二話 霊装

新設のカーショップのガレージを開ける。

真新しいオイルの匂いにも随分と鼻が慣れたものだと勇太は思う。

むしろこれを嗅がないと一日が始まらないとすら感じていた、別に中毒ではないが。

町中の住宅街にひっそりと設けられた店舗は、特段忙しい訳でもない。

知名度もまだまだないし、近隣の住民がオイル交換やらタイヤ交換に来るのがやっとのところだ。

もちろん車の販売がメイン事業となる訳だが、早々に売れる物じゃない上に勇太の店の車種はワンランク上。

そこそこの高級住宅街という立地を考えての判断だったがそう甘くないようで、月に二台ほど売れればまだマシな方。

まあ勇太の収入の大半は、お祓い料の方なのだが。


開店の準備をしながら勇太は朝の一連のやり取りを振り返る。

楓はいつも美味しそうに食べてくれるし、随分と顔色も肉付きも良くなってきた。

元々スレンダー体型なのか最初は不安だったが、痩せ細っていた三年前とは雰囲気も外見も大きく変わってくれた。

それは心嬉しい事、なのだが。

その代わりと言うのもおかしな表現になるのだが。

楓には、


それは三年前のあの病院の手術室でもはっきりと気付いた事だ。

感じた事のない程の霊気、或いは邪気か。

勇太は思う。

楓が息を吹き返してくれたのは間違いなく、その何かのせいであると。

けれどそれが何なのか未だに分からない。

そもそもあれだけの存在感を示したかと思えば、その反応はすぐに消失した。

現在に至っても勇太には姿を見る事も出来ず、僅かに感じ取る事が出来るかどうかだ。

怨霊の類ならば散々祓ってきたのだ、見えないなど在り得ない。

ならば楓に憑いているのは一体何なのか。

勇太には皆目見当がつかなかった。


と、胸ポケットからスマホの着信音が鳴り始めた。

珍しく、からだ。


「もしもし、久しぶりだね」


「——お久しぶりです、藤堂さん」


相手は楓と同い年の女の子で、有名アイドルグループのメンバー。

元い同業者の者であった。

彼女からの連絡などいつ以来だったかと、話しながら勇太は振り返る。

結局は思い出せなかったが、雑な回答として概ね数カ月ぶりか。


「実は隣町から依頼がありまして。藤堂家の管轄なのですが、私の手が空いたので代わりに受けようかと。よろしいですか?」


なるほど、そういう事かと勇太は納得する。


魂鎮メたましずめ』。

それが勇太たちお祓い業の名称であり、だ。

それぞれ家系で世襲しており、電話越しの彼女も勇太も当主という立場にある。

藤堂の家は今は勇太が引き継いでおり、仰々しい気もするが藤堂家当主となるのだ。

そして家ごとに管轄区域が設けられている為、外の区域での活動はその地域の当主の確認が必要となる。

それが魂鎮メの規律の一つだった。


「ああ、構わないよ。君も程々にね、誰より多忙なのだから」


「お構いなく。それでは失礼します」


ツーツーと切られたスマホから耳を離す。

相変わらず素っ気ない子だなと思いながら開店の準備に戻る。

彼女は仕事になるとスイッチが入るようで、相当な愛想良いキャラに豹変するのだが。

素の性格はこう、少しだけ捻じ曲がっていると勇太は思う。

もう少し柔らかくなれないものかと、例えば楓のような謙虚さが少しはあれば。

いっそ二人を会わせてみるかとも考えてみたが、楓には本業の話はしていない。

隠している訳ではないが、巻き込みたくないという勇太のエゴに近い動機だった。


それにきっと勇太が動かなくても、自然と導かれてしまうのだろう。

楓には自分の身を守れるよう怨霊の祓い方を教えた事があるのだが、その時に悟ったのだ。

残念ながら楓には、勇太以上の素質があった。

だからこそ余計に思わざるを得ない。

楓には普通に幸せになってもらいたいと。

ふと家の方を向くと、当の本人が玄関から出てきた。

どうやら出掛けるようだ。


「……楓には僕たちと違う道を歩んで欲しいんだ。君もそう思ってくれるかい?——」


勇太の独り言は誰にも届く事なく消えて行った。




自室に戻り、簡単に身支度を済ませて家を出る。

玄関横の車庫のシャッターをリモコンのボタンで開く、ウィーンと機械音を鳴らして鉄製の戸口が上がった。

これも楓が衝撃を受けた工程の一つだが、最近は実に手慣れたものだ。

中には勇太の愛車である黒のレクサスのスポーツタイプと、片隅には楓の愛車である黄色のスーパーカブが一台ずつ。

このスクーターは昔勇太が乗っていた物だったのだが、わざわざ楓様に改修して楓の為に卸してくれたのだ。

乗り心地もいいし燃費も良い、かごも付いているから買い物にも便利なので言う事がない。

何より楓にとっては今まで縁のなかった目新しいおもちゃである、嬉しい以外の感情が湧かなかった。

フォルムも可愛いので、ハーフのヘルメットを装着しながらもついつい見惚れてしまう。


