第二章

第7話



◆ ◆ ◆



「参ったな……」


 エゼキエルは数百メートル先にある外壁を眺め、ため息を吐き出した。馬の手綱を引くカスティも同様なのか、苦笑いをして前方を見やる。

 探し物とは違うかもしれないが、という前置きの元。少々変わった湖があるらしいと言う情報を、獣人国女王から受け取ったエゼキエルたちは、地図を頼りに国の境目へやってきていた。

 あの外壁を越えれば次の国へ入れるのだが、検問による旅行者の長蛇の列に捕まり、かれこれ二時間ほど経過しているところである。

 その湖は、地下水が湧き上がり自然形成されたものだという。しかし不可解なことに、表面のみならず、水底まで凍りついていると言うのだ。

 外壁の向こう側にある国は、その湖を観光資源として整備しているらしい。そのため、鋭利な刃物や火器類の持ち込みが厳重に制限されているのだ。

 ちょうど明日、夜には湖の表面に、不思議な現象が起こる日だとか。一目見ようと押し寄せた観光客の対応に、検問所では武装した兵士たちが忙しなく動き回っていた。


「……?」


 列も動き、検問の順番がそろそろ回ってくるかという時だった。突然カスティが周囲を見渡し、首を傾ける。

 流石に馬上にいる時間が長すぎ、尾骶骨のあたりが苦しくなっていたエゼキエルは、若干顔を青くしながらカスティを見下ろした。


「どうした?」

「いえ、……誰かに声をかけられたような気がして」


 不審げに背後を振り返った彼女に倣い、エゼキエルも集中して音を拾う。辺りは待ちくたびれた人々の声が、ポツポツと聞こえ、兵士の声が近付いているだけである。

 特に何も変化はない──はずだった。


『静かに』


 二人の耳元に少女のような、しかし凍てつく氷のような、無感情な声が響く。馬上で動きを止めたエゼキエルの後ろに、何かが動いた気配がした。ひやりとした空気が漂い、馬が頭を振って身震いする。


『アナタ、強い炎を宿しているわね』


 声の主が、カスティの方へ話しかけた。その意味の見当がつかず、横目でカスティを盗み見る。

 彼女は唖然とした顔でエゼキエルの背後を見つめていたが、眉間に深い皺を寄せると、首を振って杖を握る片手に力を込めた。


「……見えないあなたが、何者か知りませんが、わたしは炎など……」

『いいえ、いるわ。……助けて、ほしいの』


 エゼキエルが肩越しに振り返っても、そこには何も居ない。けれど確かな気配が背中に触れていて、氷のような冷たさが幻覚ではない事を表していた。

 カスティが応えようとするのを片手で制し、代わりにエゼキエルは小声で話しかける。


「ご事情は分かりませんが、我々は国へ入らなくては。少しお待ちください」

「っ王子」


 カスティが咎めるが、エゼキエルは黙殺して相手の反応を待った。見えない存在は安堵と取れる息を吐き出し、短く礼を伝えて気配が消える。

 一拍の間を置いた後、エゼキエルは長く息を吐いて胸を撫で下ろした。そして胸の留め具を外し、冷たき存在が触れていたであろうマントを脱いで、眼前に掲げる。


「王子、あのような安請負やすうけおいは……」

「いや、今の我々にはおそらく、拒否権はないようだ。見てくれカスティ」


 マントの背中側を広げ、険しい表情のカスティに見せた。怪訝な様子でそこを見つめた彼女は、次いで驚いた顔で僅かに身を引き、エゼキエルを見上げる。

 マントには恐ろしいほど鋭利で美しい、氷の花が咲いていた。




 問題なく検問を抜けた先は、外界とは一線を画すように肌寒い国だった。天候はすこぶる良いのだが、肌に触れる空気が透明で冷たい。

 未婚の男女で気が引けたものの、とにかく宿泊客が多く悠長に選んでいられず、なんとか二人部屋に滑り込んだ。簡素な部屋は二重構造の窓でいくらか暖かいか、夜に暖を取れるよう毛布が数枚用意されている。


「火器の使用が制限されているからか、寒々しい国ですね……」


 エゼキエルから矢筒を受け取ったカスティが、己の杖と共に壁に立て掛けつつ、外を見下ろす。五階から見える繁華街には、多くの旅行客で溢れていて、暖かな服装に身を包んでいた。

 エゼキエルは、氷によって少しささくれたマントを直しつつ、ベッドに腰掛けて同じく外を見る。


「それでも、これほど旅行客が多いという事は、それほど明日の行事は盛大に執り行われるんだろう」

『そんなものはないわ』


 カスティが答えるより早く、先ほどの声が室内に木霊した。空気の温度が一段と低くなり、窓辺から即座に移動したカスティが、エゼキエルを背に庇う。

 僅かに空間が揺らめいて、何かがそこへ浮かんでいるのが見てとれた。壁がすり抜けて見える実態のない彼女が、こちらを見つめている。


「……あなたは何者です」


 警戒の色を濃くしたカスティが、問いかけた。


『わたしは、ジマ。……少し、寒いかもしれない、……我慢して……』


 そう言った彼女、ジマは、自身の足元から氷の結晶と共に、冷気を舞い上がらせる。そうして灰色がかった紫色のドレスをひるがえし、二人の前に姿を現した。

 










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