、何なのコレ……?白百合家当主のこの私が、怯えている……?)
思わず怖いというワードが出てしまう程、おどろおどろしい未知の何か。
藤堂勇太はこれを隠す為に、夜御坂楓の存在を明かさなかったのだろうか。
何もかもが、異質であった。
「白百合さん、もし知っているのであれば教えて貰いたいのですが——」
そんな芽唯の緊張感を察しているのかそうでないのか、楓は構わずに問い掛けを続ける。
「“
そう訊いてきた楓の表情は笑顔そのものであり、芽唯にはそれが随分と歪なものに見えた——。
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