第1節 オオホネクジラ


 オオホネクジラは、体長約4000mに及ぶ巨大な幻生生物である。これは、現在確認されている幻生生物の中で、カンジョウヘビに次いで2番目の大きさである。


 多くの幻生生物と同様、頭部を欠いていることを除けば、鯨河馬形類の原始的な形と比較されうるオオホネクジラの最も顕著な特徴は、骨状組織とよばれるカルシウム質の外骨格である。甲殻類や昆虫類の外骨格のように鎧状の構造が連なるものではなく、無数の細かな骨状の組織がまるで繭のように生物を包み込んでいる。


 ほとんどの幻生生物は、触ることができないうえに、非自然的方法を用いて移動させることができないのが普通である。


 一方、オオホネクジラは、その外殻に触れることができるばかりか、骨状組織の一部を採取し、持ち帰ることのできる稀な幻生生物である。その性質ゆえ、幻生生物学黎明期においてはオオホネクジラを幻生生物とは別の群として分類する学説が一般的であった。


 1910年、メノ海沖約200kmのリットマー海溝で、海洋生物学者兼ダイバーのエルドワ・G・ウィンストン(注1)は、ゆっくりと海中を移動する巨大な骨の塊を発見した。彼はそれと同時に強い想念の湧出を覚えたというが、その現象を当時まだ発見が数例に留まる幻生生物と結びつけることは当然不可能であった。


「私はどういうわけかこの物体が生物であること、そしてこの生物の名前がなんであるかが一瞬にしてわかった。わかったのではない、知っていたのだ。そしてそれよりも、今までに感じたことのない強烈な好奇心に襲われた。この生物のことを知りたいという無垢で無邪気な欲求に、私は殺されそうになった」


 彼はその後、オオホネクジラの躯体から数十本の骨状組織を採取し、イングランドのランポーラ研究所に持ち帰った。


 研究所での解析は、採取したすべての骨状組織が、それぞれ別の生物の骨であるという驚くべき結果を示した。硬骨魚類の背骨の一部のほかに、小型哺乳類のものと推定される肋骨と手根骨、ワニ目の大腿骨といった陸上生物の骨も多数見られた。


 次にオオホネクジラが発見されたのは、学会への論文提出がなされてから30年後のことである。報告を受けた米国幻生生物協会による2回目の調査では、約1トンもの骨状組織の解析がなされた。


 この骨状組織群からは、現存する生物の骨の他に、ユルマ紀後期から緑畫紀に生息していた大型爬虫類の骨が発見された。いわゆる「恐竜」の骨が化石以外の状態で見つかるのは当然前例のない大発見であるが、それ以上に研究者たちの関心を集めたのは、生物有史以来のいかなる生物の骨にも当てはまらない骨状組織である。優美な螺旋を描く発条状の組織や、揚力を最大化する機能を持つプロペラ状の組織たちは、明らかに脊椎動物の骨の組成を示しながらも、非有機的な印象さえ漂わせる異質な存在であった。


 『クォリティア』(注2)で知られる詩人でもある生化学者のキーンズは、


「これらは、我々の進化のその先、まだ見ぬ生物たちの骨である。巨大な幻生生物の繭は、過去から現在そして未来まで、すべての生物を乗せた方舟であったのだ」


と発言している。


 未来での存在を約束されたこの骨片たちは、フトゥールム〈futurum 未来の〉骨状組織群と名付けられ、ヴェンデル国際幻生生物機構に保管されている。


 オオホネクジラの採掘と調査は、現時点で33回に渡り行われてきたが、発見されたオオホネクジラは同一の個体であり、遊泳速度、視覚上の形態に一切の変化は見られない。また、人間の骨と推定される骨状組織は一度も見つかっていない。



(注1)

イギリスの海洋生物学者。メノ海の無空海域を中心とするセアカマグロの回遊行動の調査で知られる。主な著書に『セアカマグロとその亜種』がある。


(注2)

ダーリー・キーンズ『クォリティア』、ルーキー・エディトレイル社、イギリス、1906年

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