第4話 変わり果てた友達

「さ、着いたよ。お入り」


 扉を開けたおばあさんに促されるまま、家の中に入る。続けて入ったおばあさんが指をパチンと鳴らすと、ランタンに明かりが灯った。室内が温かな明るさに包まれた。


 4つの椅子が前後に並べられた木製のテーブルの上には、静かに煙が上る銀色の燭台がぽつりと置かれている。多種多様な装飾が施された本の数々が棚に所狭しと敷き詰められ、火の灯ってない暖炉の前には横に広い赤色のソファが居座っていた。


 ここは魔女の家か?と勘ぐってしまう。場所が場所なら、得体の知れない緑色の液体をぐつぐつ煮込む大釜とかがあっても不思議ではないような雰囲気だ。ランタンの灯し方なんか、まんま魔女のそれだった。


 そんな私の疑念をよそに、おばあさんは台所の横にある扉をトントンと軽く小突いた。


「ほら、連れてきたよ。下りてきな」


 おばあさんがそう叫ぶと、上でゴトンという物音が鳴った。その直後、何者かが床を軋ませながら階段をゆっくり下りてきた。その足音が大きくなるにつれ、並々ならぬ威圧感を感じ始めた。背筋が凍り付くような感覚といったら良いのだろうか?足が震えているのが嫌でも分かる。


 やがて、木の扉がゆっくり開かれた。思わず半歩ほど後ずさる。逃げなくては、と焦る思いとは裏腹に、両目は扉に釘付けされて動かない。


 その間に扉が完全に開き、暗闇の中から1人の男がゆっくりと姿を現した。藍色の無造作な髪に冷たく光る眼光、背中には光をも吸い込みそうな黒い翼を持ち合わせたその男は、私の姿を見るなり口を開いたまま唖然としていた。


 どこかで見たことがあるその風貌に、幼いころの記憶が思い起こされる。泣いていた私を不器用ながらに慰め、現世のあれこれについて教えたあげた。そして、この髪留めを残して姿を見せなくなった、大切な友達。


「リュノ?」


 私が尋ねると、彼の眉がピクリと動いた。


「?」

「何突っ立ってんだい、リュノ。わしが言った通り、連れてきただろ?」

「……すまん、ばあさん。少し、あっけにとられてた」


 リュノはそうぶっきらぼうに言い放つと、近くの椅子に腰掛けた。何気ないその動作に子どものころの面影を僅かに感じる気もするが、正直見た目が変わりすぎていてまだ確信できていない。


「ユイも座りな」

「は、はい」


 言われたとおり椅子に座ると、台所の棚からカップが3つとティーポットが飛んできた。お湯と茶葉が入れられると、リンゴのような甘く爽やかな香りが漂い始める。熱々の紅茶がひとりでにカップに注がれ、それぞれの椅子の前へと置かれる。


 目の前で起こった一連の不思議なおもてなしに、私はただ唖然としていた。それとは対照的に、リュノはさっそく紅茶に口をつけた。なんだかとても様になっているように思える。


 そこから息もつかせぬうちに、足下にミルクの入ったお皿が飛んでくる。すると、クロが膝元から勢いよく飛び出した。そのまま美味しそうにミルクを飲み始めるクロの背中を見ていると、ようやく少しだけ心が落ち着いき始めた。


「さ、まずはご飯にしようかね。ここに来るまで疲れただろう。今晩は特製のシチューを振る舞おうかね」


 おばあさんは荷物を置くと、指をくるりと一回転させた。すると、鍋がカタカタと宙を舞い、木箱から色とりどりの野菜が刻まれては鍋へと飛び込んでいく。さらに指を鳴らすと、何もないところから湧き出た透明な水が鍋へと注がれ、コンロに火が灯る。そのまま指揮者のように腕を振ると、塩や胡椒、コンソメなどがアーチを描きながら次々に投入されていく。


 さながらおとぎ話の世界に入り込んだかのような気になる。もう少し見ていたかったが、あんまりまじまじと見つめるのも憚られる気がしたので、紅茶に目を落とした。立ちこめる湯気の合間から、自分の顔が水面に揺らめく。


「……」

「……」


 言葉が出ないまま、沈黙の時間が流れていく。シチューのコトコト煮詰まる音だけが部屋中を満たしていた。


 久しぶりに会ったはいいものの、昔とあまりにも違いすぎるその姿に困惑していた。子どもの頃に見た、あの純白な翼は見る影もない。そればかりか、妙な威圧感まで兼ね備わっている。


 正直、どうして突然姿を見せなくなったのかが昔から気になっていた。だが、話しかけるほどの勇気が出ない。

 口を閉ざしていると、目の前に湯気の立つ木の器が置かれた。


「はい、シチューができたよ」

「あ、ありがとうございます」

「久しぶりの再会なんだ。そんな固くならずに、もっと肩の力を抜きなさいな」


 シチューに口をつけたおばあさんとは逆に、私はしばらく手をつけることができなかった。

 


 食後の紅茶をいただいていると、おばあさんがゆっくり席を立った。


「わしは一足先に風呂に入ってくるよ。二人きりの方が話しやすいこともあるだろ」


 そう告げると、私たちの回答も聞かずにおばあさんは扉の奥へと消えていった。

 気まずい空気が辺りに流れる。

 先にしびれを切らした私は勇気を持って口を開いた。


「ひ、久しぶり」

「……久しぶり」

「本当に、リュノなの?私が、知ってる」

「……そうだ」


 素っ気ない返事ばかりが帰ってくる。昔のようなイタズラっぽい感情はあまり感じられない。

 再び沈黙の時間が流れ始める。気まずい空気に押しつぶされそうになっていると、紅茶をすすったリュノがゆっくり口を開いた。


「その黒ネコ、どうしたんだ?飼い猫か?」

「ち、違うよ。この子はクロっていって、友だちと一緒にお世話してた野良ネコなの」

「ふーん。なんでそいつもここにいるんだ?」

「それが、道路で突然倒れちゃったの。それで助けようとしたら、一緒に車にひかれちゃって」

「なるほど」


 リュノはクロと同じくらい黒い翼の端っこをいじりながらぶっきらぼうに答えた。興味あるのかこいつ?


「でも、不思議じゃないか?例え好意で世話していたとはいえ、このネコが原因でユイも死んだんだ。それだっいうのに、恨みの一つも持ってないだろ?」

「あ、言われてみれば、たしかに」


 自分でもびっくりするくらい、死を素直に受け入れていることに気づかされた。クロのせいで死んだといっても過言ではないはずなのに、その張本人に湧く愛着は消えることを知らないようだった。

 いったいどういうことだろう?、と首をひねっていると、リュノが人差し指を立てて宙をなぞりだした。


「ひとたび三途の川を越え始めれば、どんな奴でも生に対する執着はすっかり消え去る。それがここの理だ」


 ぱらぱらっと開いた手を下ろし、熱そうに紅茶をすする。どこか達観した様子のリュノの言動の節々に、かつての面影を感じ始めていた。


 凍り付いた空気が少しだけ溶けたことで、口もなめらかに動くようになった。それに乗っかり、気になっていたことを尋ねてみることにした。

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