カウンセリング(1)
翌朝も早起きしてサンドイッチのお弁当を作る。
感謝と、美味しく食べてもらえますように――の気持ちをたくさんたくさん詰め込んで。
受付に持っていくと、昨日とは別のお姉さんが預かってくれた。
(ハァーーー、緊張したー!)
部屋に戻ってから、改めて泊まった部屋を見る。
家具も家電も揃っている、ホテルのような部屋。
(とはいえ、アパートはまだ引き払ってないんだよなぁ。あっちに服や下着も置きっぱなしだし……)
はあ、と深く溜息を吐く。
ふと、スマホに着信履歴。
走っていて気づかなかったらしい。
着信の相手は――母。
ヒュ、と喉を冷たい息が通って、鳴る。
――レイタントは心身のストレスで能力開花が阻害されている存在。
華之寺に「なにか心当たりはあるか?」と言われた時、思い至るところはなかった。
本当になかったのだ。
だって、冬兎にとって“あれが普通だと思っていた”から。
(……でも、昨日の話を……思い出すと……)
センチネル系能力者はガイドに依存しやすい。
そんな話を聞いて、この着信履歴の名前を見て、息が詰まる。
「うわあ!?」
突然部屋の壁電話が鳴り始めた。
ビビり散らしながら「は、はひ」と受話器を取る。
『華之寺だ。カウンセリングの予約を入れておくの忘れてた。希望日時とかあるか?』
とのこと。
その声に安堵した。
溜息を聞いて、華之寺に『どうした?』と聞かれてしまう。
ハッと顔を見上げる。
「あの……トラウマについて……心当たり、やっぱり、ありました。なので、その……」
『カウンセリング、今日の十四時半から第三カウンセリング室なら空いてるけど』
「お願いします」
『ああ、それまでゆっくり休め』
「あ! あと! あの……!」
『ん?』
慌てて華之寺を呼び止めて、契約中のアパートの荷物について相談する。
荷物の引き取りと、このままここに住むのならアパートを引き払わなければならない。
そして――
(家族に……住所を伝えて……)
でも、それを考えると足元が冷える。
雪の上に立っているかのような冷たさに膝が震えた。
母も父も初老の年齢。
五十も過ぎて、仕事はしているけれど実家には寄りつかなくなっている。
連絡も節目の時だけ。
しかも、今回の電話は母から。
母へ掛け直す勇気が、まだ出ない。
『うーん、なるほど? アパートの件は業者に頼んでもいいけど……』
「いえ、自分で荷物まとめたいです」
『大事なもんとかもあるだろうしなぁ。じゃあ、ちょっと昼の二人に護衛依頼してみるわ。とりあえず午後のカウンセリングな』
「は、はい。お手数をおかけします……」
受話器を壁に戻す。
溜息を吐き出して、肩を落として自分の食事を作り始める。
十四時からカウンセリング。
そう思ったら、食事後シャワーを浴びてベッドにダイブした。
「ん……」
ピピピ……ピピピ……
アラーム音に目を開ける。
アラーム、かけただろうか? と思いながら頭を抱えて眼鏡を探す。
「あ」
スマートフォンに表示されている時間は十三時四十五分。
「やっばぁい!」
飛び起きて、姿見で格好を確認して眼鏡をかけ直してカードキーを手帳に挟み財布を持って飛び出す。
オートロックなのでそのままエレベーターに行って大丈夫。
本部ビル五十一階。
医療フロアの第三カウンセリング室。
「ハァーーー……失礼します……」
一度行きを整えてから、扉をノックして声をかけて取っ手を引く。
白衣の華之寺がギッと椅子を回して入り口の方を見る。
「ああ、時間通りだな」
「は、はい。よろしくお願いします」
「とりあえずストレス数値を確認する」
「は、はい」
手を差し出されて、その手を握ってみると「昨日より減っているな」と言われるが「まあ、通常値よりは高いままだけど」とのことなのでまだまだダメらしい。
半日眠ったんですが、と言いつつカルテを取り出して華之寺がストレス数値を書き込んでいく。
