衣緒たちの任務

 

 じゃあ、と歩き出した途端石畳の隙間に下駄がはまって冬兎の体が傾く。

 わ、と声を上げると急な浮遊感。

 

「大丈夫?」

「あ、あ、ありがとうございます」

 

 ひょい、と体を支えてくれたのは晴虎。

 顔が近づくと、お互いに勢いよく顔を背ける。

 

(キ、キスするのかと思った)

 

 ケアについてスマートフォンで少しだけ調べた時、粘液接触――キスや粘膜接触――セックスまでする場合がありそのやり方も読んでしまった。

 華之寺のところでざっと聞いたものより生々しく、より詳細に調べて、公開した。

 晴虎のガイドになりたい、と思って調べたはずなのに、心が折れるかと思ったほどだ。

 けれど、烏丸は槙とそういうことをしてケアをしているのだろう。

 男同士、女同士の粘液接触ケア、粘膜接触ケアのやり方……などを読んでから震えて眠れなくなった。

 特に晴虎の精神摩耗状態は危険で、応急ケアではなく、最低でも粘膜接触によるケアが必要というのがわかってしまったのだ。

 最低でも、セックスはしなければならない。

 

(そんなの意識するに決まってるし……!)

 

 しかしながら自分のお尻を準備する勇気はなく、それならば粘液接触――キスくらいなら、と考えていた。

 いつか、近いうち、提案しよう、なんて。

 

「……なに? シたん?」

「なんにもしてない」

「華城先輩のスピリットアニマル見りゃわかるわー。ってか、なんのために二人部屋にしたと思ってんの? キスくらいさっさとやっちゃえばいいのに」

「「っ」」

 

 やはり確信犯だったか、猪俣衣緒。

 

「キスの粘液接触ケアくらいなら結構簡単な部類だからしとけばぁ? 皮膚接触よりケアの効果ダンチだよ」

「そ……それは、あの……でも……あの、ちょ、ちょっと、まだ……覚悟とか……もう少し仲良くなってからの方がいいんじゃないかな、とか……色々考えてしまいまして……?」

「そーんなの考えなくていいんだって。ケアって医療行為、治療行為なんだからさー。自分のキスひとつで救われる命があるって考えなー。実際マジでギリギリの時とか、そんな恥とか気にしてる場合じゃねぇ時あるしなー」

 

 と、辰巳が手をひらひらさせながら歩いていく。

 確かに、晴虎の状態はいたゾーン――恐慌状態に入ってもおかしくない状況。

 それを精神力だけで耐えてきたというのだから、本当にすごい人。

 でも、それがずっと続くわけではない。

 表面張力でギリギリ。

 スピリットアニマルの様子を見ると、すでに本来の大きさより半分以下らしい。

 やはり近々、いや、今夜にでもキスによるケアを提案してみようかと悩む。

 

「粘液接触ケア、ボクで練習してみるー?」

「し、しません!」

「テメェには今朝チューしてケアしてやっただろうが!」

「あいだっ!」

 

 今度は衣緒のお尻に辰巳の蹴りが入る。

 強い。


「だって瑠夏ちゃん、タバコの味がするから不味いんだもん!」

「気安く“瑠夏ちゃん”とか呼ぶなつってんだろ! “辰巳さん”と呼べぇ!」

「あああ! ごめんなさいー!」


 二回目の蹴り。

 まったく同じお尻に。

 これは効く。


「ガイドにケアって建前でセクハラしてくるこーゆーのもいんだから、その調子で嫌なことはキッパリ断るんだぜ。必要なら張り手の一つもかましてやんな!」

「は、はい……き、肝に銘じます……」

 

 強くなくてはいけないのか。

 晴虎がポツリと「辰巳は本当にガイド向きの性格だ」ね」と呟く。

 どういう意味に受け取ればいいのか。

 そんなわちゃわちゃをしながら泊まっている拠点宿に戻り、衣緒と辰巳の泊まっている『滝の間』にお邪魔する。

 

「じゃあ現状を詳しく説明していくね」

 

