魔女の記録

緑窓六角祭

[1]

 古来、魔女は兵器であった。


   ◆


 歌劇『幽遠の隅』において藍鉄の心が輝成と見角のいずれに向いていたかは曖昧に濁されている。そういう意味で彼女はキャラクターではなく舞台装置に近い存在なのかもしれない。あるいは私たちは魔女をどこか同じ人間の枠内で考えていない。

 じゃあいったい彼女たちは何者であったのか? ――魔女としか言いようがない。


   ◆


 藍鉄はどこにすぐれていたのか?

 彼女は非常に柔軟性に優れていた。不定形であったと言いかえてもよい。

 彼女以外の魔女は特定の戦略を組み上げてそれに則って行動を選択していた。

 AにはBで対処する、Cが発生すれば直ちにDを実行する、そうした枠組みを事前に準備していた。

 藍鉄にはそれがなかった。

 彼女より10歳年長にあたる魔女、楠根は藍鉄について「何も考えていない。その場のノリで生きている。いい加減な間に合わせ。1年とたたずにぼろをだす」とこき下ろした。

 その予測通りにだいたい1年後、打庭国は半壊の憂き目にあうわけで、楠根の評価はそこまで外れてはいなかった。まあそのさらに1年後、藍鉄自らの手によって楠根は地に伏すことになったわけだが。


   ◆


 3人が邂逅した時なんらかの恋心が発生したという考え方がある。結果から逆算していけばそれが自然だろう。正直なところ私はその考えに賛同しかねる。

 どのような具合に賛同しかねるのかは、この文章を読み進めていってもらえれば、だいたいのところはわかってもらえるものと思う。


   ◆


 数えで輝成19歳、見角22歳、藍鉄は推定で16歳の時、3人は出会った。


   ◆


 打庭国周辺の環境を語るにもっとも重要なのは北方である。当時そこには言わずと知れた大帝国虎口が広がっていた。ただし2つの国の間には氷壁と呼ばれる隙崔山脈が立ちふさがっていたが。打庭国を守るものはその天然の要害ぐらいしかなかった。


   ◆


 魔女は人間に対してどのような感情を抱いていたのだろうか? わからない。現在生き残っている魔女はいないし、そうしたことに関する記述を遺してもいない。

 逆の疑問――人間は魔女に対してどのような感情を抱いていたのだろうか? ――についてはいくらか推測することができる。私たちは人間だから。

 基本的には敬して遠ざけることになるはずだ。あまりに強大すぎる。共に暮らすことはできない。ただしあくまでそれは基本であってどれぐらいの例外的なケースが生じうるかは見当がつかない。


   ◆


 藍鉄によって打庭国はその歴史に終止符を打ったが彼女がいなければもっと早くに潰えていただろう。おそらくは虎口に一瞬にして併合されて辺境の一地域として組み込まれていたはずだ。

 その後にたどった運命と比べてどちらがよかったのかは細かい条件で変化するため一概には言えない。誰の視点に立つかによっても異なってくる。藍鉄も見角も輝成も誰もそこまで複雑な先のことを考えてはいなかった。そんなことを期待してはいけない。重すぎる。


   ◆


 確かにその時、白縫にとって藍鉄は優先度の高い相手ではなかった。

 打庭国は甲陸国と敵対しておらず、またその予定もないため、両者の間に戦闘が発生することはほとんど想定されてはいなかった。

 むしろ北方の大帝国・虎口とそれに所属する魔女・炎戯への対策を精一杯にとらなければいけない場面で、他に手を回すことのできる余裕は残っていないぐらいだった。

 そんな状況下においても白縫は十分に藍鉄について調べ上げていたわけだが。

 藍鉄の方は白縫についてどの程度の情報を握っていたのか? 少なくとも事前調査に力を尽くしたというような痕跡は残っていない。

 しかし白縫は当時、最強との呼び声高く、特に調べずともそれなりの情報が自然に入ってきたものと考えられる。あくまでそれなり。

 別段、藍鉄が情報収集を不得手としてたというわけではない。のちの炎戯との衝突において彼女が非常に綿密な事前調査を行ったことは翔覧が記述しているし、また珍しいことにその記録もきちんと残っている。


   ◆


 魔女は師弟での対決を避ける。兄弟弟子との戦闘については特に避けるところはなかったようだ。

 あるいは気持ちとしては避けたかったのかもしれないが、師を同じとする魔女は近隣諸国に集まる傾向があり、実際において避けようがなかったのかもしれない。

 戦いを避けようがなかったから兄弟弟子の間で交流が少なかったのか、交流が少なかったから戦いが発生したのか、どちらが先なのかはっきりしない。


   ◆


 藍鉄の魔女についてその幼少期はほとんど不明だ。おそらく記録に残らない階級に属していたものと考えられる。まあ言ってしまえば大半の魔女はその来歴がわからないのだが。

 わかっている魔女の方が少ないかもしれない。わかっていてさらにそれが検証できているものとなればおそらく10人前後といったところだろう。


   ◆


 見角の死については明確に公的な記録が残されている。彼は最後まで戦いそして甲陸国にて処刑された。

 巷ではその死の間際まで藍鉄への愛を叫びつづけたというイメージがあるがそうした記録は公的な書類には一切残されていない。

 当時の甲陸国の宰相である雪牢は筆まめな性質でおもしろいと思ったことがあれば何でも日記に書き残しているが見角に関する記述は一切ない。

 逆にその点から見角についてなんらかの醜聞があったのだと考えられなくもないが、そんなことを言い出せばいくらでも事実の捏造がきくようになってしまう。

 筆者としてはこれ以上そこに立ち入ることはしないでおく、残りは小説家の領分だ。好き勝手に書けばいい。そうしてそれを読むのが好きなものは好き勝手に読めばいい。そういうものだ。


   ◆


 藍鉄の師と目されるものは3人いる。いずれにしろ記録に残っていないのは破門され抹消されたというわけだ。後の行状から推察するに彼女の振舞は決して善良とは言えない。追放されたとしても不自然ではない。

 しかしいくら破門されたとしても何らかの個人的な記録にも残っていないのはおかしな話だ。

 すべての魔女が筆まめなわけではないが、書き残すのが好きな魔女は結構いた。本当に藍鉄がなんらかの系譜に属していたのなら、どこかに断片的な情報が見つかる可能性が高い。

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