「それで、トラウマについてなにか心当たりがあるとか言ってたが」
「はい。あの、昨日の、センチネルとパーシャルはガイドに依存しやすいという話を聞いて……思ったんです。うちの両親って、母がセンチネルで父がガイドなのですが……その、母が外で働き、父が主夫で……家の中にいつもいて、買い物も母が、してきていて……」
「うん」
続けて、と言われて息を呑む。
気を遣ったのか「ゆっくりでいい」と言ってもらえる。
はあ、と溜息を吐く。
熱のようなものが冷たいものになって出ていくような感覚。
「父の首には、首輪があったんです。怪我をしたから、守るためって……父は言ってました。でも……あの……っ」
「うん。……無理しなくていい」
手を握られる。
手を伝って、華之寺のスピリットアニマルが花を乗せてきた。
すると、心がスーッと軽くなっていく。
これが、ガイドの共感能力。
「そうだな……その可能性は高いと思う」
「っ……」
共感して、理解してくれる。
自分の家庭環境は、最低だったのだ。
父は母の奴隷。
父が家にいるのが当たり前。
主夫として家事を一手に担い、監禁状態を受け入れていた。
「今ご両親は?」
「実家に」
「お母様の職業は?」
「け、刑事です。今は警視庁の方で役職つきになってるって……」
「なるほど。男一人なら余裕で養えるか。しかし警視庁……公務員ね。……しかも役職つきとなると、ウチじゃあ手が出しづらいな」
「……そ……そう、ですよね」
首輪をつけられた父は、外へ出ることを許されない。
囚われたまま、母の執着を受け入れるしかないのだ。
華之寺は「それに、多分共依存状態になっているだろう」と首を横に振る。
ボンド状態にもなっているはず、とも。
センチネルとガイドの特別な専属契約。
相手に限定したケアされ、する関係。
一度ボンド契約を結べばもう二度とセンチネル系能力者は特定のガイドにしかケアを受けられず、ガイドも特定のセンチネル系能力者にしかケアを施せない。
それはもう、引き離すことができない関係だ。
「それが自分にとって、トラウマ……だったのかなって……」
「うーん……可能性は高いが――今までの常識、家庭環境が異常だと気づいたことがトラウマと言われると、首を傾げるというか」
「え、そ、そうなんですか?」
「まあ、弱いな。他にもなにか見たりしたか? たとえば――父が母に、暴力を受けていたり」
それには答えられなかった。
華之寺を凝視してから、俯く。
冬兎の手を、覆う華之寺の手。
おそらくストレス数値を観測され続けている。
「そうか」
冬兎の手に手を重ねていただけで、察してくれるのだから恐ろしくも頼もしい。
(そうだ。僕にとってはあれが“普通”だった)
首輪を鎖でベッドの柱に繋がれる父と、その父の上に跨る母。
父の顔は見えないが、母の笑い声は聞こえる。
他を知らないから、あれが普通だった夜凪家の夜。
「夜凪冬兎。両親はアンタに興味はあったのか?」
「――――」
華之寺の質問に、胃から胃液が迫り上がってくる感覚を覚えた。
思わず華之寺の手が重なっていない方の手で口を覆う。
「……父は……」
「うん。まあ、主夫やってんならそうだろうな」
「……でも、母、は」
父との時間が削られるからと、冬兎をよく放置した。
それでも母が家を空けている間、父を一人にしておくのは不安だからと子どもを一人だけ作った。
夜凪冬兎は、母が父を退屈させないため――人間性を保たせるための“玩具”に過ぎない。
「……うん。それじゃあセンチネル系能力者にも、ガイドにも希望なんて持てないな」
答えられない。
その通りだ。
自分は両親の姿になに一つ希望を持たなかった。
センチネルとパーシャル、ガイドは支配して、支配される関係。
(僕はそんなものになりたくない。ミュートでよかった)
と、心の底から思っていた。
「でも、それを変えたものがある」