 辰巳に蹴られた尻がよほどの大ダメージだったのか、お尻をさすりながら町の地図を取り出す衣緒。

 やはり地方都市。

 地図だけでもかなり広い土地だと理解できる。

 二人が先ほど出てきた建物は、集会所。

 この町にはセンチネルとパーシャルで構成された自警団と、鴉天狗一族で平和を守ってきた土地。

 妖族は下級の言葉の通じない個体も『上位存在の縄張り』と本能で感じ取り、近づかない。

 町を脅かすのは、いつも人狼族か吸血鬼。

 夜は苦手な鴉天狗にとっての天敵である。

 鴉天狗一族は夜が得意な妖に命じて、人間と共に見回りを強化したり街灯を増やしたりしているが、人に紛れるのが得意な人狼と吸血鬼を見分けるのは難しい。

 そこで活躍するのが人間だけで構成された自警団。

 下級の怪物ならば、市販の崩怪弾で退けることができる。

 崩怪弾とは、免許のある人間が持てる拳銃の弾の総称。

 対怪物用の、細胞崩壊毒が含まれていて着弾すると破裂して怪物の体内で毒を撒き散らす。

 拳銃なので人間が受けても撃たれどころによっては死亡するが、こと、怪物に対しては絶大な効果を発揮する。

 妖に対しては効かないことも多いが、銃弾としての効果も高いため中型の妖でも致命傷を負わせることができる代物。

 狩られるだけの人類が、長い時間をかけて手にした対抗策の一つだ。

 そして、昨今センチネル系能力者の出現により、崩怪弾は主要兵器として流通している。

 衣緒と槙が使っているのも拳銃であり、弾は崩怪弾だ。

 拳銃の型は違うらしいが、冬兎は詳しくないのでよくわからない。

 

「で、俺らが受けた依頼はここ二年ほど自警団のセンチネルとパーシャルの夫婦にいる一人息子の姿が見えない。探してほしいって依頼。依頼人は集会所の管理人で、自警団のリーダー園山さん。表向きは夫婦が追っている下級吸血鬼の討伐。両方片づけてくれたら万々歳って感じかな」

「二年……? 長いね? 息子さんは歳いくつなの?」

「今年で十八になる現在十七歳」

「……、……っ」

「晴虎さん……?」

 

 年齢を聞いた途端、晴虎の表情がわかりやすく曇る。

 唇に指を当て、顔色を悪くした。

 先に年齢を聞いたところを見るに、息子の年齢はなにか重要なのだろう。

 

「華城先輩は園山さんと同じことを思ったんだよね。まあ、つまりそゆこと」

「ど、どういうことですか?」

「十代半ばって、能力者の能力開花時期なんよ。中学で習わんかった?」

「あ……!」

 

 義務教育の中でも、中学一年の春に最初に習う『能力開花』について。

 ガイドはともかく、センチネルとパーシャルはガイドのケアの有無が命に関わるため、能力開花したらすぐに国に申請しなければならない。

 これは国民の義務であり、自分の命を守るために必要な知識。

 そのためセンチネルとパーシャルは十三歳前後で目覚める者もいる。

 対してガイドは十五歳前後とセンチネル、パーシャルよりは遅咲きが多い。

 二十五歳で開花した冬兎は遅すぎるが、この年頃で心身になにかしらの問題を抱え開花できなかった者がレイタントとなるのだ。

 

「行方不明になったのは二年前。今年十八で今十七」

「ドンピシャ、ですね?」

「加えて両親がセンチネルとパーシャルときた。この町のガイドは園山さん一人で、その園山さんは最近夫婦にケアを頼まれる頻度が減っているって話らしい。つまりまあ、そういうこと……って邪推しちゃうよねー」

「……ッッッ」

 