「……はっ、行かなきゃ」


愛車を眺め呆けていた楓は我に返り、ふと背後が気になって振り返る。

すると道路を挟んだカーショップの入り口で勇太がこちらに笑顔を向けていた。

楓は慌ててペコペコとお辞儀をし、恥ずかしさをごまかすようにして勢いよくスクーターに跨る。

キーを刺してエンジンを掛けると、愛車は小気味いい音で排気ガスを噴出し始めた。

そのまま手を振る勇太に一礼してアクセルを回し車庫を出る。

風が随分と気持ちい事に気付き、楓は浮かれた気分で軽い旅に出るのであった。




心地よい潮風に吹かれる。

海沿いの道を選んだのは、別に何か思い入れがあるからではない。

ただ単に気持ちの良さそうな、または自然と通りやすい道を選んだ結果であった。

平日の車通りはそこそこあるが、休日ほどではないので最適と言えば最適だろうか。

買い物なら夕方までに済ませばいいと、完全にドライブに夢中になっている楓は気分上々もいいところ。

唯一の趣味と言えるものがある事、それが出来る環境にある事に感謝せずにはいられない。

楓は内心から勇太へとメッセージを送る。


(ありがとうございます勇太さん。何だか随分と幸せな生活をさせてもらってます)


まるで新婚夫婦のような発言であるが、楓にその意図は全くない。

基本、楓は無知である。

教育も他人との関りも経験の乏しさゆえに、マナーや社交性なども殆ど知らずに育った。

更に楓は無知の上に、主張が乏しいという性格上の要素も加えられる。

自分に自信がないから意見を通していいのかが分からないのだ。

空気が読めないとも言えるだろうか。

これらは全て過去の生活環境から来る弊害であった。


(どこかで休憩しようかな)


楓は一度海沿いから逸れて小道に入り、近場の公園を探す。

この辺りはあまり来ない土地なので少々苦労したが、それらしい場所をようやく見つけて駐車スペースに愛車を停めた。

すぐ近くにあったベンチに座り、楓は空を見上げる。

日が燦々と照り付ける快晴で、まあ要は秋晴れだ。

今年は残暑が例年より長く続いており、空気は程よく冷たいのに日差しですぐに暖められる。

スクーターでのドライブには確かに快適な気温だった。


(お腹空いたなあ。でも私一人で美味しい物を食べるのも勇太さんに申し訳ないし)


勇太はお小遣いまでくれていたのだが、楓は未だに自分の為にそれを使った事がない。

結局申し訳ないが先立ち、最初に貰った一万円札が財布に入ったままである。

毎月くれるとも言われた、けれど使い道がないと言って楓はそれを断った。

この一万円はいつか、勇太の為に使いたいと考える。

だが勇太がお金に困る事などないし、欲しい物も特に口にしないので楓は使えずにいるのだ。

そろそろ財布に投獄されている福沢諭吉が泣いているかもしれない。

楓は考える。

今日は気分が良いついでにコンビニのおにぎりでも買ってしまおうかと。

一度は食べてみたいコンビニの食べ物、その代表格のおにぎり。

自分の出した魅惑的な提案に唸りを上げながら、楓は腕を組んで必死に考える。


だがここで予期せぬ気配を感じ取った。

楓は考え込んでいた頭を切り替え、辺りを見回す。

どうやらその気配は、公園内の鬱蒼と生い茂る針葉樹林の方からだろう。

この感覚を楓は嫌と言う程知っている、正しく怨霊の気配だ。

それを悟った上で再び考え込む。

選択肢は二つ。

見過ごすか、祓うかだ。

勇太は以前、楓にこう言った。

『もしも自分に危険が迫るのなら、その方法で祓えばいい。けれど自ら飛び込むのは危険だからやめなさい』と。

ならば迷う必要もない、ただ見過ごせばいい。

それが正解なのは分かっているし、楓自身も相手は恐怖の対象そのものなのは知っている。

でも——。


(でもあの怨霊だって、元は人間の魂だ。哀しい末路を辿ってしまった、——私なんだ)


楓は奮起する。

ベンチから立ち上がり、そのまま針葉樹林を目掛けて歩き出す。

一歩が重く感じてしまうのは多少の恐怖から来るものだろう。

それでも歩みを進めるのは、自分のもしもを照らし合わせているから。

もしもあの時、勇太が自分を引き取ってくれなかったら。

もしもあの時、本当に死んでいたら。

もしもあの時、『影』が現れなかったら。

楓はもしかしたら、怨霊の側になっていたかもしれない。

ならばせめて安らかに成仏してもらえるように、力ある者がその責務を果たすべきだと。

楓は勇太の意見に背いてまで、強くそう思った。


だから楓は、力を行使する。

胸の中央に手を当て、瞳を閉じて魔法の呪文を唱える。


「霊装——残焔ざんえん


深紅の刃の刀を右手に持ち、紅葉色の着物に包まれた楓の身体からは、とめどない程の霊力が溢れているのであった——。

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