「っ……!」
「希望を持っていないはずなのに、アンタの中にはセンチネルとガイドの関係へ確かに憧れを抱いているな?」
「…………はい」
心が温かくなっていく。
華之寺の言う通りだ。
異常な両親の関係。
センチネル系能力者とガイドの関係に嫌悪を抱いていた。
それが普通のセンチネル系能力者とガイドの関係だと思っていたから。
――でも違った。
『これ、どうぞ。なにか困ったことがあったら、いつでも来てくださいね』
『あ……』
差し出された名刺を震える手で受け取る。
名刺に書かれた名前は『怪物討伐専門株式会社[花ノ宮]代表取締役 花ノ宮明人』。
自分よりも二つほど年下の少年は、この一年後に世界の“王”の中でも最強と名高い『竜血鬼 折宮六花』に認められた“人間の王”と認められる。
手帳に挟んだその名刺は、ニュースで彼の――夜凪冬兎の宝物になった。
十八の夏、夕方。
妖に襲われた冬兎を助けてくれた少年たち。
颯爽と駆けつけて、襲われている冬兎を助けて穏やかに去っていく。
見返りなど求めることもなく、むしろ今後困ったらまた助けるからと言って。
(あんなセンチネルとガイドもいるんだ)
衝撃だった。
鮮烈だった。
美しく、強烈で、自分の常識を根本から塗り替えられるようだった。
日本を守る盾を築いた花ノ宮明人という“異端のガイド”は、人類の輝かしい未来そのもの。
英雄、勇者、救世主。
しかもあの容姿。
甘く華やかで、穏やかで流麗。
背が高く細身でありながらも間違いなく男らしくもあり、しなやかな女性らしくもある。
かといって中世的とも言えない。
間違いなく男性なのに、女性のような色香があった。
心地のいい声色と、丁寧な口調。
老若男女問わず魅了する――いや、魅了されてしまう。
けれど、誰のものにもならないという確信のあるカリスマ性。
血筋も明かされると凄まじいもので、三十年前に吸血鬼族の突然変異型始祖――人間から突然吸血鬼として覚醒した始祖型吸血鬼――を討伐したセンチネルとガイドの夫婦の息子だったことが明かされると、世間はさらに彼を英雄視した。
しかも、ガイドでありながら前線にも赴き戦う能力まで持つ
吸血鬼、人狼、妖族の王が一目を置くどころか竜血鬼、折宮六花が彼を寵愛したと聞くとこぞって求婚までしたという。
どこまでも規格外で、どこまでも完璧。
まさに称賛を浴びるためだけに生まれてきたような美貌と能力と実績。
そんな彼の名刺は、永遠に冬兎の宝物。
変わらないわけがない。
そんな存在を、目の前で見たのだ。
両親のことが根本から崩れるほどに、彼は――神に等しい存在。
憧れるに決まっている。
羨望を向けたに決まっている。
彼のようになれるわけがないのはわかっているが、それでも――。
「花ノ宮明人さんは、僕の世界を変えてくれたんです」
「……そうか、アンタもヤツに変えられちまったか」
「華之寺さんも、ですか?」
「まあ、ここにいるんだからな。それなりに」
ふふ、と笑い合う。
けれど、俯く。
「僕は……センチネル、パーシャルなのでしょうか……」
母と同じ。
それを聞いた時、息が詰まる。
唇が震えた。
けれど父と同じガイドも――恐ろしい。
「さあなぁ? それは目覚めてみないとわからない」
「そ、そうですよねぇ~~~……」
「ただ、なりたい自分になれるよう考えられるのは今だけだろう。アンタは今、羽化を待つ蛹なんだ」
「――なりたい、自分……?」
「ああ。センチネル、パーシャル、ガイド。どれになるのか。それぞれに特徴がある。それを比べてて自分が将来どんなふうになりたいのかを妄想してみるのも楽しいかもしれないぜ。本部にはそれぞれの特性を活かして働いているヤツばっかりだから、参考になるかも」
「はい……」
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