 息子がガイドに覚醒した。

 そして、息子にケアを任せている。

 家族で家族のケアをすることは、ないことではない。

 実際冬兎の両親もそうだったし、猪俣家も奥さんがガイドだったそうだ。

 ガイドにケアをしてもらい、そのまま夫婦や恋人に……というのは非常によくある話。

 だが、同じくらいセンチネルとパーシャルによるガイドへの依存も多い。

 自分の命がかかっているのだから、特効薬を常に手元へ置いておきたい、というのは理解ができない心理ではない――が、相手も人間。

 母が父を束縛し、家から出さないようにしていたのを見て育っているからよくわかる。

 しかも今回の対象は、子どもだ。

 

「胸糞悪い」

「この手の依頼は仕方ねえよ。そういうのを解決するために俺らが仕事してんだからよ」

「わかってる。でも、それならやっぱりもっと早く話してほしかった。知らずにのうのうとしてたと思うと腹が立つ」

「しょーがないじゃないですかー。華城先輩いつゾーン入っちゃうかわかんないんですからー。こっちとしてはこの数日間のうちに粘液接触で回復したら頼もうと思ってたのに、二人とも進展なさすぎなんですもん」

 

 と、言われて沈黙。

 顔を背け合う冬兎と晴虎。

 

「先に言ってくれればいいのに」

「それじゃ義務でやんだろ? お前ら。初めてのちゅーくらい、気持ち込みでさせてやろうっつー俺の寛大な配慮だったっつーのに」

「よ、余計な真似を……」

「本当本当ー。おかげで冬兎をボクのパートナーにする計画に支障が出そうー」

「今回の任務のパートナーは俺だっつってんだよ!」

「痛ぃい!」

 

 腰を蹴り飛ばされ、倒れる衣緒。

 さすがにちょっと可哀想になってきた。

 

「ああ、でも、それで感知系の衣緒が来てたのか」

「そうそー。けど、手詰まり。相馬夫妻は警戒心バリバリでね、握手してもシールドで阻まれちゃった。まあ、シールド全開な時点で怪しさ満点って感じなんだけど」

「俺も。皮膚接触からの共感フルにしてみたけど、マッチング数値が高くないのかなんにも感じ取れんかったわ。仕方なく外から調べてみようと思ったけど、下級吸血鬼が霧化できるようになっててこっちも手詰まり」

「霧化が使えるのか。確かに厄介だな」

「あの、霧化って……?」

 

 と、おずおず手を挙げて聞いてみた。

 晴虎が「吸血鬼はいくつか種族固有の能力があるんですけど、蝙蝠化よりも厄介な霧状になる霧化という能力持ちの個体がたまに現れるんです」と教えてくれた。

 体を霧にして逃げてしまうらしい。

 なにそれやばい。

 

「下級で霧を使えるやつはヤバい。親が相当位が高い。物質化してる時に一撃で粉砕しないと殺せない」

精神具現化能力者エンボディメント、だな」

「ん」

「え……で、でも……」

 

 精神具現化能力者エンボディメントはセンチネルとしての能力をフル稼働する。

 スピリットアニマルを具現化して装備して戦う。

 この能力を使えばスピリットアニマルが一気に小さくなる。

 それほど疲弊して、ケアが必須。

 ただ、今は安定しているように見えるけれど、ゾーンに入ってしまえば――

 

(っ……晴虎さんが、母さん、みたいになったら……)

 

 万全ではないのだから、可能性は高い。

 しかし、下級吸血鬼は晴虎の精神具現化能力でなければ倒せないという。

 

「じゃあ、夜までに夜凪が華城のケア、たっぷりしておいてくれよな」

「へぁ!?」

「ガイドとしての能力には不慣れだろうから、俺が指導しつつやるから心配すんな。猪俣は下級吸血鬼ホイホイの罠よろしくな」

「はーいはいはーい。とりあえず下級吸血鬼を倒して相馬さん夫婦問題はそれからゆっくりすべきかなー。でも、あんまりモタモタもできないよねー。下級吸血鬼が片づいてからだと、ボクらがこの町にいる理由を勘繰られてしまうし」

「人がダメならモノか建物じゃない?」

 

 と晴虎が言うと、衣緒が一度目を丸くする。

 そして、深く溜息。

 

「側から見ると不審者なんだよ」

「「なにを今更」」


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